マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
すべての写真、文は著作権がありますので無断転載はお断りします。

上狛の茶葉ほうらく燻

2018年02月08日 09時03分39秒 | もっと遠くへ(京都編)
木津川市山城町平尾に鎮座する涌出宮で行われた女座行事の取材を終えて同町の上狛に向かう。

昨年の大晦日に貴重な砂撒き習俗を取材させていただいたお家にお礼に向かう行脚である。

上狛はかつて狛城の名で呼ばれていた環濠集落。

文明年間(1479~)に在所の狛日向守が居館・城郭として築城、要塞化した地区である。

寛保三年(1743)の記録によれば、当時の最大濠幅は6mにもなっていたそうだ。



今ではその面影は見られない濠幅。

濠は護岸工事によって整備されているので、一見は水路のように思えて仕方がない。

環濠内は宅地化。

近年においては近代的民家に建替えられていることも多くなり、昔のような風情を味わえる所も少なくなったようだ。

ただ、一部では今も農作業をされているお家もある。

水路は水嵩を調節する板を嵌め込む堰もある。

農水の利用もあったと思わる構造物もある。

そんな佇まいを拝見しながら歩いていた。

目的地の1カ所目は孫さんとともに砂撒きをしていたO家である。



3カ月を経ても砂撒きをした箇所がうっすらとわかる痕跡があったお家である。

呼び鈴を押して出てこられた家人に記念の写真をさしあげた。

積もるほどの話しもないのだが、上がってくださいと云われて座敷に案内される。

お部屋に入った途端になんともいえない初めて体感する香りに吸い寄せられる。



思わず円卓に置かれた道具に見入る。

素焼きのように思えた厚手の円形大皿はほうらく製。

ほうらくは豆を煎ったりする道具。

この日は豆でなく茶葉であった。

昔はもっと大きな皿でしていたが、この日は深さのある円形ほうらく皿。

刈り取った茶葉を燻していたという。

そうすることで部屋の臭みを消す。

しかも、香りの良い茶葉の匂いが部屋中に浸みこんでいる。

丁度そのときに入室させていただいたときの心地よさであるが、実は前夜に食べた料理はすき焼きだった。

部屋に美味しい匂いが籠っていたので、逆に茶葉で燻していたというのだ。

私の場合は前夜に食べていたすき焼きの場。

翌朝に目を覚ましてドアを開けた瞬間に、今朝は残り物のすき焼きにうどんを入れて食べたくなるほどに、すき焼きの匂いが大好物である。

ほうらくにある茶葉が黒いのは焦げた色。

お臼は抹茶にする葉をすっていたという道具を撮らせてもらった。

ご主人が云うには、縁も厚手の深い皿は香炉になる、だった。

貰い物の玉露を強火で燻す。

煙が出るほどに燻していたといいつつ、もう一品の香炉も拝見する。



これは、と思った陶器製の道具は、いりごま(煎り胡麻)を作る器だという。

登場した陶器製の胡麻煎り道具もほうらく。

何故か私も「ほうらく」と呼ぶことが多い。

一般的には「ほうろく」の呼び名だそうだが、どこでどうなったのか、存じあげない。

だが、どちらが正解なのだろうか。

ネットで調べた「世界大百科事典第2版」によれば、浅い皿型の厚手の土器が「ほうろく」。

充てる漢字が焙烙

。関西で云う“ほうらく”が正しい呼び名で、“ほうろく”は訛ったもの、であった。

ところがだ。

昔の戦術に用いられた「ほうろくだま」を充てる漢字は焙烙玉。

「ほうらくだま」とは云わなんだ。

訪れたこの日は彼岸の中日。

例年のこの日はぼたもちの名もあるおはぎを作っている。

もちろん作っているのは奥さんである。



たまたま孫が希望したから作った桜餅がある。

お点前のお茶に自家製の桜餅いただくことになった。

貰った茶葉は蒸して乾燥した。

それを茶臼で挽いて粉末状にする。

煎茶に比べて濃厚で深い味わいでいただける茶筅の抹茶。

無作法な私にそのことを伝えてくださる。

ぐいといっぱいいただく深い味。

奥さんが作られた茶につきものの和菓子が桜餅。

どうぞと云われていただいた桜餅のお味。

この桜餅の味わいは和菓子屋さんで販売されているような代物だった。

いや、むしろ和菓子屋さんが作ったものより私の口に合っているように思える味だ。

