檀家総代に教えてもらった北出来迎阿弥陀磨崖仏。
北出橋付近にある対岸に彫られた磨崖仏は南北朝時代前期の文和五年(1356)の作らしい。

深い部分まで彫ってある磨崖仏。
拝見するに、劣化はそれほどでもないようだ。
檀家総代の話によれば宮さんに参ってから石仏の前で富士講の作法をして、会所でお籠りをしているらしいということだ。
講中は7軒。
かつての籠りは夜半までだった。
今では短時間に済ましているようだと話す。
いずれ尋ねてみなければと思った。
ここら辺りで佇んでいたら北出橋傍に3体の双体石仏が見つかった。
道祖神であろうか。

北出橋の傍らに祀られた石仏のお顔が愛おしい。
石仏右横には一本の竹が立ててあった。
先端部分に乾涸びたダイコンが残っていた。
姿・形からおそらく葬送に立てたチョーローソクであろう。
道向かいの場にも一本あったから間違いないだろう。
訪れて知る阪原の民俗。
マツリの田楽、神事スモウ以外に大師講・十九夜講・富士講などの講中の存在を知った日は葬送の一部も確認させてもらった。
(H26. 3.16 EOS40D撮影)
北出橋付近にある対岸に彫られた磨崖仏は南北朝時代前期の文和五年(1356)の作らしい。

深い部分まで彫ってある磨崖仏。
拝見するに、劣化はそれほどでもないようだ。
檀家総代の話によれば宮さんに参ってから石仏の前で富士講の作法をして、会所でお籠りをしているらしいということだ。
講中は7軒。
かつての籠りは夜半までだった。
今では短時間に済ましているようだと話す。
いずれ尋ねてみなければと思った。
ここら辺りで佇んでいたら北出橋傍に3体の双体石仏が見つかった。
道祖神であろうか。

北出橋の傍らに祀られた石仏のお顔が愛おしい。
石仏右横には一本の竹が立ててあった。
先端部分に乾涸びたダイコンが残っていた。
姿・形からおそらく葬送に立てたチョーローソクであろう。
道向かいの場にも一本あったから間違いないだろう。
訪れて知る阪原の民俗。
マツリの田楽、神事スモウ以外に大師講・十九夜講・富士講などの講中の存在を知った日は葬送の一部も確認させてもらった。
(H26. 3.16 EOS40D撮影)