大和郡山市の涅槃行事は3地域にある。
西町、椎木町に石川町だ。
八坂神社の祭祀を勤める宮座六人衆から聞いていた観音講の行事。
婦人の集まりであるが、どちらの家の婦人か判らず数年間も経過した。
観音堂は八坂神社境内にある。
聞いていた時間に行けば、どなたかがおられるやもと思って出かけた。
お堂は扉が閉まっていたが隣接する公民館から女性の声が聞こえた。
「ごめんください」と声をかけたら、奥から婦人が出てこられた。
事情を述べて伺った観音講の涅槃行事。
昼前に集まって涅槃の掛軸を掲げた観音堂で般若心経を唱えていたと話す。
昔はイロゴハンを炊いてよばれていたが、今ではパック詰め料理になった。
おしゃべりも一段落。
そろそろ帰ろうかという時間帯であった。
石川町の観音講は北垣内の7軒が講中。
涅槃図は当番が持ち廻る。
ボロボロになっていたことから、つい最近の7、8年前に表装しなおしたと云う。
拝見した涅槃図は横幅が110cmで縦が200cmもある。
涅槃図は墨書も見られず年代記銘はなかった。
表装した時期も判らなかったが、昔からあった涅槃図箱の蓋板二枚が残されていた。
黒ずんだ箱蓋から推定するに、相当な年代ものと思えたのである。
このことは半年後の9月に宮座六人衆のKさんから聞いた年代。
1600年代だったそうだ。
どうりである。
「心経に打っていた鉦はこれです」と指をさした鉦はやや小型、もう一枚の鉦はこれより少し大きい。
二枚とも三本足の鉦付き。
床に置いて打つ伏鉦である。
大小の鉦を並べて撮らせてもらった。

この日に鉦を打っていたのはやや小型の三本足をもつ鉦だ。
足部の直径は12.5cmで打ち部は11cmである。
もしかと思って裏返せば、刻印があった。
「室町住出羽大掾宗味作」の名である。
その名の六斎鉦があったのは隣村の白土町だ。
子供の念仏講が所有する六斎鉦に「和州添上郡白土村観音堂什物 奉寄進石形壹 施主西覚 □貞享伍ハ辰七月十五日 室町住出羽大掾宗味作」の刻印があった。
1688年の製作である。
おそらく同時期に製作されたと思える石川町の伏鉦。
「室町住出羽大掾宗味作」の刻印をもつ六斎鉦は白土町より北にある井戸野町にも存在している。
「郡山住人堺屋文□ 和井戸野村念佛講中 室町住出羽大掾宗味作」の刻印で同じ製作者。
いずれも村の念仏講中が使っていた六斎鉦である。
大和郡山市内で確認された「室町住出羽大掾宗味作」名の鉦は杉町や伊豆七条町にもあるが、念仏講の存在は未だ判っていない。
杉町には年代記銘はなかったが、伊豆七条町の鉦の刻印は「安永八巳亥年二月 伊豆七条村 勝福寺什物 京室町住出羽宗味作」であった。
1779年の製作である。
奈良市の今市、南田原町にも同製作者名の鉦があるが、いずれも製作年代がみられない。
額田部町の地福寺が所有していた六斎鉦には「天下一宗味」の製作者名がある。
おそらく室町住出羽大掾宗味と同一人物であろう。
その鉦の製作は慶安二年(1649)年である。
これら同一作者名の鉦から石川町の観音堂にあった鉦は300年以上に亘って使われていたと推定されるのである。
もう少し大き目の鉦も三本足をもつ鉦の足部の直径は16cmで打ち部は12cmだった。
それには「文化八辛未年(1811)十二月」、「石川村惣中」の刻印があった。
三本足をもつ鉦は置いて叩く鉦。いわゆる伏鉦である。
鉦の刻印を調査することで、旧村の歴史を知った観音講の人たち。
感心しながら所見した事実に驚かれていた。
かつて観音堂には安寿さんが住んでいた。
「涅槃さんの日は世話をしてくれていた。当時は年寄り衆がお供えをしていた。家で炊いたイロゴハンをよばれていた。そのころの涅槃さんは夜の営みだった。今では集まりやすい昼になった」と話す。
その後の昭和63年に観音堂を建て替えて新しくなった。
石川町の観音講は20人ほどであるが、涅槃図を所有しているのは北垣内の6軒だ。
村で亡くなった家の「中タイヤ」、「アガリタイヤ」の際には涅槃図を、その家に掲げて西国三十三番ご詠歌・般若心経・黒谷和讃を唱えていると話す。
かつては49日の期間、毎日に掲げていたそうだ。
一方、南垣内では涅槃図でなく、「マクラ念仏」の掛軸を掲げて念仏を唱えていると云う。
「マクラ念仏」の掛軸は南垣内の数軒で所有しているらしいが、この日お会いした観音講中にはおられなかった。
石川町の観音講の行事は、この日の涅槃さんの他、8月の十日盆、9月の彼岸の入り、12月は一年を感謝するお礼念仏をしていると話す。
「マクラ念仏」を含めて、尋ねてみたいものである。

