田んぼを荒らす虫を松明の火で追い払っていく農耕行事に虫送りがある。
それは東山間部で今でも行われている村の行事である。
天理市では上、中、下山田、旧都祁村は針ケ別所に小倉。
宇陀市室生は無山、染田、小原、下笠間。
多くは16日で、夏至の前日かその辺りの日曜日に行われている。
山深い奥吉野地方の上北山村や十津川でもその存在が確認されている。
いずれも山間にあり、盆地平野部ではその行事は確認できていない。
その山間にある山添村切幡では今でも行われている。
仕事を終えて戻ってきた村の男性は「これから枯れた竹を伐採しに行かなきゃ」と話す。
毎年の恒例行事に欠かせない枯れた竹は事前に確保されている村人もいる。
数日前から虫送りに用いられる松明を作っているのである。
数本の竹を束ねて先端に燃えやすい枯れた枝葉を取り付ける。
もっと燃えるようにと灯油を染み込ませた人もいる。
出発する場所は極樂寺の境内だ。
お寺の扉を開けて祭壇にローソクに火を点けた念如(ねんにょ)さんがいる。
都祁白石の興善寺の檀家役員さんだ。
虫を供養するという念如さんのローロク灯しだそうだ。
お寺といえば1月7日に村の安全を祈る正月行事のオコナイで行われた牛玉宝印書が残されている。
日が暮れるころには松明を持った村人たちが集まりだした。
数人の子供も混じっているが来られたのは男性ばかりである。
この行事を勤めるのは男性と決まっているそうだ。
それはともかく本堂に登った一人の男性。「なむあみだぶつー、なむあみだぶつー」と木魚を叩いて虫の供養を唱えだした。
3年前から始めたようで覚えた般若心経のお念仏を唱えている。
村の安全も祈っているのだろう。

そして始まった虫送りは念如が虫供養をしたローソクを持って境内に下りその火を松明に移した。
一人、二人と出発した田の虫送りの行列は点々とその灯りを田んぼに映していく。
公民館辺りの辻では村の行事の光景を一目見ようとご婦人や子供たちが待ち構えてその様相を見届けている。

かつては先頭の人がホラ貝を吹いていたそうだ。
ずいぶん前にホラ貝の口が壊れてしまったことからそれは登場しなくなったそうだ。
平たい太鼓も破けてしまったから革を打ち直した。
それを軽トラックに積んで後方についていく。
ドン、ドン、ドンと松明行列の後ろから太鼓の音色が聞こえてくる。

松明は20本程度で数人の子供たちも参加している。
そうして街道を抜けて1km先の隣村の三ケ谷辺りまで虫を送っていった。
虫供養の祈祷札は見られないが、素朴な田の虫送りはトンド場で松明を燃やして終えた。

