奈良市長谷(ながたに)町に鎮座する日吉神社の鳥居から眺めた南東の方角には山々が重なって見える。
そこは宇陀の連山などが背景に見える都祁の都介野岳(つげのだけ)。
その眺望は稜線が美しい。
同神社には明治時代に廃寺となった神宮寺の塔尾寺が存在していたそうだ。
その名残であろう神社社務所の壁には弘法大師の板額が掲げられている。
高野真言宗だそうだ。
塔の森参りを済ませた村の人たちは20数人。
氏子総代ら役員が神饌御供を整える間はその縁側に座って待っている。
そこには永年勤められる長老の六人衆もいる。
この日行われる二つ目の祭典である虫の祈祷である。
二つの祭典はもともと別の日に行われていたが、集まることが難しくなってきたことから一挙にするようにしたという。
本殿、末社、灯篭などには火を点けたローソクを灯して始まった虫の祈祷。
畑作に害を及ぼす虫を殺生することからそれを供養する意味がある。
供養といえば一般的には寺行事にあたる。
それを示す寺は村の会所に下りたそうだ。
そういうことになったためでもあるのか、弘法大師の板額にはシキビを供えて始まった。
元々あった神宮寺の行事であったとされる虫の祈祷は本殿階段下にはサカキを供えて祓えの儀、祝詞奏上などの祭典は神職によって厳かに行われた。
このあともお下がりのジャコを肴にお神酒をいただくが供えたセキハンは奉っただけである。
そしてこの年は20数年ぶりに第三場の祭典に移った。
近々には本殿の造宮が始まるという。
その大工作業を始めるにあたって工事の無事や安全を祈るチョウナハジメの儀式だ。
前庭に設えた祭壇にはチョウナ(手斧)、スミツボ(墨壺)、竹製のスミサシ(墨指)、金属製のサシガネ(指金)が並べられた。
その手前にはシートを敷いて本殿棟木となるヒノキの角材を清める儀式でもある。
サカキのヒモロギも整えられて始まった儀式は祓えの儀、神さんを呼ぶ降神の儀、再び天の昇る昇神の儀式など。
玉串奉奠には大工棟梁も捧げられる。
この儀式は大工棟梁が建てる前祝いでもあるのだろう。
材木への墨打ちは見られなかったが、めでたく式典を終えられたあとは村の集会に移った。
(H23. 6.26 EOS40D撮影)
そこは宇陀の連山などが背景に見える都祁の都介野岳(つげのだけ)。
その眺望は稜線が美しい。
同神社には明治時代に廃寺となった神宮寺の塔尾寺が存在していたそうだ。
その名残であろう神社社務所の壁には弘法大師の板額が掲げられている。
高野真言宗だそうだ。
塔の森参りを済ませた村の人たちは20数人。
氏子総代ら役員が神饌御供を整える間はその縁側に座って待っている。
そこには永年勤められる長老の六人衆もいる。
この日行われる二つ目の祭典である虫の祈祷である。
二つの祭典はもともと別の日に行われていたが、集まることが難しくなってきたことから一挙にするようにしたという。
本殿、末社、灯篭などには火を点けたローソクを灯して始まった虫の祈祷。
畑作に害を及ぼす虫を殺生することからそれを供養する意味がある。
供養といえば一般的には寺行事にあたる。
それを示す寺は村の会所に下りたそうだ。
そういうことになったためでもあるのか、弘法大師の板額にはシキビを供えて始まった。
元々あった神宮寺の行事であったとされる虫の祈祷は本殿階段下にはサカキを供えて祓えの儀、祝詞奏上などの祭典は神職によって厳かに行われた。
このあともお下がりのジャコを肴にお神酒をいただくが供えたセキハンは奉っただけである。
そしてこの年は20数年ぶりに第三場の祭典に移った。
近々には本殿の造宮が始まるという。
その大工作業を始めるにあたって工事の無事や安全を祈るチョウナハジメの儀式だ。
前庭に設えた祭壇にはチョウナ(手斧)、スミツボ(墨壺)、竹製のスミサシ(墨指)、金属製のサシガネ(指金)が並べられた。
その手前にはシートを敷いて本殿棟木となるヒノキの角材を清める儀式でもある。
サカキのヒモロギも整えられて始まった儀式は祓えの儀、神さんを呼ぶ降神の儀、再び天の昇る昇神の儀式など。
玉串奉奠には大工棟梁も捧げられる。
この儀式は大工棟梁が建てる前祝いでもあるのだろう。
材木への墨打ちは見られなかったが、めでたく式典を終えられたあとは村の集会に移った。
(H23. 6.26 EOS40D撮影)