一般的に、とお断りしておくが、和菓子屋さんの餡子は濃い味。

美味しいことは美味しいのであるが、甘すぎて喉が詰まるような感じがする。

スーパーで売られている桜餅は安いが、もっとくどい甘さのように思えて仕方がない。

違いはどこにあるのか。もしかとすれば保存料の加減なのか。

その点、奥さんが作りはった桜餅の餡はくどくもなく、優しいのである。

桜餅は粳米でなく糯米。

蒸し加減が抜群な食感に甘さを感じる米の味。

そこへもって良い加減に漬けた桜葉がたまらんくらいに美味しい。

塩分含有量なんてどうでもいいと思ってしまうぐらいの良い味加減に桜葉の舌触り。

あかん、もう一個ほしくなる。

この桜葉は一年前に採取したものらしい。

そんなたいしたことありませんのやと云われるが、漬け具合も素晴らしいと賞賛したのはいうまでもない。

お部屋に愛荘町の造り酒屋が作って販売している「元旦初しぼり」のお酒がある。

どうやら蔵元は「藤居本家」のようだ。

お話しによれば、そのお酒の関係者は先ほどまで取材していた涌出宮(わきでのみや)の宮司さんだった。

ご夫妻ともども家族ぐるみの付き合いをしているという。

O家に繋がった縁に感謝する。

帰り際に尋ねた12月12日の逆さ護符。

奥さんの実家である山城町椿井。

当時はおばあさんがしていたと話してくれた。

(H29. 3.20 EOS40D撮影)

山城町綺田よし家のいなり寿司きつねうどんセット

2018年02月07日 09時28分18秒 | 食事が主な周辺をお散歩
見本の写真にはきつねうどんに梅干しが浮かんでいる。

平成28年12月13日に入店して食べた巻き寿司セットの時はそれがなかった。

数か月前に食べたにぎり寿司セットでは梅干しが浮かんでいる。

きつねうんどんに梅干しを入れる麺屋さんはたぶんに多いと思う。

テレビなどで紹介しているうどんにそれがあるからそうするのも頷けるが私はそれが口に合わない。

嫌いではなく口に合わないのだ。

というか、きつねうどんはキツネのアゲサンが入ってなんぼのうどん。

それが決め手の味作りをする。

シンプルでこそうどんを味わえる。

冷たいうどんなんかは必ず頼むぶっかけうどん。

出汁に絡んだ麺の旨さがよくわかる。

今回はどうなんだろうか。

寿司セットなら700円だが、いなり寿司や巻き寿司セットのきつねうどんはワンコイン。

それで美味しいうどんを味わえるならこのセットで十分。

カウンターに着くなり大将に注文した。

しばらくすれば配膳される。

前回、前々回ともそうだった。

うどんは後出しである。

別に遅いからと文句をいっているわけではない。

寿司を食べている間にアツアツのうどんが運ばれる。

待ってました、と受け取って箸を動かす。

麺はコシがあるから噛み応えがある。

噛み応えはあるが喉につるつると吸い込まれていく。

美味いにつきるうどん麺の出汁はなんだろう。

今回は醤油味が勝っているように思えた。

出汁感よりも醤油味を感じた。

いや、不味くはないのだ。

そうであっても美味しいきつねうどんであるが、今回はキツネのアゲサンの味が薄かった。

若干であるが薄かった。

でも、美味しいのである。

長ネギは刻みでなく長細い。

こうでなくちゃならん麺屋さんのうどん。

もう一杯といきたいがきつねうどんにぴったり合ういなり寿司をいただく。

口の中でいなり寿司が躍る。

ジューシーなお汁がじゅわっ。

かすかに感じるゴマの風味を味わいながら、濃いめの出汁にしゅんだアゲサンにつつまれた寿司飯をほうばる。

あっという間に三つのいなり寿司が消えた。

当店に入店するお客さんはとにかく多い。

席が溢れそうになるぐらいに来店しやはる。

ほとんどの人は定食もんだが、私はこの商品が気に入っている。

また、来たいお店がこの地にあるのが嬉しい。

(H29. 3.20 SB932SH撮影)

山城町涌出宮居籠祭・森廻り四ツ塚

2018年02月06日 09時28分52秒 | もっと遠くへ(京都編)
「神さんが降りて来たのは山の方だった。陽当たりが悪くて、平たんに降ろしはった」と云って、居籠祭の森廻りの斎場を案内してくださったのは涌出宮宮司の中谷勝彦さんだ。

