子供の涅槃が行われている東山中。
これまで奈良市の矢田原町、須山町、大野町、日笠町や天理市の藤井町、山添村の勝原の行事を拝見してきた。
その他の地域においても行われているやに聞いているが、行事日は特定日でなく、大体が春休み期間中で子供が日程を決めている。
毎年替るだけに予め尋ねておかねばならない。
もしかと思って探していた奈良市田原の里の横田町。
ここら辺りだろうと思っていたが地図をもっていないから判らない。
須山町、矢田原町、和田町、中之庄町、大野町、日笠町、沓掛町、茗荷町などを巡っていたが見つからない。
そう思って停車した信号。
田原の里辺りの案内地図があった。
見上げてみれば信号に「田原横田」とある。
ここだったのか。
しょっちゅう通る道が何故に気がつかなかったのだろうか。
行事の場はおそらく白山神社の会所。
その神社は案内地図に書かれていない。
すぐ近くだろうと思うが判らない。
仕方なくすぐ近くのお店におられた婦人に尋ねた結果は「あそこ」だと云う。
道路からすぐ近くにあった白山神社。
境内には数台の車が停まっている。
会合をしているらしいが、まずは神社にお参り。
そうしておれば会所から男性が出てこられた。
おそらく不審者であろうと思って声をかけられたのであろう。
男性が話した「ねはんこう」。
かつては西地区と東地区に分かれて行われていた。
中学生の子供が村を巡ってお金を集めていた。
少子化によって随分と子供の数が減ったと話す。
行事の場はそれぞれの地区のヤドの家。
昼食・夜食にだされるイロゴハン、シロゴハン、セキハン、串団子、カマボコなどを食べていた。
夜遅くまで遊んでいた。
少子化となった20年ほど前からはヤド家でなく、会所に集まる合同体になった。
食事は子供が好きなカレーライスに替った。
お金集めは小さな子供にも分けあう。
年長者は多めになるようだと話すお金集めは西・東で競い合っていたようだ。
神社にヒサカキをおましていたと話す男性。
2月と6月、9月の28日の夜には大日籠りをすると云う。
念仏を唱えて語り合う籠りの夜は村のコミュニケーションの場になるそうだ。
白山神社は六人衆が勤めている。
毎月1日は清掃されている六人衆。
マツリに斎主を勤めているのは北森宮司。
誓多林町や長谷町の神社造営などでお世話になった宮司さんだ。
話を伺った男性は同性。
もしやと思って伝えた宮司さんの名。
なんと弟さんであったのだ。
奇遇な出合いである。
話しをしている際に目に入った十九の文字がある石仏。
これも気になって尋ねた結果は十九夜さんだった。
石仏は如意輪観音さんで、3月19日に婦人たちが参っているという。
この日は道造りを終えて村の総会。
忙しい合間に教えていただいたことに感謝する。
総会が終わってから自治会長に取材の旨を伝えると話していた。
それから数時間後に電話が鳴った。
自治会長からの電話である日程は決まっているが、始まる時間は両地区のヤドで決めるそうだ。
教えてくださった男性もその1軒。
担っているのはもう一人の婦人。
数日後には決まるのでお許しをいただいて電話をすることになるだろうが、子供たちの顔を公開することは厳禁であると伝えられた。
(H26. 3.23 SB932SH撮影)
これまで奈良市の矢田原町、須山町、大野町、日笠町や天理市の藤井町、山添村の勝原の行事を拝見してきた。
その他の地域においても行われているやに聞いているが、行事日は特定日でなく、大体が春休み期間中で子供が日程を決めている。
毎年替るだけに予め尋ねておかねばならない。
もしかと思って探していた奈良市田原の里の横田町。
ここら辺りだろうと思っていたが地図をもっていないから判らない。
須山町、矢田原町、和田町、中之庄町、大野町、日笠町、沓掛町、茗荷町などを巡っていたが見つからない。
そう思って停車した信号。
田原の里辺りの案内地図があった。
見上げてみれば信号に「田原横田」とある。
ここだったのか。
しょっちゅう通る道が何故に気がつかなかったのだろうか。
行事の場はおそらく白山神社の会所。
その神社は案内地図に書かれていない。
すぐ近くだろうと思うが判らない。
仕方なくすぐ近くのお店におられた婦人に尋ねた結果は「あそこ」だと云う。
道路からすぐ近くにあった白山神社。
境内には数台の車が停まっている。
会合をしているらしいが、まずは神社にお参り。
そうしておれば会所から男性が出てこられた。
おそらく不審者であろうと思って声をかけられたのであろう。
男性が話した「ねはんこう」。
かつては西地区と東地区に分かれて行われていた。
中学生の子供が村を巡ってお金を集めていた。
少子化によって随分と子供の数が減ったと話す。
行事の場はそれぞれの地区のヤドの家。
昼食・夜食にだされるイロゴハン、シロゴハン、セキハン、串団子、カマボコなどを食べていた。
夜遅くまで遊んでいた。
少子化となった20年ほど前からはヤド家でなく、会所に集まる合同体になった。
食事は子供が好きなカレーライスに替った。
お金集めは小さな子供にも分けあう。
年長者は多めになるようだと話すお金集めは西・東で競い合っていたようだ。
神社にヒサカキをおましていたと話す男性。
2月と6月、9月の28日の夜には大日籠りをすると云う。
念仏を唱えて語り合う籠りの夜は村のコミュニケーションの場になるそうだ。
白山神社は六人衆が勤めている。
毎月1日は清掃されている六人衆。
マツリに斎主を勤めているのは北森宮司。
誓多林町や長谷町の神社造営などでお世話になった宮司さんだ。
話を伺った男性は同性。
もしやと思って伝えた宮司さんの名。
なんと弟さんであったのだ。
奇遇な出合いである。
話しをしている際に目に入った十九の文字がある石仏。
これも気になって尋ねた結果は十九夜さんだった。
石仏は如意輪観音さんで、3月19日に婦人たちが参っているという。
この日は道造りを終えて村の総会。
忙しい合間に教えていただいたことに感謝する。
総会が終わってから自治会長に取材の旨を伝えると話していた。
それから数時間後に電話が鳴った。
自治会長からの電話である日程は決まっているが、始まる時間は両地区のヤドで決めるそうだ。
教えてくださった男性もその1軒。
担っているのはもう一人の婦人。
数日後には決まるのでお許しをいただいて電話をすることになるだろうが、子供たちの顔を公開することは厳禁であると伝えられた。
(H26. 3.23 SB932SH撮影)