今年が最後になった写真展。
奈良県文化会館で4日間開催の第2回フォトクラブ矢野写真展を拝見する。
しごく感動した大きな写真は東吉子さんの「不思議な映像の竹取物語」。
その他にもあるある大型写真は感動もん。
佐々木哲哉さんの「行列」、佐野守正さんの「夕暮れ」、西川眞人さんの「杜の静観」、南田祐子さんの「安らぎ」、山内豊さんの「梅匂う」、油谷洋子さんの「黎明」。
時間たっぷりかけて観ていた。
ふと目を落としたテーブルに置いてあった豪華本。
昭和43年3月1日、三彩社刊の「お水取り」は入江泰吉作品集。頁を捲ったなかに書いてあった、笹谷良蔵筆の「12本の棒」。
旧暦閏年の場合は13本、と記載していた。
これもまた民俗なり。
旧暦閏年の月数である。
江戸時代までは旧暦。
大の月がある閏年なら13の月数。
で、なければ12の月数。
現在は新暦だから、毎年が同じの12の月数。
“13”の数があれば、間違いなく江戸時代以前を推定できる。
今も続く村行事にも、旧暦大の月数が“13”にさまざまな形態で表現されている。
その形態事例はあまりにも多いので、ここでは述べないが・・・。
笹谷良蔵筆の「12本の棒」は、毎年行われている東大寺二月堂の修二会。
そう人々が、その炎が上がってくる松明に歓声をあげる。
ぐるっと廻したときも大歓声。
現在は、10本(※3月12日に限り11本)の松明に歓声を挙げるのだが、旧暦の年であれば松明は13本であった。
また、上堂する練行衆もまた同じように、例年は12人(※現在は11人)で旧暦閏年は13人だった江戸時代の記憶(記録)は、観客たちに伝わっていない。
旧暦閏年に没頭していた会場にさよなら、を伝えて出ようとしたら、お声がかかった。
時間あるなら、ちょっとの20分にコーヒーのお誘い。
お声をかけてくださったのは、大迫力の写真を展示していた西川眞人さん。
積もる話があったのだろう。
コーヒーも、自家製ワンコインランチ弁当も飲食できる場は、文化会館館内の交流サロン。
実は、2月9日に、私も参加している”~大和の民俗を撮る写真の会~”が展示する写真展に行ってきた、という。
今回の展示で9回目。
8回目までの展示会場は県立民俗博物館内の玄関ロビーだった。
耐震工事の関係もあり、今回は初の民俗博物館施設の古民家利用。
茅葺き古民家での展示は、私どもみなが感動した会場。
素晴らしい展示会場に相応しい民俗写真に感銘を受けた、と西川さんが伝えてくれた。
ありがたいお言葉である。
当日は、会場に詰めておられた写真家さんに図録をいただいたそうだ。
浦聡さんがとらえた旧西吉野村永谷の“ハデカケ”は和歌山放送のテレビを見て出かけたことがあるという。
西川さんが、6年前に訪れた永谷は、私も訪れ、“ハデカケ”を取材していた。
最奥に住むおじいさん、おばあさんがハデカケしているところを撮らせてもらった。
おじいさんは、ハデに上がって、足をこう組んで落ちないように構えていた。
おばあさんが下から投げる刈り取った稲束は手を伸ばして空中で受け、すぐさま架ける。
その最奥から向こうは、野迫川村に行きつく道がある。
また、大塔阪本に抜ける街道の途中にある富貴地区もまた同じ構造物があり、稲掛けをして干していた、という。
えっ、である。なんと、富貴地区もまた同じ構造物があり、ハデカケをしていた、というからには、早いうちに訪れて調査しなければならない。
西川さんが、四国の香川に出かけた農村。
道なき道を走ったその場は田園が拡がっていた。
そこにポツンと立つ石柱があった。
その景観が素晴らしく写真に収めていた地はすぐ近くに高知県があった。
県境にある村のようだが地名は知らない。
話してくださる、その石柱は“田の神さん”かも・・、と思った次第。
度々出かける鳥取の地に大とんどがある。
集落は近くにあり、とんど焼きの前日に地区の子供たちがパンツいっちょうの裸姿でとんど周りを一周してから集落を巡って祝儀もらい。
そして、とんど周りを歩いて再び集落で祝儀もらい。
これを3周繰り返す話題に奈良県内の聞き取り事例に山へ行って雑木を集めてとんどを組んでいた子どもたちのことを思い出した。
また、明日香村にすごく近い桜井市・山田のカンピョウ干しも話題にあがった。
そのカンピョウ干しをしていた高齢者が気になっている。
昨年も訪れたが干している気配はなかったので心配していると話した。
そのカンピョウで思い出された西川さんが子供のころの話し。
住んでいた家でカンピョウ干しをして筒井駅前の市場に出して売っていた、と・・・。
西川さんが、16歳からトヨタに勤務する24歳までのころである。
家族総出で作って売っていたカンピョウ。
栽培していたゆうがおの実は夕方までに収穫、作業場に運んだ。
