マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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染田の虫送り

2011年07月18日 06時40分14秒 | 宇陀市(旧室生村)へ
16日に予定されていた室生区染田の虫送りは大雨で翌日に持ち越しされた。

フィールドの行事であるだけに松明を持ち歩く虫送りを実施するには判断が難しい。

針ケ別所では雨があがったことから実施されたと聞く。

染田では県外からその虫送りの様相を拝見したいと団体で来られていたが中止となってしまっては遠方から来られたのに気の毒だと野鍛冶師のFさんが、その鍛冶の仕事ぶりを見せてやろうと急遽実施された。

俳句をされている団体だけにそれは大喜びであったそうだ。

さて、染田の虫送りといえば地区の田んぼを松明で虫を送っていく行事で、周囲を練り歩く距離は4kmにもなる。

それが始まる前の午後6時半ころ。十輪寺の境内で火を点けられる。

それまでは村の人に始まりの合図として鉦と太鼓が打たれる。

それは子供の役目。

カン、カン、カンの鉦の音色に続いてドン、ドン、ドンと太鼓が打たれる。

二人の呼吸がピタリと合まってそれはまるでお念仏の音色のように聞こえる。

虫送りは稲の生育を阻害する害虫を駆除する役目もある行事。

松明で虫を焼き殺す殺生だけに虫を供養する意味もある。

それはこの鉦と太鼓が打ちだす念仏の鉦鼓なのであろう。

染田天神講連歌会発祥の地として名高い連歌堂の回廊で打たれていた鉦を太鼓は軽トラックに移された。

以前はそれをオーコで担いで村練り歩いていた。

それは相当な大きさの太鼓だけに担ぐことが困難になった。

そういうことからトラックに載せて随行する形になったのである。

ロープでしっかりと荷台に固定された太鼓は再び子供が叩く。

それを聞いた村人たちは松明を担いでやってきた。

鉦鼓打ちは始まるまで1時間あまりも打ち続けられていたが出発前には大人に替った。

辻ごとに立てられる祈祷札も載せている。

それは3か所に立てられるのだ。

春日神社北方での最初の休憩場、次に石仏が並ぶ穴薬師算(ざん)のある染田口バス亭付近、そして小原向う街道筋のトンド場である。

村の役員が挨拶をされて火点けが始まった。



勢いよく燃えだす松明を持って出発した。

子供が持つ松明は小さいが村の役目を担う一人でもある。



女児もいるし男性に混じってご婦人も松明を持っている。

重たいからと途中で交替する人もいる。



松明の数はおよそ10数本。

今年は少ないとついていく消防団が話す。

それのせいなのかいつもの年より早い速度で村を練り歩いた時間はおよそ1時間でトンド場に着いた。

この日は蒸し暑い夜だった。

虫送りをしていた田んぼにはホタルが光を放っていた。

それを見つけた子供たちは松明の火に集まったホタルを手にする。



それはゲンジボタルであった。

話によれば「数週間もすればヘイケボタルばかりになるんや」と話す。

ホタル狩りに夢中なっていた子供たちもトンド場まで向った。

そうして長い距離を練り歩いた虫送りは田んぼの稲を荒らす害虫を村外に追い出したのであった。



その歩数はおよそ8千歩にもなった。

(H23. 6.17 EOS40D撮影)