宇陀市榛原篠楽の上垣内で地蔵盆をしていると聞いたのは平成28年の5月8日。
たまたま拝見した新暦閏の庚申さんのことを尋ねたⅠさんが教えてくださった。
篠楽には15戸の下垣内、23戸の上垣内のそれぞれにあるが、今回取材させていただくのは上垣内の地蔵さんである。
上垣内の地蔵盆は本来が8月24日であるが、今は集まりやすい24日に近い日曜日に行っているという。
この年は24日を過ぎた28日の日曜日である。
地蔵さんがある地は村落から緩やかに上がる道沿いにある。
念のためと思って24日に訪れていた地蔵さんの地。
石仏を拝見するにはどうも地蔵尊のようには思えない。
地蔵尊の姿もなく彫り物の「奉供養西国三十三番」とあった。
刻印は薄く、建之された時代はわからない。
裏面であるかもしれないが祠で背中が見えない。
やってきた村の人らに聞けば、この地蔵さんは「イシガンノン」と呼んでいるという。
「西国三十三番」があるということは、西国三十三カ所の巡礼旅である。
長谷寺は第八番。
この道は長谷街道になると話しているから「イシガンノン」を充てる漢字は「石観音」であろう。
かつてというか大昔のことだ。
長谷寺参りに歩いていた人がいた。
その人は行き倒れになった。
その人が差し出したと思われるお金で、行き倒れになった人の供養のために地元民が建之した。
そういう逸話がある上垣内の地蔵尊の呼び名は「石観音」が相応しいと思うのだが・・・。
ローソクを立てて線香とも火を点ける。
垣内の導師が一歩前に出て般若心経の一巻を唱える。
皆は揃って神妙な気持ちで石観音に向かって手を合わす。
かつては餅御供であったが、今はお菓子御供。
下げて直会の場でお神酒をよばれる。
直会の場は当番さんが所有するガレージ蔵。
テーブルを調えて周りに置いてある材を椅子代わりに座っての団欒だ。
以前は石観音の前に座って直会をしていた。
日差しを遮るものがないから影がない。
直会の時間帯は昼間。
暑うて、暑うて叶わんから同家の作業場を貸してもらっているという。
本来なら導師は年長者がしてくれるのだが、この日は欠席。
やむなく代行させてもらったという。
かつてはここでの地蔵さんの祭りごとはしていなかった。
上垣内の人たちは下垣内の人たちが集まる「しゅく」の地蔵さんに参っていた。
垣内から参るのでお布施を供えていた。
借り物でもないが、上垣内の地蔵尊ではないから気遣いする。
上垣内は上垣内にある「イシガミサン」がある。
そう決断されたのは今から20年前のこと。
下垣内から独立されて今日に至る上垣内の祭りごとである。
ちなみにここで言われた「イシガミサン」が「石観音」である。
10年前までの祭りは「石観音」の前にシートを敷いて歌っていた。
賑やかだったが、日差しを避けたここに落ち着いたようだ。
ちなみに上垣内の祭りは春と秋の彼岸に参る薬師さんの行事がある。
その行事も彼岸の中日に近い日曜日になるそうだ。
彼岸の薬師さんは数珠繰りがある。
場は氏神さんを祭る平成25年に造営事業があった白山神社境内の傍にある。
白山神社の造営に雌雄の鯛を吊った綱を曳く曳き綱神事があったそうだ。
彼岸の薬師さんは導師が鉦を打ってなんまいだー。
数珠繰りは10回するというからここも取材したいものだ。
(H28. 8.28 EOS40D撮影)
たまたま拝見した新暦閏の庚申さんのことを尋ねたⅠさんが教えてくださった。
篠楽には15戸の下垣内、23戸の上垣内のそれぞれにあるが、今回取材させていただくのは上垣内の地蔵さんである。
上垣内の地蔵盆は本来が8月24日であるが、今は集まりやすい24日に近い日曜日に行っているという。
この年は24日を過ぎた28日の日曜日である。
地蔵さんがある地は村落から緩やかに上がる道沿いにある。
念のためと思って24日に訪れていた地蔵さんの地。
石仏を拝見するにはどうも地蔵尊のようには思えない。
地蔵尊の姿もなく彫り物の「奉供養西国三十三番」とあった。
刻印は薄く、建之された時代はわからない。
裏面であるかもしれないが祠で背中が見えない。
やってきた村の人らに聞けば、この地蔵さんは「イシガンノン」と呼んでいるという。
「西国三十三番」があるということは、西国三十三カ所の巡礼旅である。
長谷寺は第八番。
この道は長谷街道になると話しているから「イシガンノン」を充てる漢字は「石観音」であろう。
かつてというか大昔のことだ。
長谷寺参りに歩いていた人がいた。
その人は行き倒れになった。
その人が差し出したと思われるお金で、行き倒れになった人の供養のために地元民が建之した。
そういう逸話がある上垣内の地蔵尊の呼び名は「石観音」が相応しいと思うのだが・・・。
ローソクを立てて線香とも火を点ける。
垣内の導師が一歩前に出て般若心経の一巻を唱える。
皆は揃って神妙な気持ちで石観音に向かって手を合わす。
かつては餅御供であったが、今はお菓子御供。
下げて直会の場でお神酒をよばれる。
直会の場は当番さんが所有するガレージ蔵。
テーブルを調えて周りに置いてある材を椅子代わりに座っての団欒だ。
以前は石観音の前に座って直会をしていた。
日差しを遮るものがないから影がない。
直会の時間帯は昼間。
暑うて、暑うて叶わんから同家の作業場を貸してもらっているという。
本来なら導師は年長者がしてくれるのだが、この日は欠席。
やむなく代行させてもらったという。
かつてはここでの地蔵さんの祭りごとはしていなかった。
上垣内の人たちは下垣内の人たちが集まる「しゅく」の地蔵さんに参っていた。
垣内から参るのでお布施を供えていた。
借り物でもないが、上垣内の地蔵尊ではないから気遣いする。
上垣内は上垣内にある「イシガミサン」がある。
そう決断されたのは今から20年前のこと。
下垣内から独立されて今日に至る上垣内の祭りごとである。
ちなみにここで言われた「イシガミサン」が「石観音」である。
10年前までの祭りは「石観音」の前にシートを敷いて歌っていた。
賑やかだったが、日差しを避けたここに落ち着いたようだ。
ちなみに上垣内の祭りは春と秋の彼岸に参る薬師さんの行事がある。
その行事も彼岸の中日に近い日曜日になるそうだ。
彼岸の薬師さんは数珠繰りがある。
場は氏神さんを祭る平成25年に造営事業があった白山神社境内の傍にある。
白山神社の造営に雌雄の鯛を吊った綱を曳く曳き綱神事があったそうだ。
彼岸の薬師さんは導師が鉦を打ってなんまいだー。
数珠繰りは10回するというからここも取材したいものだ。
(H28. 8.28 EOS40D撮影)