戻っていく時間帯は20時を過ぎていた。
田んぼ付近の川面にはヘイケボタルの群れが光を放っている。
念仏を唱えたご主人が真っ暗ななかで話された個人の風習。
植え初め、植え終い、クワ始めなどなど次から次へとでてくる、でてくる農耕の民俗風習。
「オツキヨウカって知っているか」には腰を抜かすほど驚いたものだ。
それは竹竿の先に紅いベニツツジと黄色い花のヤマブキを十字に括る。
それにはカゴはないそうだがまさしく天道花の様相だ。
県内では絶滅したと思っていた天道花が切幡に存在する。
ご主人はそれを「カザリ」と呼んでいる。
今でも村でそれをしているのはうちだけだという。
「オツキヨウカ」は5月8日だが「カザリ」は前日の夕方ぐらいに家の門口に立てるそうだ。
その時間帯に出かける用事があればそれまでに上げるそうだ。
8日はそのままにして9日には下ろして壊すそうで毎年の記録写真を残しているという。
1月11日辺りには畑でクワを三回入れるそうで、それはクワ初めの儀式。
カヤを12本挿す田植え初めや植え終いもしていると話す。
田植え後の畑仕事の食事にはホオノハのカシワメシ、それに秋の収穫後のイノコモチも作っていると話す。
(H23. 6.22 EOS40D撮影)
それは東山間部で今でも行われている村の行事である。
天理市では上、中、下山田、旧都祁村は針ケ別所に小倉。
宇陀市室生は無山、染田、小原、下笠間。
多くは16日で、夏至の前日かその辺りの日曜日に行われている。
山深い奥吉野地方の上北山村や十津川でもその存在が確認されている。
いずれも山間にあり、盆地平野部ではその行事は確認できていない。
その山間にある山添村切幡では今でも行われている。
仕事を終えて戻ってきた村の男性は「これから枯れた竹を伐採しに行かなきゃ」と話す。
毎年の恒例行事に欠かせない枯れた竹は事前に確保されている村人もいる。
数日前から虫送りに用いられる松明を作っているのである。
数本の竹を束ねて先端に燃えやすい枯れた枝葉を取り付ける。
もっと燃えるようにと灯油を染み込ませた人もいる。
出発する場所は極樂寺の境内だ。
お寺の扉を開けて祭壇にローソクに火を点けた念如(ねんにょ)さんがいる。
都祁白石の興善寺の檀家役員さんだ。
虫を供養するという念如さんのローロク灯しだそうだ。
お寺といえば1月7日に村の安全を祈る正月行事のオコナイで行われた牛玉宝印書が残されている。
日が暮れるころには松明を持った村人たちが集まりだした。
数人の子供も混じっているが来られたのは男性ばかりである。
この行事を勤めるのは男性と決まっているそうだ。
それはともかく本堂に登った一人の男性。「なむあみだぶつー、なむあみだぶつー」と木魚を叩いて虫の供養を唱えだした。
3年前から始めたようで覚えた般若心経のお念仏を唱えている。
村の安全も祈っているのだろう。

そして始まった虫送りは念如が虫供養をしたローソクを持って境内に下りその火を松明に移した。
一人、二人と出発した田の虫送りの行列は点々とその灯りを田んぼに映していく。
公民館辺りの辻では村の行事の光景を一目見ようとご婦人や子供たちが待ち構えてその様相を見届けている。

かつては先頭の人がホラ貝を吹いていたそうだ。
ずいぶん前にホラ貝の口が壊れてしまったことからそれは登場しなくなったそうだ。
平たい太鼓も破けてしまったから革を打ち直した。
それを軽トラックに積んで後方についていく。
ドン、ドン、ドンと松明行列の後ろから太鼓の音色が聞こえてくる。

松明は20本程度で数人の子供たちも参加している。
そうして街道を抜けて1km先の隣村の三ケ谷辺りまで虫を送っていった。
虫供養の祈祷札は見られないが、素朴な田の虫送りはトンド場で松明を燃やして終えた。

戻っていく時間帯は20時を過ぎていた。
田んぼ付近の川面にはヘイケボタルの群れが光を放っている。
念仏を唱えたご主人が真っ暗ななかで話された個人の風習。
植え初め、植え終い、クワ始めなどなど次から次へとでてくる、でてくる農耕の民俗風習。
「オツキヨウカって知っているか」には腰を抜かすほど驚いたものだ。
それは竹竿の先に紅いベニツツジと黄色い花のヤマブキを十字に括る。
それにはカゴはないそうだがまさしく天道花の様相だ。
県内では絶滅したと思っていた天道花が切幡に存在する。
ご主人はそれを「カザリ」と呼んでいる。
今でも村でそれをしているのはうちだけだという。
「オツキヨウカ」は5月8日だが「カザリ」は前日の夕方ぐらいに家の門口に立てるそうだ。
その時間帯に出かける用事があればそれまでに上げるそうだ。
8日はそのままにして9日には下ろして壊すそうで毎年の記録写真を残しているという。
1月11日辺りには畑でクワを三回入れるそうで、それはクワ初めの儀式。
カヤを12本挿す田植え初めや植え終いもしていると話す。
田植え後の畑仕事の食事にはホオノハのカシワメシ、それに秋の収穫後のイノコモチも作っていると話す。
(H23. 6.22 EOS40D撮影)