晩食を食べ終わってから皮むき作業をする。
板間に半床に土間。
土間は筵を敷いて皮むきをし、朝になれば滑車のある竿に干していた。
竿は展示写真と同じ形式。
竿は麦わらを巻き、干したカンピョウがくっつかないようにしていた。
当時のお家はどこであるのか。
聞いてみたら、なんと大和郡山の筒井町。
当家は松田家を名乗る武家であった。
それも筒井家の家臣団に属していた松田家。
筒井に住んでおられたなら大晦日に砂を撒いたことはあるのでは、と尋ねたら、まさにドンピシャ。
砂を撒いて家に入って砂の道。
家の外の道にも撒いていた東垣内の八幡神社(※現オークワ筒井北店)に参ってから北垣内に鎮座する菅田比売神社に参っていた。
菩提寺は筒井順慶を祭る光専寺。
筒井町で唯一、今でも砂の道をされているお家を取材したことがある。
そのお家は元酒販店と云えば、即答された“M家”。
実はM家から嫁入りされた。
その人は、当時当主だったMさん。
だから近い親戚になる。
Mさんは写真家井上博道さんとは大いに関係ある従弟さんにあたる、という。
私が砂の道を取材させていただいたのは息子さんのMさん。
父親がしてきた砂の道は2人の孫さんも手伝い、今後も継承されていくことだろう。
話題にあがったカンピョウ干しから砂の道。
西川さんとは、また、深いご縁繋がりに感動した日だった。
ちなみに余談なことだか・・
「奈良県産は市場にでることのない家庭に食されるのがほとんど。稀に道の駅に見たことありますがごく少量。スーパーにあるのは間違いなく中国産。日本産の多くは栃木県産ですが生産者の高齢化により、年々生産量は減少傾向。この先、日本産は消滅に向かっているのです。」
「平成30年(2018年)の都道府県別のかんぴょうの生産量(出荷量)ランキングを参考に・・・
数日後の20日も訪れたきまぐれやさん。
この日も美味しいスペシャルランチをいただいた。
ゆっくり寛げたきまぐれやさん。
気になる品物を求めて2階にあがる。
これこれ、スマートに使える装丁付きノートブック。
デザインがお気に入りの装丁付きノートブックは、主に取材記録ノートに使うポケット版。
難点は、メモった文字は、たぶんに小さくなることだろう。
(R2. 2. 8 SB805SH撮影)
(R2. 2.16 SB805SH撮影)
(R2. 2.20 SB805SH撮影)
奈良県文化会館で4日間開催の第2回フォトクラブ矢野写真展を拝見する。
しごく感動した大きな写真は東吉子さんの「不思議な映像の竹取物語」。
その他にもあるある大型写真は感動もん。
佐々木哲哉さんの「行列」、佐野守正さんの「夕暮れ」、西川眞人さんの「杜の静観」、南田祐子さんの「安らぎ」、山内豊さんの「梅匂う」、油谷洋子さんの「黎明」。
時間たっぷりかけて観ていた。
ふと目を落としたテーブルに置いてあった豪華本。
昭和43年3月1日、三彩社刊の「お水取り」は入江泰吉作品集。頁を捲ったなかに書いてあった、笹谷良蔵筆の「12本の棒」。
旧暦閏年の場合は13本、と記載していた。
これもまた民俗なり。
旧暦閏年の月数である。
江戸時代までは旧暦。
大の月がある閏年なら13の月数。
で、なければ12の月数。
現在は新暦だから、毎年が同じの12の月数。
“13”の数があれば、間違いなく江戸時代以前を推定できる。
今も続く村行事にも、旧暦大の月数が“13”にさまざまな形態で表現されている。
その形態事例はあまりにも多いので、ここでは述べないが・・・。
笹谷良蔵筆の「12本の棒」は、毎年行われている東大寺二月堂の修二会。
そう人々が、その炎が上がってくる松明に歓声をあげる。
ぐるっと廻したときも大歓声。
現在は、10本(※3月12日に限り11本)の松明に歓声を挙げるのだが、旧暦の年であれば松明は13本であった。
また、上堂する練行衆もまた同じように、例年は12人(※現在は11人)で旧暦閏年は13人だった江戸時代の記憶(記録)は、観客たちに伝わっていない。
旧暦閏年に没頭していた会場にさよなら、を伝えて出ようとしたら、お声がかかった。
時間あるなら、ちょっとの20分にコーヒーのお誘い。
お声をかけてくださったのは、大迫力の写真を展示していた西川眞人さん。
積もる話があったのだろう。
コーヒーも、自家製ワンコインランチ弁当も飲食できる場は、文化会館館内の交流サロン。
実は、2月9日に、私も参加している”~大和の民俗を撮る写真の会~”が展示する写真展に行ってきた、という。
今回の展示で9回目。
8回目までの展示会場は県立民俗博物館内の玄関ロビーだった。
耐震工事の関係もあり、今回は初の民俗博物館施設の古民家利用。
茅葺き古民家での展示は、私どもみなが感動した会場。