この日掲げていた涅槃図を拝見したところ、西町と同様にお釈迦さん周りにいる僧侶は同じように涙ぐんで眼が赤くなっていた。
翌日にお伺いした奈良市阪原の南明寺の涅槃図も同じである。
住職は「ここだけや」と云っていたが、そうでもないように思えた。
(H26. 3.15 EOS40D撮影)
西町、椎木町に石川町だ。
八坂神社の祭祀を勤める宮座六人衆から聞いていた観音講の行事。
婦人の集まりであるが、どちらの家の婦人か判らず数年間も経過した。
観音堂は八坂神社境内にある。
聞いていた時間に行けば、どなたかがおられるやもと思って出かけた。
お堂は扉が閉まっていたが隣接する公民館から女性の声が聞こえた。
「ごめんください」と声をかけたら、奥から婦人が出てこられた。
事情を述べて伺った観音講の涅槃行事。
昼前に集まって涅槃の掛軸を掲げた観音堂で般若心経を唱えていたと話す。
昔はイロゴハンを炊いてよばれていたが、今ではパック詰め料理になった。
おしゃべりも一段落。
そろそろ帰ろうかという時間帯であった。
石川町の観音講は北垣内の7軒が講中。
涅槃図は当番が持ち廻る。
ボロボロになっていたことから、つい最近の7、8年前に表装しなおしたと云う。
拝見した涅槃図は横幅が110cmで縦が200cmもある。
涅槃図は墨書も見られず年代記銘はなかった。
表装した時期も判らなかったが、昔からあった涅槃図箱の蓋板二枚が残されていた。
黒ずんだ箱蓋から推定するに、相当な年代ものと思えたのである。
このことは半年後の9月に宮座六人衆のKさんから聞いた年代。
1600年代だったそうだ。
どうりである。
「心経に打っていた鉦はこれです」と指をさした鉦はやや小型、もう一枚の鉦はこれより少し大きい。
二枚とも三本足の鉦付き。
床に置いて打つ伏鉦である。
大小の鉦を並べて撮らせてもらった。

この日に鉦を打っていたのはやや小型の三本足をもつ鉦だ。
足部の直径は12.5cmで打ち部は11cmである。
もしかと思って裏返せば、刻印があった。
「室町住出羽大掾宗味作」の名である。
その名の六斎鉦があったのは隣村の白土町だ。
子供の念仏講が所有する六斎鉦に「和州添上郡白土村観音堂什物 奉寄進石形壹 施主西覚 □貞享伍ハ辰七月十五日 室町住出羽大掾宗味作」の刻印があった。
1688年の製作である。
おそらく同時期に製作されたと思える石川町の伏鉦。
「室町住出羽大掾宗味作」の刻印をもつ六斎鉦は白土町より北にある井戸野町にも存在している。
「郡山住人堺屋文□ 和井戸野村念佛講中 室町住出羽大掾宗味作」の刻印で同じ製作者。
いずれも村の念仏講中が使っていた六斎鉦である。
大和郡山市内で確認された「室町住出羽大掾宗味作」名の鉦は杉町や伊豆七条町にもあるが、念仏講の存在は未だ判っていない。
杉町には年代記銘はなかったが、伊豆七条町の鉦の刻印は「安永八巳亥年二月 伊豆七条村 勝福寺什物 京室町住出羽宗味作」であった。
1779年の製作である。
奈良市の今市、南田原町にも同製作者名の鉦があるが、いずれも製作年代がみられない。
額田部町の地福寺が所有していた六斎鉦には「天下一宗味」の製作者名がある。
おそらく室町住出羽大掾宗味と同一人物であろう。
その鉦の製作は慶安二年(1649)年である。
これら同一作者名の鉦から石川町の観音堂にあった鉦は300年以上に亘って使われていたと推定されるのである。
もう少し大き目の鉦も三本足をもつ鉦の足部の直径は16cmで打ち部は12cmだった。
それには「文化八辛未年(1811)十二月」、「石川村惣中」の刻印があった。
三本足をもつ鉦は置いて叩く鉦。いわゆる伏鉦である。
鉦の刻印を調査することで、旧村の歴史を知った観音講の人たち。
感心しながら所見した事実に驚かれていた。
かつて観音堂には安寿さんが住んでいた。
「涅槃さんの日は世話をしてくれていた。当時は年寄り衆がお供えをしていた。家で炊いたイロゴハンをよばれていた。そのころの涅槃さんは夜の営みだった。今では集まりやすい昼になった」と話す。
その後の昭和63年に観音堂を建て替えて新しくなった。
石川町の観音講は20人ほどであるが、涅槃図を所有しているのは北垣内の6軒だ。
村で亡くなった家の「中タイヤ」、「アガリタイヤ」の際には涅槃図を、その家に掲げて西国三十三番ご詠歌・般若心経・黒谷和讃を唱えていると話す。
かつては49日の期間、毎日に掲げていたそうだ。
一方、南垣内では涅槃図でなく、「マクラ念仏」の掛軸を掲げて念仏を唱えていると云う。
「マクラ念仏」の掛軸は南垣内の数軒で所有しているらしいが、この日お会いした観音講中にはおられなかった。
石川町の観音講の行事は、この日の涅槃さんの他、8月の十日盆、9月の彼岸の入り、12月は一年を感謝するお礼念仏をしていると話す。
「マクラ念仏」を含めて、尋ねてみたいものである。

この日掲げていた涅槃図を拝見したところ、西町と同様にお釈迦さん周りにいる僧侶は同じように涙ぐんで眼が赤くなっていた。
翌日にお伺いした奈良市阪原の南明寺の涅槃図も同じである。
住職は「ここだけや」と云っていたが、そうでもないように思えた。
(H26. 3.15 EOS40D撮影)