大淀町大岩・「きまぐれや」の店内ギャラリーに、初の写真展を設営し終わったとき。
様子伺いに来てくださった区長のKさん。
4pw版写真が8枚。
プラスした2Lサイズも並べて展示した写真展。
その中の1枚に伝えたかった思いをKさんに語った民俗。
そのことがきっかけにすぐさま動いてくださった対談・講演会の案内。
行動力の素早さによろしくお願いされた案内は、地区はもちろん活動状況を逐一伝えているFBにも・・。
受付は、午前9時半。
遅れないように朝早くに自宅を出発したが、到着は受付の10分前だった。
喫茶きまぐれやの階段を登ったそこに案内を掲示していた。
「 「きまぐれや」の店内ギャラリーで「きまぐれや写真展2020 リ・ビュー」展を開いている民俗写真家の田中眞人さんと、大淀町教育委員会学芸員の松田度さんをお招きして、「民俗行事を語る会」を開催します。地域に残っている伝統的民俗行事を見つめ直す機会にできればと思います。どうぞお気軽に足を運んでください。 」に、気が引き締まる。
「民俗行事を語る会」は、二部構成。
はじめに松田度さんが語る「おおよど遺産に見る民俗行事」。
次が会談である。
聞き手の松田度さんがリードに、私は、存知する範囲の中から民俗を引き出して語らう。
進行は、区長のKさん。
新型コロナウイルス対策を施した喫茶きまぐれや。
急遽用意してくださった消毒液に消毒綿。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/66/4d/653b144c37a111fd6e04f0bed0509545.jpg)
会場入りに、必ず手を綺麗に消毒していただく。
松田度さんが語るミニ講演に欠かせないプロジェクター設営。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7a/f5/4a9a6c27885409705bac14bca2b455d5.jpg)
パソコンデータから映し出す映像を調整されていた。
右横に座した男性は、大岩からすぐ近くの高取町丹生谷在住のNさん。
何かとお世話になっているNさんは、松田さんも小西さんとも親交があり、共に行動されることもある。
そして、もうひと方も来場された。
この年初めて県立民俗博物館事業の「私がとらえた大和の民俗」写真展に参加してくださったUさんの顔も。
Uさんもまた松田度さんをよく存じている知人関係にある。
続々と会場にやってきた近隣在住の人たち。
御所市、吉野町などなど。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/12/05/f08695d0d9622aef15e27a9bd4f6ebdf.jpg)
たくさんの人たちが集まってくださった。
和やかな雰囲気に包まれた会場。
その様子を松田度さんが、Uさんが、そして講演終了後に名刺交換してくださったOさんも。
さまざまな視点でとらえてくれた投稿に感謝する。
松田度さんが揚げたFB投稿。
「持続可能な地域づくりに欠かせないのが、守り伝えてきた地域の民俗行事の価値を、みんなでしっかりと理解しあえる集い。ワンドリンク制もお店に貢献できる。主催者の意図も明確。何よりも、民俗写真家・田中眞人さんの気持ちがあふれていた。誰もが楽しめるひととき。」をコメントしてくださった。
午後1時からの民博解説があるのに来てくれた奈良民俗写真の会のUさんは「大淀町教育委員会学芸員の松田度さんが大岩に残る地域遺産や民俗行事についてプロジェクターを活用しながら講演していただき、その後民俗写真家の田中眞人さんと松田さんの対談形式で県内の民俗行事について話していただきました。お二人の話す口調・ペースは対照的でしたが、二人の想いは会場に集まった方々に伝わったと思います。自分が住んでいる身近な地域にこんなのが残っているんだと知り、関心を高めるいいきっかけになったのではないかと思います。」をコメントされた。
そして、地域活動されているOさんは「民俗写真家の田中眞人さんと大淀町教育委員会学芸員の松田度さんの話は興味深い内容でした。ロマン溢れる雰囲気の集いでした💕💕 このような企画が町内の各地区で実施できて、近隣の町村の皆さんとも自然な形で交流が拡がればいいですね。住民パワーで町を動かしましょう。」
みなさんのありがたいお言葉に益々精進していかねば・・と思った時間だった。
この場を借りて感謝申しあげる次第だ。
なお、語る会の催しが終ってからも民俗に関するさまざまな話題や情報を教えてくださった。
区長のKさんからは、「春になれば家族同士が弁当をもって山の尾根に出かけて花見をしていた」と。