同行案内に京都府文化財保護指導員のAさんもついてくださる。

場所は木津川市山城町平尾。

涌出宮が鎮座する地である。

居籠祭前夜の深夜に行われる他見をはばかる神事がある。

午前1時から午前5時の昇陽までの時間帯。

真っ暗闇の中で行われる神事(森廻り神事・野塚神事・御供炊き神事・四ツ塚神事)の一切を見ることはできない、いわゆる秘儀である。

これらの神事は与力座の座中二人によって行われる。



午前1時間半より午前3時までの神事ごと。

宮司は、その与力座の一員であるだけに詳しい。

2月の祈年祭(としごいのまつり)に神さんを迎えて、その年の師走。

つまり12月になれば迎えていた神さんを再び山に戻ってもらうのである。



涌出宮東にある四ツ塚の他、計11カ所にもあるらしいが、そこはもう少し、或いはもっと遠くになるようだ。

時間があれば一つ、二つのその場を拝見したかったが、場所的には畑とか目印のない場のようで見つけるには困難と聞く。



その件を聞いて知りたくなった四ツ塚以外の場である。

女座行事の御供上げに末社などもあった。

その際に通過した処である。

本社殿裏に石造りの祠が数体ある。

その内部に御幣を納めていた。

女座行事の御供に注目している状態ではお聞きするのも難しいから、後ほどと思っていた。

布袋さんもそうだが、祠納め御幣については聞きけていなかった。



四ツ塚の斎場を拝見して、御幣があったことを思い出して、尋ねてみれば、これもまた森廻り神事に御幣を納める場所であるということだった。

ここ本社殿裏側は祠が2体。

他にも降臨の場があるようだが・・・。

時間があればもっともっとお聞きしたいが、お忙しい宮司の時間をこちらの都合で留めるわけにはいかない。

また、次の取材地訪問もあるから失礼しようとして、ふと見上げた涌出宮の社務所・神楽殿の出入口。



そこに挿していたまじないは紛れもないヒイラギイワシ。

室町時代建之された「四脚門」にもあったから年越しの行事をしているようだ。

(H29. 3.20 EOS40D撮影)

山城町涌出宮の女座

2018年02月05日 09時20分24秒 | もっと遠くへ(京都編)
京都府の木津川市山城町平尾涌出宮(わきでのみや)に女座の祭りがあると知った。

そのことを書いていた史料は昭和59年10月に発刊された『祈りと暮らし 京都府立山城郷土資料館』だった。

『祈りと暮らし』は資料館が発行する図録である。

興味をもったのは祭事に供えられる「なぞらえ物」である。

大平尾地区に「座」は二つ。

中村座と岡之座の男性戸主である当屋の主人が作る「なぞらえ物」である。

「なぞらえ物」とは、真っ白な大根を細工して、先に朱を入れたものである。

形は男のシンボル。

つまり形そのものが男根に“なぞらえた“ものである。

それぞれの座ごとに作った「なぞらえ物」は三方に載せて大字平尾に鎮座する涌出宮(正式社名は和伎座天乃夫岐売神社)の社殿に供える。

『祈りと暮らし』図録に掲載されている行事写真がある。

1枚目は当屋の主人が大根を切って形を調えている状況だ。

2枚目は「女座」の情景である。

座に参加できるのは行事名が示す通りの文字通り、女の人の集まりである。

女性たちは当屋の家に集まって三方に載せた「なぞらえ物」を前にして会食をしている情景である。

3枚目が中村座と岡之座がこしらえた三方に載せた「なぞらえ物」。

両座が供えたものだけに2本の「なぞらえ物」を並べている映像は床の間に供えていたとある。

会食の食事はすき焼きとあるが、かつては本膳であったようだ。

会食を済ませた女性たちは涌出宮に参って、「なぞらえ物」を神前に供える。

神事が始まって巫女に神楽をあげてもらって「女座」を終えると書いてあった。

女性たちは供えた「なぞらえ物」を持ち帰ることなく涌出宮に残したまま引き上げる。

そのまま置かれた「なぞらえ物」はどうするのか。

この「なぞらえ物」は子どもができない女の人が食べたら、子どもが生まれるという。

それを知っている人が頃合いを見計らってもらいにくるとある。

「なぞらえ物」は男のシンボル。

増殖を示す男根とある。

「なぞらえ物」を食べることによって子どもができると信ぜられたわけだ。

伝承によれば、女の神さんだから男の「なぞらえ物」を供えたら歓んでもらえる、ということだ。

つまりは女の神さんはその年の豊穣を約束する神さんとあった。

涌出宮(わきでのみや)の女の神さんこと祭神は三女神。

伊勢から勧請した天乃夫岐売命(あめのふきめのみこと)、田凝姫命(たごりひめのみこと)、市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)、端津姫命(たぎつひめのみこと)のようだ。

