Facebookメールを通じて連絡があったシニア会。
会合の場は大阪の淀屋橋。
平成23年5月20日に出かけた会合はシニア会でなく、エントリー部門で働いていたOさんの送別会だった。
シニア会となれば直近に出かけた日は平成21年2月10日の新年OB会以来である。
なんと5年ぶりである。
毎年の夏に出かける十津川村。
そこに集まるのはOBではなく、ほとんどが現役だ。
会社、仕事、顔ぶれなどの状況変化は聞いているからある程度は知っている。
5年ぶりとなるシニア会はOB会をあらため会名を替えたのだろう。
私より若かった人たちも定年満了を迎えた。
短時間勤務の継続社員として頑張っているやに聞いている。
彼らもOB入りだが、制度が替って5年間も勤めることができるようになった。
勤めを継続しているのであればOBという名よりもシニアの方が相応しいのであろう。
久しぶりに会ってみたいと思って出かけた淀屋橋であるが、その前に済ませておきたい所用先は奈良県庁。
校正段階に突入した緊急伝統芸能調査報告書の提出は急がねばならない。
当初の依頼は1件であった。
その後に於いて1件増えて、2件、3件となり、合計4件の調査報告になった。
執筆報告は文字数が多い。
一つ(白土の子供・大人念仏)は15000文字で、もう一つ(法貴寺郷の神楽と御湯)は12000文字。
他にも8000文字(萱森の六斎念仏)、7800文字(田中甲斐神社の御湯焚き)もある。
3年間もかけて調査した報告字数は膨れあがった。
収録するには大幅に減数しなければならない。
発刊される報告書には数多くの行事写真も要する。
私が担当した調査報告はもちろんだが、章立てに充てる写真も頼まれた。
その枚数は45枚にもなる。
それも校正の一部である。
そんな打合せをして近鉄奈良駅に向かった。
なにげに見たガラスウィンドウ。
奈良県商工観光館のウィンドウだ。
そこにあったブロンズ製の阿修羅像。
なかなか見事な出来栄えに見惚れていた。
展示品でなく売りものの阿修羅像は18万9千円だった。
近鉄大阪線、地下鉄御堂筋線を乗り継いで到着した淀屋橋駅。
懐かしいプラットホームもそうだが、田舎暮らしに慣れた目は雑踏にうごめく人の流れについていかない。
親会社の本社ビル(東館)はビル工事をしている。
隣のビルは新館になっていた。
元会社があった界隈は変わっていないが、ビルは撤去されて今では駐車場。
3年前ぐらいにそうなったことは知っている。
四つ辻にあるビルの地下街。
懐かしい名が今でもあった。
「酒房百番」、「上海楼」、「まめだ」の店だ。
昼となく夜にも入店していた食堂街であるが「九郎兵衛」の名がない。
そこから東へ100mも歩かんうちにあった「適塾・緒方洪庵旧宅」。
市立愛珠幼稚園は今でもあるのだろうか。
対面にあった「お好み焼き酒場」。
私が居たころはなかったと思う。
その前は何の店だったのか思い出せない。
そこから40m先にあった中華料理屋は北京料理の「福仙楼」。
床は板張りだったお店。
焼きそばだけが美味かった。
会合が始まる時間までの待ち時間は探索とする。
ふと思い出して足を伸ばした栴檀橋。
昭和10年に架けられたコンクリート製の橋であるが、明治18年までは木橋だった。
その先に建っているのが大阪市中央公会堂だ。
時間つぶしはこれで充分。
会合の場であるニューミュンヘンに行く。
京阪ビルの地下一階に並ぶ店である。
ガラス越しに店内を見渡すが誰もいない。
まだなのかと思っていたらコン、コンの音が聞こえた。
2年ぶりに合ったMさんだ。
そのうち誰かがくるだろうと先に注文したジョッキの生ビール。
ぐっと飲んで頼んだ肉豆腐。
昔は100円だった肉豆腐は様変わりしていたが、実に美味いのである。
ビールがぐいぐい進む。
夜遅くまで飲んでいた。
夕方5時から飲み始めたシニア会の酒量は留まることを知らない5時間。
どこをどう帰ったのか記憶にない。