そのときの行事名は、たぶんに“レンゾ”と呼んでいたのであろう。“レンゾ”は“レンド”が訛ったと推定し、漢字の“連道”を充てる学者さんもおられるが、花見に集まる状態からとらえた“連座(※れんざ)”から訛ったのでは、と伝えた。
また、「伊勢講の古文書が家にあり、先々代より古い小西ジンエモンの名が見みられる。地蔵尊がある地の小字はザトウ谷、近くにドウノマエがある」との情報も。
他所で拝見させてもらった講中記録は旅の行程とか費用面などを記した事例がある。
K家が保管する伊勢講古文書を精査しないとわからないが、とても貴重な史料になろう。
小字名は、仮に推定できる範囲内で漢字を充ててみると、その地が見えてくる場合もある。
ザトウ谷は、「座頭谷」が考えられる。
他所になるが、有馬温泉にからむ湯治者の座頭が迷い込んだから座頭谷を称するようになったとかいう地域例も参考になる。
小字ドウノマエは、「堂の前」。
たぶんにお堂が建っていたお寺さんの前の地。
他所の事例に「ドウニシ」が訛った「ドニシ」は、「堂の西」だった。
「ドノウエ」は「ドウノウエ」が訛ったもの。
だから「堂の上」が所在地である。
これらはわかりやすい。
Kさんの奥さんも話してくださった。
「円照寺近くの奈良市山町。地元では、山町を下山と上山があり、上山の行事に白の袴着用の六人衆が日の丸御幣をもち、お渡りする際に“トーリン トーリン ワッファーイ もうひとつ笑いましょう ワッハッハ-”を唱和する。」
上山は、奈良市山村町。神社は、平成20年、21年の9月1日に取材した八朔祭が行われた御霊神社。唱和されるのは秋祭りのお渡りのようだ。
隣村になる下山の八坂神社で行われた行事に当家祭がある。
平成18年、21年の10月取材したお渡りに「トーニン、トーニン、ワッハッハーイ」があった。
奈良県内の盆地、平たんにある地域行事に度々耳にする唱和の詞章は、まったく同じというケースは見当たらない。
是非とも取材させていただきたい山村御霊神社の秋まつりであるが、新型コロナ対策にやきもきする今年はたぶんに中止されるだろう。
以前、おふくろが私に話していたサンキラを伝えたら、なんと、奥さんが出里の帯解界隈でも白い餅の”団子”をサンキラに挟んで食べていた、という。
サンキラは、山野に自生するつる性のサルトリイバラ科の植物名。
充てる漢字は、「山帰来(※さんきらい)」。
秋には青や真っ赤な実がつく。
甘い団子を塩漬けしておいたサンキラの葉に挟んで食べる。
香りの食文化に和菓子屋さんが提供する「山帰来(さんきらい)」が、94歳のおふくろの故郷、大阪南河内郡滝谷不動と奈良の帯解を線で結んでくれた。
話してくれた奥さん。
今ではそのサンキラこと“サルトリイバラ”の赤、青などの実を絵に描いている、という。
久しぶりに顔を合わせた高取町丹生谷に住むNさん。
奥さんの実家は宇陀水分神社前通りにある民家。
座敷にある神棚は特殊な構造。
提供してくれた張りだし神棚映像は、中山町のとんど行事に出会った男性の家と同じ形式だったことから掲載許可を得て、民俗の一例として紹介させてもらった。
住まいする地元で議員活動されているOさんが、話しかけてくれたそれは長距離サイクリング。
Oさんは、自宅から十津川村までサイクリングした経験がある。
私も若干であるが長距離サイクリングは体験したことがある。
民俗ではないが、共通する体験は話が弾む。
また、大日さんの雨ごいの泥水地発見者でもあるMさんもおられる。
橿考研や唐古などのボランテイア活動に大淀文化調査会の活動も・・。
大日さんの雨ごい井戸に案内してくださったMさん。
特別に参加させてもらった「ふるさと大岩の歴史を語る会」に、Mさんは元売薬家だったことから保存していた携行用簡易天秤、薬箱、薬製造道具(薬研)、看板、台帳文書、売薬を詰めて販売していた柳行李など薬の民俗を見せてくださった。
そのMさん。
本日、解説したオツキヨウカの黄色い花。
「それはヤマブキや・・」で、と指摘してくださった。
かつて大岩にもあったオツキヨウカの民俗を体験していた方だった。
他にもわざわざ自己紹介してくださった天川村議員のZさん、FBリンクをお願いされた町役場勤めのNさんらも・・。
また、今回行われた大岩きまぐれやに民俗行事を語らう会を新聞記事に取り上げてくださったN記者からは、屋根の民俗の質問を受けた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/29/68/83bed0fb98129b41dbb9bbe4de48c555.jpg)