神事は10時半ころより始まるが、その前にしておかなければならない支度がある。

与力座でもある宮司一人が神饌御供の盛り付け作業をする。

白い皿に盛っていた料理はタケノコ煮、板カマボコ、シロマメとササゲマメを炊いた煮豆にゴボウ、ニンジン、アラメ和え。

もう一つ手の込んだ海苔を巻いた玉子焼き。

これらは涌出宮が調理するのであるが、女座に相応しい「なぞらえ物」御供はトーヤ(当屋)によって持ち込まれる。

神饌御供が調ったところで、神事の前に予め供えておく。



三方に載せた「なぞらえ物」も先に供えておく。

運ぶのは宮司にこの日の行事に支援される京都府文化財保護指導員のAさん。



Aさんと初めてお会いしたのは前年の平成28年の12月18日

大晦日の日に砂撒きをしていると思われた木津川市山城町上狛を探訪したときである。

たまたまお声をかけた男性がAさんだった。

まさか涌出宮行事でお会いするとは思っても見なかったことだ。



御供は三間社流造の本社殿や末社の八幡社・日枝社・熱田社に、春日社、大国主神社・市杵島神社・熊野神社、天神社などに供える。



涌出宮の宮座行事を勤める座は、大字平尾並びに綺田の特定家である。

与力座、古川座、歩射(びしゃ)座、尾崎座、大座(おおざ)、殿屋座(とのやざ)、岡之座、中村座の八座に女座(おなござ)。

この日の女座行事は大平尾地区の中村座と岡之座であったが、座は廃して廻り当番家で行うようにした。

当番家で料理も食べていたが、いつしか手間を避けて、座の営みの場は料理屋に移された。

座はなくなったが、涌出宮宮司の計らいで「なぞらえ物」作りは継承。

御供上げをしてから行う神事の場に参列することにした。

神社巫女が舞う神楽舞の奉納に参列者へのお祓いなど神事を継続。

そして御供下げも神社宮司による在り方にされた。

厳かに始まった女座行事。



参拝女性たちは二つのえびす面を掲げている拝殿に座っていた。



宮司礼拝、祓詞、祓の儀、そして鈴と扇をもつ巫女が登場する。



本社殿と拝殿の間の場で神楽を舞う。

鈴の音色だけが聞こえてくる。

そして巫女は参拝者一人、一人、丁寧に鈴で祓ってくださる。



おおきく振り上げてシャラシャラシャラ・・・。

次は玉串奉奠。まずは先に酒盃の準備を調えて、それから二組の代表の玉串奉奠がある。

次が酒盃。

一人ずつ前にでて、三枚重ねの盃を手にした。

巫女は酒器をもって大きな動作で3度。



酒器を振り上げるように3度の所作。

それから参列者がもつ朱塗りの椀に酒を注ぐ。

お神酒頂戴である。

3度の動作があることから三献酒のように思えた。

お神酒を飲み干せば、宮司より涌出宮からの御供を受け取って下がる。

一人ずつの酒盃も丁寧に行われる。

こうして終えた一行は直会をすることもなく地区に戻っていく。

その際にお話しを伺ったこの日代表の女性。

現在は6軒の営みになったが、かつては15軒もあった南平尾の岡之座の女座。

トーヤ(当屋)勤めは軒数の関係で15年に一度の廻りになる。

