マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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桐山の行事

2011年07月30日 06時42分08秒 | 楽しみにしておこうっと
山添村東山地区では毎年秋に斎行される奈良県指定無形民俗行事の神事芸能がある。

桐山では氏神さんの戸隠神社でそれが行われている。

烏帽子を被った素襖姿の渡り衆は5人がウタヨミやオドリコミと呼ばれる田楽の舞を演じている。

その神社を守っているのは氏子たち。

村の神主ともされる4人のオトナ衆と呼ばれる長老と3人の総代たちが存在している。

オトナ衆のうちの一人は年預(ねんにょ)と呼ばれる人で神社で供えられる一年間のモチを作る。

秋祭りのモッソも作っている。

モッソは一年の月数を表す12本のハチマキを締める。

モッソは三つ作りそれぞれにハチマキをする。

ワラでできたハチマキは止めた個所に上へピンと跳ねているように見えることからウサギ(の耳)とも呼ばれる。

モッソはできたての蒸しゴメだけに熱いうちに形を整えなければならない。

盛り上げるように整えるのだが手を当てなければ形が崩れてしまうそうだ。

同神社では毎月の1日に集まって朔参りをされている。

そこではドウゲ(胴下)と呼ばれる接待役がつく。

その人は境内の掃除や直会の配膳など下働きをする役目で一年間のお勤めに従事する。

引退などでオトナ衆が欠員となった場合は総代の一人がその役につく。

隣村の室津では総代を勤めて75歳になればオトナ衆になる。

昨今はオトナ衆の人数が増えているようでそれも健康長寿社会となった現代の状況であろうと話される。

2月23日には朝からオンダが斎行される。

サカキの木にタネ籾を数粒入れた半紙を丸めてそれに括りつける。

また、梵字が刻印された版木で刷った奉書を作る。

公民館横に佇む観音寺のモノであったかも知れない版木だそうだ。

それは20枚余りで各戸に配られるお札である。

神社の斎行だがもともとは寺行事だったのだろう。

それは正月行事のオコナイであったかも知れない。

その観音寺では明治時代に製作された太鼓がある。

それは使っていない太鼓であって、昔は陣太鼓があったそうだ。

トン、トン、トン、ドーン、ドーンと叩く陣太鼓の音色は人寄せに使ったという。

泥棒が来たぞ、火事が発生したぞとそれぞれに叩き方は違っていた。

村に危険を知らせる合図は部外者には判らない合図だった。

そのお堂に集まってくる観音講の人たち。

鉦を叩いて般若心経を唱えるお念仏。

草刈りをしてからお堂に上がってお勤めをする人は6、7人で男性は一人だという。

毎月のお勤めだが5月だけは休む。

「その月はお茶の収穫で一番忙しい時期だけに拝んで」られへんのやと話す。

そのお堂では3月に数珠繰りがされている。

朝早くから集まってくる和田、大君、大久保の3垣内の子供たち。

「コンジン コンジン」と囃して各戸を巡る。

今ではお金集めになったが、かつてはお米集めだったそうだ。

それを終えて涅槃の掛け図を掲げた観音寺で大人と一緒に数珠繰りをする。

それから会食になるのだが場所は公民館に移る。

今では子供が好きなカレーライスになったが、昔はアズキガユに巻き寿司だった。

以前は16歳の年長の子供が要る家がヤドとなって接待をしていたが現在は公民館がヤドである。

子供の涅槃講だと思える行事は春休み中の3月末か4月初旬に行われている。

地区には徳竜寺の名称が伝わっているが所在は未だに判っていない。

子供が主役になる行事は年末にもある。

「シダトリ」と呼ばれるその行事は中学生の男の子。

12月の冬休みに入ったころの早朝、山へ行ってシダを採ってくる。

それは正月のオソナエに使われる植物で、採ってきたシダは各戸を巡って売りに行くそうだ。

正月前のこずかい稼ぎである。

また、正月明けの成人の日にはとんどが行われる。

早朝、3地区の組み頭がしきるとんどはモチを焼かずにダイダイを焼く。

それは竹を二つに割った先に挟むそうだ。

(H23. 7. 2 EOS40D撮影)