素晴らしい展示会場に相応しい民俗写真に感銘を受けた、と西川さんが伝えてくれた。
ありがたいお言葉である。
当日は、会場に詰めておられた写真家さんに図録をいただいたそうだ。
浦聡さんがとらえた旧西吉野村永谷の“ハデカケ”は和歌山放送のテレビを見て出かけたことがあるという。
西川さんが、6年前に訪れた永谷は、私も訪れ、“ハデカケ”を取材していた。
最奥に住むおじいさん、おばあさんがハデカケしているところを撮らせてもらった。
おじいさんは、ハデに上がって、足をこう組んで落ちないように構えていた。
おばあさんが下から投げる刈り取った稲束は手を伸ばして空中で受け、すぐさま架ける。
その最奥から向こうは、野迫川村に行きつく道がある。
また、大塔阪本に抜ける街道の途中にある富貴地区もまた同じ構造物があり、稲掛けをして干していた、という。
えっ、である。なんと、富貴地区もまた同じ構造物があり、ハデカケをしていた、というからには、早いうちに訪れて調査しなければならない。
西川さんが、四国の香川に出かけた農村。
道なき道を走ったその場は田園が拡がっていた。
そこにポツンと立つ石柱があった。
その景観が素晴らしく写真に収めていた地はすぐ近くに高知県があった。
県境にある村のようだが地名は知らない。
話してくださる、その石柱は“田の神さん”かも・・、と思った次第。
度々出かける鳥取の地に大とんどがある。
集落は近くにあり、とんど焼きの前日に地区の子供たちがパンツいっちょうの裸姿でとんど周りを一周してから集落を巡って祝儀もらい。
そして、とんど周りを歩いて再び集落で祝儀もらい。
これを3周繰り返す話題に奈良県内の聞き取り事例に山へ行って雑木を集めてとんどを組んでいた子どもたちのことを思い出した。
また、明日香村にすごく近い桜井市・山田のカンピョウ干しも話題にあがった。
そのカンピョウ干しをしていた高齢者が気になっている。
昨年も訪れたが干している気配はなかったので心配していると話した。
そのカンピョウで思い出された西川さんが子供のころの話し。
住んでいた家でカンピョウ干しをして筒井駅前の市場に出して売っていた、と・・・。
西川さんが、16歳からトヨタに勤務する24歳までのころである。
家族総出で作って売っていたカンピョウ。
栽培していたゆうがおの実は夕方までに収穫、作業場に運んだ。
晩食を食べ終わってから皮むき作業をする。
板間に半床に土間。
土間は筵を敷いて皮むきをし、朝になれば滑車のある竿に干していた。
竿は展示写真と同じ形式。
竿は麦わらを巻き、干したカンピョウがくっつかないようにしていた。
当時のお家はどこであるのか。
聞いてみたら、なんと大和郡山の筒井町。
当家は松田家を名乗る武家であった。
それも筒井家の家臣団に属していた松田家。
筒井に住んでおられたなら大晦日に砂を撒いたことはあるのでは、と尋ねたら、まさにドンピシャ。
砂を撒いて家に入って砂の道。
家の外の道にも撒いていた東垣内の八幡神社(※現オークワ筒井北店)に参ってから北垣内に鎮座する菅田比売神社に参っていた。
菩提寺は筒井順慶を祭る光専寺。
筒井町で唯一、今でも砂の道をされているお家を取材したことがある。
そのお家は元酒販店と云えば、即答された“M家”。
実はM家から嫁入りされた。
その人は、当時当主だったMさん。
だから近い親戚になる。
Mさんは写真家井上博道さんとは大いに関係ある従弟さんにあたる、という。
私が砂の道を取材させていただいたのは息子さんのMさん。
父親がしてきた砂の道は2人の孫さんも手伝い、今後も継承されていくことだろう。
話題にあがったカンピョウ干しから砂の道。
西川さんとは、また、深いご縁繋がりに感動した日だった。
ちなみに余談なことだか・・
「奈良県産は市場にでることのない家庭に食されるのがほとんど。稀に道の駅に見たことありますがごく少量。スーパーにあるのは間違いなく中国産。日本産の多くは栃木県産ですが生産者の高齢化により、年々生産量は減少傾向。この先、日本産は消滅に向かっているのです。」
「平成30年(2018年)の都道府県別のかんぴょうの生産量(出荷量)ランキングを参考に・・・
数日後の20日も訪れたきまぐれやさん。
この日も美味しいスペシャルランチをいただいた。
ゆっくり寛げたきまぐれやさん。
気になる品物を求めて2階にあがる。
これこれ、スマートに使える装丁付きノートブック。
デザインがお気に入りの装丁付きノートブックは、主に取材記録ノートに使うポケット版。
難点は、メモった文字は、たぶんに小さくなることだろう。
(R2. 2. 8 SB805SH撮影)
(R2. 2.16 SB805SH撮影)
(R2. 2.20 SB805SH撮影)