嫁入りしてからのトーヤ(当屋)勤めは2回も受け持った。

座の準備が忙しくたいへんだった。

一旦は座を辞めたが、現在は形式だけを残して行事を支えている。

トーヤ(当屋)勤めをしていた家人が魚のカマスを口に銜えて作法をしていた。

岡之座がある南平尾はかつて大平尾(おびらお)に属していたようだ。

今では住所表記のない大平尾。

垣内浜屋敷にある大平尾会館が建つ地の辺りであろうか。

岡之座には男座と女座がある。

どちらか相方が亡くなれば、女座或いは男座として座を継承してきた。

座は家で継承するものだ。

普段の仕事はすべてに亘って男座が勤める。

南平尾に二つの女座があった。

岡之座に一座。

もう一つが中村座であったが、座は辞めたという。

岡之座の男座は長老の一老からの7人で構成する七人衆で行われている。

女座のトーヤ(当屋)の家の男衆が大根で男根を作る。

くびれを細工してそれらしく見えるように作る。

この年のN家は息子と孫の男児で作ったが、前年にあった赤い舌のようなものは調整しなかったという。

「なぞらえ物」は各家によって若干の違いがみられるようだ。

以前はトーヤ(当屋)家はもてなしの接待料理をだして、座中がよばれていた。

カシワ肉の鶏すき焼きである。

Nさんの記憶によれば、かつては粕汁でもてなしをしていたが、今は甘酒になった。

女座の接待役はトーヤ(当屋)家の男衆。

当主だけでなく親戚筋の男衆にも接待役を務めてもらう。

こうした接待を終えて午後3時に涌出宮に寄せてもらったと話してくれた。

女座の人たちが地区に戻っていく姿を見送ってからじっくり拝見させてもらった「なぞらえ物」。

宮司のご厚意で「なぞらえ物」の一つを拝見する。



包んでいた奉書の水引を解いて広げてくださる。

中から現れたのが大根で調整した「なぞらえ物」。

トーヤ(当屋)のNさんが云うように赤い舌は見られないが、立派な男根姿の「なぞらえ物」。

宮司が云うには、神事を終えて御供下げした「なぞらえ物」は、子どもが欲しい家の女性がたばりに来るそうだ。

女性の親戚筋であっても構わない。

とにかくそういう事情をもつ女性が居る場合は代行する人がたばりに来るらしい。

たばった「なぞらえ物」はどういう具合に調理して食べているのかは存じていない。

今年の「なぞらえ物」には赤い舌が見られなかったので、社務所に保管している例年の「なぞらえ物」を見せてくださる。



もちろん実物ではなく写真映像である。

フイルムケースに収納しているから映像が跳ねているが、十分に赤い舌の状態がよくわかる。

いずれにしても子宝祈願に、ご利益があると、たばりに来る「なぞらえ物」は感動ものであったが、何故に「なぞらえ物」の名称であるのか。

「なぞらえ」とは、あるものと比較して仮にそれと見做す。

真似て作る、ということである。

充てる漢字は「準える」、或いは「擬える」であろう。

男根に準じた形に形成して「擬えた」とでもしようか。

(H29. 3.20 EOS40D撮影)