「茅葺き替えに取材した新庄の家では葺き替えた屋根に藁を挿した・・・しばらくして切ったという習俗は神が降りる依り代と思っている・・・がどうか。」である。
私が、これまで見聞きした民俗に聞いたことのないあり方である。
県内事例にまだまだ知らない習俗は、制限のないくらいに多いと思う。
されている人の信仰にも左右されるケースも考えられる。
鯉のぼりの支柱に神が降りるという考えをもつ人もおられようが、はじまりは無病息災を祈願するものだった。
江戸時代になれば、誕生した男児を神さんに知らせる意味が付加された。
県内事例に、葉付きの支柱を立てるお家が、少なからずある。
伝統を紡いできた家長が祝う子孫繁栄。
家長を継ぐ長男が生まれたときに立てる支柱は、檜とか杉の葉を付けた一本木。
所有地に植生する木材を用途に支柱を立てる。
翌年には伐り落として矢車に取り換える習俗事例は、数は少なくなったが、今も継承しているお家もある。
天頂に残した檜の葉、杉の葉に神が降りる依り代のような・・・と考えてもよさそうだが・・・新庄の一例だけでは判断し難く、なんともいえないと回答した。
対談後に来店された桜井在住の若夫婦。
8カ月目に入った乳児を抱えるご夫婦には簡単に解説を加えた。
喫茶きまぐれやの閉店時間までは、まだ十分に余裕がある。
オーナーに注文したスペシャルランチができあがるまではまだ時間がある。
その時間を活用し、展示した行事写真の一部、特徴のある行事を中心にお話した。
そして、松田度さん、KさんにNさんは、予定していた索道調査に向かわれた。
直近になって発見された大岩の索道。
鉱石を運んでいたと推測される遺跡候補であるが、その場はパークゴルフ場内にあるらしく、許可取りが難しかった、という。
3人はあたかもゴルフをしているように見せかけるため、それなりの恰好に身を構え、ゴルフカートに乗って現場に行くそうだ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/47/b4/5804c72869138d35e7553890d23a7ff5.jpg)
「民俗行事を語らう」に、直接関係する大岩の行事ではなかったが、興味をもってくださった方、多数。
ありがたい評価をいただき、この場を借りて感謝申し上げます。
(R2. 2.24 SB805SH撮影)
様子伺いに来てくださった区長のKさん。
4pw版写真が8枚。
プラスした2Lサイズも並べて展示した写真展。
その中の1枚に伝えたかった思いをKさんに語った民俗。
そのことがきっかけにすぐさま動いてくださった対談・講演会の案内。
行動力の素早さによろしくお願いされた案内は、地区はもちろん活動状況を逐一伝えているFBにも・・。
受付は、午前9時半。
遅れないように朝早くに自宅を出発したが、到着は受付の10分前だった。
喫茶きまぐれやの階段を登ったそこに案内を掲示していた。
「 「きまぐれや」の店内ギャラリーで「きまぐれや写真展2020 リ・ビュー」展を開いている民俗写真家の田中眞人さんと、大淀町教育委員会学芸員の松田度さんをお招きして、「民俗行事を語る会」を開催します。地域に残っている伝統的民俗行事を見つめ直す機会にできればと思います。どうぞお気軽に足を運んでください。 」に、気が引き締まる。
「民俗行事を語る会」は、二部構成。
はじめに松田度さんが語る「おおよど遺産に見る民俗行事」。
次が会談である。
聞き手の松田度さんがリードに、私は、存知する範囲の中から民俗を引き出して語らう。
進行は、区長のKさん。
新型コロナウイルス対策を施した喫茶きまぐれや。
急遽用意してくださった消毒液に消毒綿。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/66/4d/653b144c37a111fd6e04f0bed0509545.jpg)
会場入りに、必ず手を綺麗に消毒していただく。
松田度さんが語るミニ講演に欠かせないプロジェクター設営。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7a/f5/4a9a6c27885409705bac14bca2b455d5.jpg)
パソコンデータから映し出す映像を調整されていた。
右横に座した男性は、大岩からすぐ近くの高取町丹生谷在住のNさん。
何かとお世話になっているNさんは、松田さんも小西さんとも親交があり、共に行動されることもある。
そして、もうひと方も来場された。
この年初めて県立民俗博物館事業の「私がとらえた大和の民俗」写真展に参加してくださったUさんの顔も。