(H26. 2.28 SB932SH撮影)
会合の場は大阪の淀屋橋。
平成23年5月20日に出かけた会合はシニア会でなく、エントリー部門で働いていたOさんの送別会だった。
シニア会となれば直近に出かけた日は平成21年2月10日の新年OB会以来である。
なんと5年ぶりである。
毎年の夏に出かける十津川村。
そこに集まるのはOBではなく、ほとんどが現役だ。
会社、仕事、顔ぶれなどの状況変化は聞いているからある程度は知っている。
5年ぶりとなるシニア会はOB会をあらため会名を替えたのだろう。
私より若かった人たちも定年満了を迎えた。
短時間勤務の継続社員として頑張っているやに聞いている。
彼らもOB入りだが、制度が替って5年間も勤めることができるようになった。
勤めを継続しているのであればOBという名よりもシニアの方が相応しいのであろう。
久しぶりに会ってみたいと思って出かけた淀屋橋であるが、その前に済ませておきたい所用先は奈良県庁。
校正段階に突入した緊急伝統芸能調査報告書の提出は急がねばならない。
当初の依頼は1件であった。
その後に於いて1件増えて、2件、3件となり、合計4件の調査報告になった。
執筆報告は文字数が多い。
一つ(白土の子供・大人念仏)は15000文字で、もう一つ(法貴寺郷の神楽と御湯)は12000文字。
他にも8000文字(萱森の六斎念仏)、7800文字(田中甲斐神社の御湯焚き)もある。
3年間もかけて調査した報告字数は膨れあがった。
収録するには大幅に減数しなければならない。
発刊される報告書には数多くの行事写真も要する。
私が担当した調査報告はもちろんだが、章立てに充てる写真も頼まれた。
その枚数は45枚にもなる。
それも校正の一部である。
そんな打合せをして近鉄奈良駅に向かった。
なにげに見たガラスウィンドウ。
奈良県商工観光館のウィンドウだ。
そこにあったブロンズ製の阿修羅像。
なかなか見事な出来栄えに見惚れていた。
展示品でなく売りものの阿修羅像は18万9千円だった。
近鉄大阪線、地下鉄御堂筋線を乗り継いで到着した淀屋橋駅。
懐かしいプラットホームもそうだが、田舎暮らしに慣れた目は雑踏にうごめく人の流れについていかない。
親会社の本社ビル(東館)はビル工事をしている。
隣のビルは新館になっていた。
元会社があった界隈は変わっていないが、ビルは撤去されて今では駐車場。
3年前ぐらいにそうなったことは知っている。
四つ辻にあるビルの地下街。
懐かしい名が今でもあった。
「酒房百番」、「上海楼」、「まめだ」の店だ。
昼となく夜にも入店していた食堂街であるが「九郎兵衛」の名がない。
そこから東へ100mも歩かんうちにあった「適塾・緒方洪庵旧宅」。
市立愛珠幼稚園は今でもあるのだろうか。
対面にあった「お好み焼き酒場」。
私が居たころはなかったと思う。
その前は何の店だったのか思い出せない。
そこから40m先にあった中華料理屋は北京料理の「福仙楼」。
床は板張りだったお店。
焼きそばだけが美味かった。
会合が始まる時間までの待ち時間は探索とする。
ふと思い出して足を伸ばした栴檀橋。
昭和10年に架けられたコンクリート製の橋であるが、明治18年までは木橋だった。
その先に建っているのが大阪市中央公会堂だ。
時間つぶしはこれで充分。
会合の場であるニューミュンヘンに行く。
京阪ビルの地下一階に並ぶ店である。
ガラス越しに店内を見渡すが誰もいない。
まだなのかと思っていたらコン、コンの音が聞こえた。
2年ぶりに合ったMさんだ。
そのうち誰かがくるだろうと先に注文したジョッキの生ビール。
ぐっと飲んで頼んだ肉豆腐。
昔は100円だった肉豆腐は様変わりしていたが、実に美味いのである。
ビールがぐいぐい進む。
夜遅くまで飲んでいた。
夕方5時から飲み始めたシニア会の酒量は留まることを知らない5時間。
どこをどう帰ったのか記憶にない。
(H26. 2.28 SB932SH撮影)