秋のマツリの際に前総代が話していたアズキ粥。
「ビワの葉に載せて神社、寺、墓地、田んぼ、山などなどに供えてるんや」と云っていた。
その様相を確かめようと出かけた明日香村の上居(じょうご)に村行事がある。
1月6日は上居寺で「ムロクサン」をすると云っていたが、この年は村事情で取材は遠慮した。
そのときにたばってきたのが「これですねん」と玄関前に立ててくれたご主人。
コヨリでネコヤナギに括った「ハゴウサン」と呼ばれるお札の文字がうっすらと浮かぶ。
「ご主人に奥さんも何が書いてあるのか判りませんねん」と云うお札は広げるわけにもいかない。
透かしてみれば「上宮皇院 豊年 牛王 虫除 奉祈」の文字が判読できた。
「牛王」の文字がある。
しかも、寶印も押してあることから、まぎれもないオコナイのごーさん札であろう。
村の戸数になる19枚のお札は、行事を終えて各戸に配られたそうだ。
「ムロクサン」の行事には六つの御供があると云う。
おそらく「六御供」が訛って「ムロクサン」の呼び名がついたと思われる。
訪れたこの日は小正月の15日。
当家では、朝一番に、皿に見立てたビワの葉にアズキ粥とカイバシラと呼ぶキリコモチを乗せて供える。
玄関、納屋、車庫から直撒きの苗代や田んぼ・草むら、さらには杉山の頂上にも供えてきたと話す当主。
数えてみれば9カ所にもなると云う。
田んぼは、あっちこちにあるのだが、一番近い処でと案内してくださった場は急坂を下った地である。
イノシシ除けの柵をした内側に供えた小正月の小豆粥御供があった。
このような場であれば、見つけるのは困難だ。
案内してもらってこそ見つかる御供の場である。
かつてはこの場が直撒きの苗代場であった。
今では家でモミオトシをして、ここに運んでいると云う。
この場では、4月末のころに苗代作りをする。
そこに立てるお札はネコヤナギにコヨリで括った「ハゴウサン」。
サツキとか、ヤマブキのイロバナを添えて立てると云う。
同家以外にも数軒がしているようだと話す。
ちなみに杉山の頂上へ行く道は荒れて竹藪に覆われていると云う。
「そこへ行くだけでも難儀した」というので遠慮したが、春ともなれば幹回りが2mもあるヤマザクラがあるそうだ。
ご主人が話したアズキ粥の御供はもう一カ所あるという。
「おじいさんが建之した三体の地蔵さんにもおましたから」と云った場は、同家より歩いて十数分。
目印は二本杉だ。
その下にあった三体の地蔵さんだ。
台座それぞれに供えたアズキ粥はいずれもビワの葉に乗せている。
時間帯は夕陽が落ちるころであった。
挿し込む斜光が地蔵さんを夕焼け色に染める。
侘びさ加減の佇まいについつい見惚れてしまう。
普段の年なら奥さんが春日神社・上居寺・墓石等にアズキ粥を供えるそうだが、この年はしなかったと云う。
こうしたお供えをしているのは我が家だけのようだと話していた。
かつてはアズキ粥は供える前に食べた。
粥を口に持っていくのはスジノコと呼ぶカヤススキの箸であったそうだ。
カヤススキは苗代等に立てることはなかったが、ここでもアズキ粥とカヤススキの風習があったとこを知ったのである。
(H26. 1.15 EOS40D撮影)
「ビワの葉に載せて神社、寺、墓地、田んぼ、山などなどに供えてるんや」と云っていた。
その様相を確かめようと出かけた明日香村の上居(じょうご)に村行事がある。
1月6日は上居寺で「ムロクサン」をすると云っていたが、この年は村事情で取材は遠慮した。
そのときにたばってきたのが「これですねん」と玄関前に立ててくれたご主人。
コヨリでネコヤナギに括った「ハゴウサン」と呼ばれるお札の文字がうっすらと浮かぶ。
「ご主人に奥さんも何が書いてあるのか判りませんねん」と云うお札は広げるわけにもいかない。
透かしてみれば「上宮皇院 豊年 牛王 虫除 奉祈」の文字が判読できた。
「牛王」の文字がある。
しかも、寶印も押してあることから、まぎれもないオコナイのごーさん札であろう。
村の戸数になる19枚のお札は、行事を終えて各戸に配られたそうだ。
「ムロクサン」の行事には六つの御供があると云う。
おそらく「六御供」が訛って「ムロクサン」の呼び名がついたと思われる。
訪れたこの日は小正月の15日。
当家では、朝一番に、皿に見立てたビワの葉にアズキ粥とカイバシラと呼ぶキリコモチを乗せて供える。
玄関、納屋、車庫から直撒きの苗代や田んぼ・草むら、さらには杉山の頂上にも供えてきたと話す当主。
数えてみれば9カ所にもなると云う。
田んぼは、あっちこちにあるのだが、一番近い処でと案内してくださった場は急坂を下った地である。
イノシシ除けの柵をした内側に供えた小正月の小豆粥御供があった。
このような場であれば、見つけるのは困難だ。
案内してもらってこそ見つかる御供の場である。
かつてはこの場が直撒きの苗代場であった。
今では家でモミオトシをして、ここに運んでいると云う。
この場では、4月末のころに苗代作りをする。
そこに立てるお札はネコヤナギにコヨリで括った「ハゴウサン」。
サツキとか、ヤマブキのイロバナを添えて立てると云う。
同家以外にも数軒がしているようだと話す。
ちなみに杉山の頂上へ行く道は荒れて竹藪に覆われていると云う。
「そこへ行くだけでも難儀した」というので遠慮したが、春ともなれば幹回りが2mもあるヤマザクラがあるそうだ。
ご主人が話したアズキ粥の御供はもう一カ所あるという。
「おじいさんが建之した三体の地蔵さんにもおましたから」と云った場は、同家より歩いて十数分。
目印は二本杉だ。
その下にあった三体の地蔵さんだ。
台座それぞれに供えたアズキ粥はいずれもビワの葉に乗せている。
時間帯は夕陽が落ちるころであった。
挿し込む斜光が地蔵さんを夕焼け色に染める。
侘びさ加減の佇まいについつい見惚れてしまう。
普段の年なら奥さんが春日神社・上居寺・墓石等にアズキ粥を供えるそうだが、この年はしなかったと云う。
こうしたお供えをしているのは我が家だけのようだと話していた。
かつてはアズキ粥は供える前に食べた。
粥を口に持っていくのはスジノコと呼ぶカヤススキの箸であったそうだ。
カヤススキは苗代等に立てることはなかったが、ここでもアズキ粥とカヤススキの風習があったとこを知ったのである。
(H26. 1.15 EOS40D撮影)