Uさんもまた松田度さんをよく存じている知人関係にある。
続々と会場にやってきた近隣在住の人たち。
御所市、吉野町などなど。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/12/05/f08695d0d9622aef15e27a9bd4f6ebdf.jpg)
たくさんの人たちが集まってくださった。
和やかな雰囲気に包まれた会場。
その様子を松田度さんが、Uさんが、そして講演終了後に名刺交換してくださったOさんも。
さまざまな視点でとらえてくれた投稿に感謝する。
松田度さんが揚げたFB投稿。
「持続可能な地域づくりに欠かせないのが、守り伝えてきた地域の民俗行事の価値を、みんなでしっかりと理解しあえる集い。ワンドリンク制もお店に貢献できる。主催者の意図も明確。何よりも、民俗写真家・田中眞人さんの気持ちがあふれていた。誰もが楽しめるひととき。」をコメントしてくださった。
午後1時からの民博解説があるのに来てくれた奈良民俗写真の会のUさんは「大淀町教育委員会学芸員の松田度さんが大岩に残る地域遺産や民俗行事についてプロジェクターを活用しながら講演していただき、その後民俗写真家の田中眞人さんと松田さんの対談形式で県内の民俗行事について話していただきました。お二人の話す口調・ペースは対照的でしたが、二人の想いは会場に集まった方々に伝わったと思います。自分が住んでいる身近な地域にこんなのが残っているんだと知り、関心を高めるいいきっかけになったのではないかと思います。」をコメントされた。
そして、地域活動されているOさんは「民俗写真家の田中眞人さんと大淀町教育委員会学芸員の松田度さんの話は興味深い内容でした。ロマン溢れる雰囲気の集いでした💕💕 このような企画が町内の各地区で実施できて、近隣の町村の皆さんとも自然な形で交流が拡がればいいですね。住民パワーで町を動かしましょう。」
みなさんのありがたいお言葉に益々精進していかねば・・と思った時間だった。
この場を借りて感謝申しあげる次第だ。
なお、語る会の催しが終ってからも民俗に関するさまざまな話題や情報を教えてくださった。
区長のKさんからは、「春になれば家族同士が弁当をもって山の尾根に出かけて花見をしていた」と。
そのときの行事名は、たぶんに“レンゾ”と呼んでいたのであろう。“レンゾ”は“レンド”が訛ったと推定し、漢字の“連道”を充てる学者さんもおられるが、花見に集まる状態からとらえた“連座(※れんざ)”から訛ったのでは、と伝えた。
また、「伊勢講の古文書が家にあり、先々代より古い小西ジンエモンの名が見みられる。地蔵尊がある地の小字はザトウ谷、近くにドウノマエがある」との情報も。
他所で拝見させてもらった講中記録は旅の行程とか費用面などを記した事例がある。
K家が保管する伊勢講古文書を精査しないとわからないが、とても貴重な史料になろう。
小字名は、仮に推定できる範囲内で漢字を充ててみると、その地が見えてくる場合もある。
ザトウ谷は、「座頭谷」が考えられる。
他所になるが、有馬温泉にからむ湯治者の座頭が迷い込んだから座頭谷を称するようになったとかいう地域例も参考になる。
小字ドウノマエは、「堂の前」。
たぶんにお堂が建っていたお寺さんの前の地。
他所の事例に「ドウニシ」が訛った「ドニシ」は、「堂の西」だった。
「ドノウエ」は「ドウノウエ」が訛ったもの。
だから「堂の上」が所在地である。
これらはわかりやすい。
Kさんの奥さんも話してくださった。
「円照寺近くの奈良市山町。地元では、山町を下山と上山があり、上山の行事に白の袴着用の六人衆が日の丸御幣をもち、お渡りする際に“トーリン トーリン ワッファーイ もうひとつ笑いましょう ワッハッハ-”を唱和する。」
上山は、奈良市山村町。神社は、平成20年、21年の9月1日に取材した八朔祭が行われた御霊神社。唱和されるのは秋祭りのお渡りのようだ。
隣村になる下山の八坂神社で行われた行事に当家祭がある。
平成18年、21年の10月取材したお渡りに「トーニン、トーニン、ワッハッハーイ」があった。
奈良県内の盆地、平たんにある地域行事に度々耳にする唱和の詞章は、まったく同じというケースは見当たらない。
是非とも取材させていただきたい山村御霊神社の秋まつりであるが、新型コロナ対策にやきもきする今年はたぶんに中止されるだろう。
以前、おふくろが私に話していたサンキラを伝えたら、なんと、奥さんが出里の帯解界隈でも白い餅の”団子”をサンキラに挟んで食べていた、という。
サンキラは、山野に自生するつる性のサルトリイバラ科の植物名。