日清のどん兵衛鴨だし雑炊

2018年02月03日 09時29分52秒 | あれこれインスタント
お昼は遅いから一人で食べといてといわれて何を喰う。

買い置きの中から選択する。

最近の買い置きはカップラーメンの他にカップの飯もある。

お湯を注げばできあがるカレーメシの味には驚いたものだ。

その日清食品が開発した初期のカップ飯はお水を注いで電子レンジでチン。

手軽にできあがるカップ飯は評判だったそうだが、アウトドア向きではない。

電子レンジをキャンプ地に持っていってまで使いたくない。

そりゃ当然だ。

カップラーメンの一番はお湯を注いだらすぐにその場で食べられるということだ。

お湯を注いでできあがるカレーメシを食べて、手軽にできる味に興味をもった。

その後に出かけた各地のスーパーにあるわ、あるわ、である。

ものは試しにと思って買った商品は2品ある。

一つは焼きそばU.F.O.そばめし。

もう一品が今回に食するどん兵衛鴨だし雑炊だ。

なんせ初めて食べる食品は作り方がわからない。

カップに表示してある作り方を丹念に読む。

ポイントは内側にある線までお水を注ぐことだ。

蓋に貼ってあった香味料はレンジでチンしてからになる。

お水を入れて取り外した蓋を乗せてチン。

我が家は500wなので5分間待つ。

チンの音が鳴ったら出来上がり。

袋色の香味料を出し切っていただく。



普段であれば家の雑炊はお箸で食べる。

この雑炊はどん兵衛鴨だし雑炊は底が深いからスプーンで掬って口に入れる。

アチチ、である。

ふーふーして少し冷ます。

口に入れる。

香りはあるようでない。

コクもない。

旨みもない。

ないない・・・。

こりゃ、私の口に合わんがな。



そう思っていたわけではないが、簡単にできるスープ春雨を用意していた。

お湯を沸かして沸騰すればカップに入れていた具材にお湯を注ぐ。

少し混ぜてできあがり。

今回のスープ味は辛目の坦々味スープ。

発売元はダイショーである。

5種類のスープがそれぞれ2個ずつ。

300円以内の値段で売っている。

手軽にできて美味しいものだからつい作ってしまう。

尤もこの日は寒いから欲しくなったということだが。

これが美味いんだな。

勝負の結果はダイショーに旗を揚げる。

(H29. 3.17 SB932SH撮影)

野依・仏母寺の数珠繰り涅槃会

2018年02月02日 09時14分53秒 | 宇陀市(旧大宇陀町)へ
宇陀市大宇陀野の大字野依。

この月の村行事は仏母寺で行われる数珠繰り涅槃会である。

6年前の平成23年3月15日に訪れたときに拝見した「アワメシ」の在り方に感動したものだ。

涅槃会に数珠繰りをされたのだが、その際に掲げられる掛図が御釈迦さん入滅を表現した涅槃図である。

祭壇に盛っていたのは、飯に挿して立てていた一膳の箸である。

葬送の儀礼にそうしている地域も少なくはない葬送の儀礼にそうしている地域も少なくはない。

私の故郷である大阪の南河内郡河南町にもあったことを覚えている。

同じ形式を「マクラメシ」と呼んでいたのは桜井市瀧倉。

拝見した行事は「鬼の葬式」の名で呼ぶ村行事だった。

平成21年3月3日限り
の行事だったように記憶する。

箸を立てた「マクラメシ」を膳盛る。

その膳には「死花(しか)」と呼ぶ大根に挿した幣もあった。

数珠繰りはかわらずされていると思ってはいるが、果たして「アワメシ」は。

また、涅槃会に念仏を唱える数珠繰りを終えて大量に撒かれる涅槃の団子撒きも気になっていた。

翌年の平成24の3月14日に訪れた涅槃の団子搗き。

できあがった丁度に寄せてもらったことがある。

野依の年中行事は大幅に改正されると聞いている。

手間のかかる部分は極力省いていこうということだ。

もしかとすれば涅槃会に撒かれる団子も消えるかもしれない。

最後になるのであれば、記念の記録と思って訪れた。



先に拝見したのは床の間に飾った涅槃の掛図。

その隣には三つの木樽に盛り込んだ涅槃の団子。

びっしり埋まっている。

いつもの年と同じように前日の14日に搗いた団子はまん丸い。

平成23年に拝見したときの団子の量は木樽が十もあった。

作業の手間、時間を少しでも負担減として3割に減らした涅槃の団子であるが、実は違っていた。

燭台も調えた場には気になっていた「アワメシ」もあった。

この年も同じように一膳の箸を立てていた。

「アワメシ」は蒸した米で作った粟飯。

黄色い粟粒が見えるだろうか。

涅槃さんの御供は例年が一緒ともいえないようだ。

この年はニンジンにシイタケだった。



お供えは観音さんを安置した仏母寺だけでなく氏神さんを祀る白山神社の他、本社殿下の愛宕社、弁天社や庚申堂などにも供える。



野依に庚申講もあるが、そういえばヤドの家で庚申さんの掛図を掲げて講中が集まる営みは話しに聞いていたが、この庚申石仏にはどのような形式で営みをされているのだろうか。

