マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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腰越の岩屋枡形石仏

2014年09月26日 09時21分29秒 | 山添村へ
寒の戻りだろうか、この日の朝は寒かった。

一路目指して西名阪国道を東に向けて走っていた。

福住辺りから霙が降り出した。

針までくれば吹雪が舞う。

小倉から地道を通っていたが、山添村に入ったとたんに止んだ雪。

北野辺りになれば青空が広がった。

目指すは山添村大字北野から北に向かう腰越の岩屋枡形石仏だ。

彼岸の中日にはお大師講が参拝されると聞いていた。

その場はどこにあるのか、一度も訪ねていなかった地を探していたのである。

あの方角辺りであろうと思ってはみるものの、である。

あっちの道、こっちの道へと探し回る。

ふっと通りがかった牛ケ峰共同墓地。

この場は覚えている。

北野に鎮座する天神社で行われる神事芸能にホーデンガクがある。

平成18年10月13日に取材したホーデンガク。

侍烏帽子(つば黒烏帽子)を被り素襖姿を纏った渡り衆は天神社で奉納する前に立ち寄る地がある。

杉原(八柱神社)、津越(八幡神社)、腰越(若宮神社)、牛ケ峰(春日神社)である。

北野は奥、杉原、津越、腰越、牛ケ峰の五組からなる大字だ。

大正二年に杉原、津越、腰越、牛ケ峰に祀られていた神社を合祀された。

その名は美統(みすまる)神社とされた。

かつては杉原、津越、腰越、牛ケ峰の地を歩いてお渡りをしていたが、今では運行を許可されたクルマの荷台に乗って効率よく巡る。

巡行途中で休憩される地が牛ケ峰共同墓地だったのだ。

そこには六地蔵がある。

向かい側に目を向けた。

牛ケ峰へ登る参詣道と記されている。

脇にあった石標には「右大師道」の刻印があった。

そこから登っていけば牛ケ峰の旧村社地春日神社がある。



そこにはマツリのときに寄せたであろうと思える御幣を立ててあった。

背後は植林された杉林だ。

さらに登っていく急な山道。

ときおり冷たい風が杉林を通り抜ける。

どれほど歩いたかと思うが、万歩計はそれほど距離が伸びていない。



頂を越えて少し下った地にあった大きな岩。

それが標高600mの位置にある岩屋枡形石仏と称する場であった。

これより上にあった一枚岩。



高さ16mの断崖絶壁にあった枡型である。

この辺りは巨岩石が累々とある。



一枚岩の巨石が自然の節理によって分裂して下に転がって落ちたのが下方の岩屋だ。

丈六尺の金剛界大日如来磨崖仏が線刻されていた。



思わず手を合わせる。

岩屋の内部は空洞だ。

岩窟に不動明王、弘法大師、五輪等を並べ、護摩壇が設けられているようだ。

後日に聞いた話しによれば参拝は総代のお一人だったそうだ。

(H26. 3.21 EOS40D撮影)