充てる漢字は、「山帰来(※さんきらい)」。
秋には青や真っ赤な実がつく。
甘い団子を塩漬けしておいたサンキラの葉に挟んで食べる。
香りの食文化に和菓子屋さんが提供する「山帰来(さんきらい)」が、94歳のおふくろの故郷、大阪南河内郡滝谷不動と奈良の帯解を線で結んでくれた。
話してくれた奥さん。
今ではそのサンキラこと“サルトリイバラ”の赤、青などの実を絵に描いている、という。
久しぶりに顔を合わせた高取町丹生谷に住むNさん。
奥さんの実家は宇陀水分神社前通りにある民家。
座敷にある神棚は特殊な構造。
提供してくれた張りだし神棚映像は、中山町のとんど行事に出会った男性の家と同じ形式だったことから掲載許可を得て、民俗の一例として紹介させてもらった。
住まいする地元で議員活動されているOさんが、話しかけてくれたそれは長距離サイクリング。
Oさんは、自宅から十津川村までサイクリングした経験がある。
私も若干であるが長距離サイクリングは体験したことがある。
民俗ではないが、共通する体験は話が弾む。
また、大日さんの雨ごいの泥水地発見者でもあるMさんもおられる。
橿考研や唐古などのボランテイア活動に大淀文化調査会の活動も・・。
大日さんの雨ごい井戸に案内してくださったMさん。
特別に参加させてもらった「ふるさと大岩の歴史を語る会」に、Mさんは元売薬家だったことから保存していた携行用簡易天秤、薬箱、薬製造道具(薬研)、看板、台帳文書、売薬を詰めて販売していた柳行李など薬の民俗を見せてくださった。
そのMさん。
本日、解説したオツキヨウカの黄色い花。
「それはヤマブキや・・」で、と指摘してくださった。
かつて大岩にもあったオツキヨウカの民俗を体験していた方だった。
他にもわざわざ自己紹介してくださった天川村議員のZさん、FBリンクをお願いされた町役場勤めのNさんらも・・。
また、今回行われた大岩きまぐれやに民俗行事を語らう会を新聞記事に取り上げてくださったN記者からは、屋根の民俗の質問を受けた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/29/68/83bed0fb98129b41dbb9bbe4de48c555.jpg)
「茅葺き替えに取材した新庄の家では葺き替えた屋根に藁を挿した・・・しばらくして切ったという習俗は神が降りる依り代と思っている・・・がどうか。」である。
私が、これまで見聞きした民俗に聞いたことのないあり方である。
県内事例にまだまだ知らない習俗は、制限のないくらいに多いと思う。
されている人の信仰にも左右されるケースも考えられる。
鯉のぼりの支柱に神が降りるという考えをもつ人もおられようが、はじまりは無病息災を祈願するものだった。
江戸時代になれば、誕生した男児を神さんに知らせる意味が付加された。
県内事例に、葉付きの支柱を立てるお家が、少なからずある。
伝統を紡いできた家長が祝う子孫繁栄。
家長を継ぐ長男が生まれたときに立てる支柱は、檜とか杉の葉を付けた一本木。
所有地に植生する木材を用途に支柱を立てる。
翌年には伐り落として矢車に取り換える習俗事例は、数は少なくなったが、今も継承しているお家もある。
天頂に残した檜の葉、杉の葉に神が降りる依り代のような・・・と考えてもよさそうだが・・・新庄の一例だけでは判断し難く、なんともいえないと回答した。
対談後に来店された桜井在住の若夫婦。
8カ月目に入った乳児を抱えるご夫婦には簡単に解説を加えた。
喫茶きまぐれやの閉店時間までは、まだ十分に余裕がある。
オーナーに注文したスペシャルランチができあがるまではまだ時間がある。
その時間を活用し、展示した行事写真の一部、特徴のある行事を中心にお話した。
そして、松田度さん、KさんにNさんは、予定していた索道調査に向かわれた。
直近になって発見された大岩の索道。
鉱石を運んでいたと推測される遺跡候補であるが、その場はパークゴルフ場内にあるらしく、許可取りが難しかった、という。
3人はあたかもゴルフをしているように見せかけるため、それなりの恰好に身を構え、ゴルフカートに乗って現場に行くそうだ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/47/b4/5804c72869138d35e7553890d23a7ff5.jpg)
「民俗行事を語らう」に、直接関係する大岩の行事ではなかったが、興味をもってくださった方、多数。
ありがたい評価をいただき、この場を借りて感謝申し上げます。
(R2. 2.24 SB805SH撮影)