ビールの肴に塩茹で豆がある。
その豆は大豆である。
丹波の黒豆は特に美味いといわれている。
たしかに美味い。
農耕行事をする際にはその豆がでてくる場合がある。
「豆たばり」と呼ばれる行事が天理南六条の三十八神社ではその名もずばりで、宵宮の晩にトーヤ(頭屋)が栽培された枝豆を奉納される。
それを参拝した氏子たちがたばって帰る。
「たばる」とは「賜る」が訛ったもので貰うということだ。
奈良市北野山の戸隠神社の宵宮もそうである。
山添村切幡では旧暦の9月13日の十三夜に子供たちが各家を回って豆をもらって帰るという行事があったそうだ。
それを「豆たわり」と呼んでいる。
いずれも枝付きの豆を貰って帰る「マメタバリ」の行事である。
都祁藺生町の龍王神社ではたばることはないが枝豆は御供として供えられるそうだ。
こうした行事はいずれも秋祭りである。
それらの祭りに用いられる枝豆はトーヤの人たちが特別に栽培したものであるが、取材地でときおり話題になるのが「アゼマメ」という呼び名だ。
「アゼマメ」はその名のごとく畔で栽培された大豆である。
都会の人には聞きなれないアゼマメは農家の人ではごく普通にそう呼んでいる。
その畔豆は食卓に並べばビールの肴のエダマメとなる。
飲み屋ではエダマメはつきもの。
まずはエダマメをお店にたのむ(注文する)。
それを口にして一杯目のビールをゴクゴク飲む。
夏は特にもってこいだ。
エダマメは若い大豆で枝付きの大豆を茹でて食べる。
枝付き豆を略してエダマメと呼んだのであろうが一般的に飲み屋で出てくるのは「枝」は見られない。
枝がなくともエダマメと呼称しているのである。
さて、アゼマメ(畔豆)はなんでそう呼ぶのか。
その漢字のとおり畔に植えているからだ。
田植えを終えてすくすくと生育する稲田。
その田んぼ周りは畔である。
そこに大豆を蒔いておく。
稲の成長とともに大豆も育つ。
なぜにここへ大豆を蒔くのか。
それは根に根瘤菌があるからだという。
根瘤菌(根につく丸く小さな瘤粒に含まれるバクテリア菌)は空気中の窒素を取り込んで寄生植物に供給する性質があり畑地にとっては肥料となって土壌に働きかけるのである。
畔豆はそういう地力回復の役目をもっている。
春にレンゲの種を蒔くのも同じことでやせた土地を回復させる。
レンゲも大豆もマメ科の植物である。
マメ科の植物のすべてに根瘤があるのか私は存知しないが農家ではレンゲも大豆も畑の回復植物として使われてきた。
戦後の農作は化学肥料に転じていった。
それとともにレンゲ畑もアゼマメも田んぼから消えていったのではないだろうか。
白土町に住むNさんの話によればそうとう前に「そんなことはしなくなった」と話す。
大和郡山一円を探してみるがそれはない。
こうした時代だからこそ今でもアゼマメをされている田んぼはないものかと思っていたら室生の染田でそれを発見した。
そう、昨年に「ウエハジメまたはウエゾメ(植え初め)」を取材させていただいた田んぼにあったのだ。
畔そのものにではなく畦であったものの、そこにはオコナイのヤナギも残っていた。
それからしばらくして大和郡山の田んぼを探索してみた。
ところがいっこうにそれは見当たらない。
城、小林、小泉、白土、番条、稗田、椎木、額田部などだ。
矢田丘陵はどうなのかと山田も行ってみたが見つからない。
そうして矢田に行った。
そこには二か所であったアゼマメ。
まさしく畔に植えている。
(H23. 6.17 EOS40D撮影)
(H23. 6.27 EOS40D撮影)
その豆は大豆である。
丹波の黒豆は特に美味いといわれている。
たしかに美味い。
農耕行事をする際にはその豆がでてくる場合がある。
「豆たばり」と呼ばれる行事が天理南六条の三十八神社ではその名もずばりで、宵宮の晩にトーヤ(頭屋)が栽培された枝豆を奉納される。
それを参拝した氏子たちがたばって帰る。
「たばる」とは「賜る」が訛ったもので貰うということだ。
奈良市北野山の戸隠神社の宵宮もそうである。
山添村切幡では旧暦の9月13日の十三夜に子供たちが各家を回って豆をもらって帰るという行事があったそうだ。
それを「豆たわり」と呼んでいる。
いずれも枝付きの豆を貰って帰る「マメタバリ」の行事である。
都祁藺生町の龍王神社ではたばることはないが枝豆は御供として供えられるそうだ。
こうした行事はいずれも秋祭りである。
それらの祭りに用いられる枝豆はトーヤの人たちが特別に栽培したものであるが、取材地でときおり話題になるのが「アゼマメ」という呼び名だ。
「アゼマメ」はその名のごとく畔で栽培された大豆である。
都会の人には聞きなれないアゼマメは農家の人ではごく普通にそう呼んでいる。
その畔豆は食卓に並べばビールの肴のエダマメとなる。
飲み屋ではエダマメはつきもの。
まずはエダマメをお店にたのむ(注文する)。
それを口にして一杯目のビールをゴクゴク飲む。
夏は特にもってこいだ。
エダマメは若い大豆で枝付きの大豆を茹でて食べる。
枝付き豆を略してエダマメと呼んだのであろうが一般的に飲み屋で出てくるのは「枝」は見られない。
枝がなくともエダマメと呼称しているのである。
さて、アゼマメ(畔豆)はなんでそう呼ぶのか。
その漢字のとおり畔に植えているからだ。
田植えを終えてすくすくと生育する稲田。
その田んぼ周りは畔である。
そこに大豆を蒔いておく。
稲の成長とともに大豆も育つ。
なぜにここへ大豆を蒔くのか。
それは根に根瘤菌があるからだという。
根瘤菌(根につく丸く小さな瘤粒に含まれるバクテリア菌)は空気中の窒素を取り込んで寄生植物に供給する性質があり畑地にとっては肥料となって土壌に働きかけるのである。
畔豆はそういう地力回復の役目をもっている。
春にレンゲの種を蒔くのも同じことでやせた土地を回復させる。
レンゲも大豆もマメ科の植物である。
マメ科の植物のすべてに根瘤があるのか私は存知しないが農家ではレンゲも大豆も畑の回復植物として使われてきた。
戦後の農作は化学肥料に転じていった。
それとともにレンゲ畑もアゼマメも田んぼから消えていったのではないだろうか。
白土町に住むNさんの話によればそうとう前に「そんなことはしなくなった」と話す。
大和郡山一円を探してみるがそれはない。
こうした時代だからこそ今でもアゼマメをされている田んぼはないものかと思っていたら室生の染田でそれを発見した。
そう、昨年に「ウエハジメまたはウエゾメ(植え初め)」を取材させていただいた田んぼにあったのだ。
畔そのものにではなく畦であったものの、そこにはオコナイのヤナギも残っていた。
それからしばらくして大和郡山の田んぼを探索してみた。
ところがいっこうにそれは見当たらない。
城、小林、小泉、白土、番条、稗田、椎木、額田部などだ。
矢田丘陵はどうなのかと山田も行ってみたが見つからない。
そうして矢田に行った。
そこには二か所であったアゼマメ。
まさしく畔に植えている。
(H23. 6.17 EOS40D撮影)
(H23. 6.27 EOS40D撮影)