そんなことを思い出して僅かに朱の色が残る庚申さんに手を合わす。



忙しく動き回って供えていた大頭と小頭もひといきついてから始まった涅槃会。

これまで私が拝見したときの導師は先生だった。

仏母寺行事の観音講の寄り合いのときもそうだったし灌仏会も・・・。

この年は入れ替わりがあったのか存知しないが若手になったようだ。



ローソクに火を点けて、涅槃さんに手を合わせる。

そうして始まった般若心経は三巻。

それと同時に繰り出す数珠繰りに般若心経が流れる速度とともに・・。



調子は割合早めである。

心経を唱えるだけでは、と思ったのか、隣に婦人が横についておりんを打つ。

長い数珠を繰るのはもう一組ある。

お部屋を半分ずつ分けて2組目は心経を唱えている間に入れ替わる。

入れ替えるのは数珠であって場は替わらない。

座敷手前に座っていた人たちはどちらかといえば女性に子どもたちだ。



にこやかな表情で数珠を繰る姿に萌えてシャッターを押す。

三巻の心経を終えたら数珠繰りも終える。

〆にいただく涅槃の御釈迦さんに供えた「アワメシ」。

お椀ごともった小頭の奥さんが少しずつ箸で摘まんだ「アワメシ」は、手を広げた村人にさしあげる。



いわゆる御供下げであるが、箸は「アワメシ」に立てていたもののようだ。

手で受けていただく供物の「アワメシ」はありがたく頂戴する。

その形式は県内各地の何カ所かで見られるテゴク(手御供)の形である。

数珠などを片づけてこれより始まるゴクマキ。

涅槃の御釈迦さんに供えた涅槃の団子を撒く。

室内両側の障子扉を開けたところに位置した御供撒きの人。

マツリに着用する法被に着替えて座敷に座っている村の人たちに向けて撒く。

両手に盛った団子はまん丸い。

転げそうになって手から毀れそうにもなる。

そこんとこは上手く纏めて放り投げる。

天井まで届くことのないように配慮しながら撒いていく。



座敷にころころ転がる団子を拾いまくる。

ころころ転がせるように撒く優しい人もいる。

右や左から、果ては後ろからも転げてくる団子を捕まえるのに這いつくばる人もいる。

団子争奪戦にカメラの視線はあっちこっちに振り回される。

ふと、気がついた。

団子撒きをする人それぞれに木樽がある。

数えてみれば六つもあった。

涅槃さんに供えるのは少なくして残りは廊下に置いていたようだった。

それはともかく、実に愉しい団子撒き。

大人も子供もはしゃぎまわる。

これでもかと思うほど撒いた団子。



まだまだ木樽子どもたちにはもっと優しく差し出す袋の中に入れてあげる。

こうして涅槃会を終えたらごーさん札を貰って帰る。

特に必要な人は農家さん。

苗代に立てるごーさん札は苗がすくすく育つように豊穣を願う。



このごーさん札は、大晦日の夜中から社務所に籠った大頭、小頭が版木で刷ったものだ。

刷る時間帯は元日の朝だときいているごーさん札の正式名称は「降三世」のお札だと以前に聞いたことがある。

元日に刷ったお札は、3月1日の祈年祭に奉られて祈祷される。

そして、この日の涅槃会で授与される。

何人かの人が授与された「降三世」のお札はいつ苗代に立てているのか。

受け取った人がいうには特に決まりはないそうだ。

例年は4月10日ころにするから、そのころになれば前もって電話をすると云ってくれたTさんにすがるしかないのだが・・・果たして

(H29. 3.15 EOS40D撮影)

ローソン木津川山城店の天かす入りLソース焼そば

2018年02月01日 08時01分15秒 | あれこれテイクアウト
山城町の聞き取りなどを終えて再び奈良に戻る。

時間は限られている。

次の目的地は大宇陀の野依

距離にすれば相当な時間がかかる。

女座の祭り取材を承諾してもらって先を急ぐ。

ゆっくり寛いで食事をしている時間はない。

途中にあったコンビニエンスストアしかない復路の道中。

入店したローソンで売っていたすぐに食べられるもの。

悩んでいる時間もないからさっさと決める。

私の好物の一つである焼きそばが商品棚にあった。

時間帯は午後1時を過ぎていた。

山城町から野依までの予想時間は1時間半。

北から南に向かうには相当な距離である。

店内の電子レンジで1分。

高速のレンジやから早い。

商品にも目安が書いてある加熱レンジは1500Wをお使いくださいだが、家庭でそんなメカをもってはる家って少ないから500w目安もある。

その500wであれば2分15秒。

これじゃお客さんを待たせてしまう。

お客を待たせないのがコンビニエンスストアである。

蓋を開けたら食欲をそそるソースの香りがたまらん。

麺はやや太麺。

摘まんだ箸にどかっと乗ってくれて喉に入っていく。

口の中がソースで満開。

程よい油で焼かれた麺がとても美味いのである。

具材はソースだれ、豚肉ソース炒め、キャベツ炒め、紅生姜、かつお節、あおさ。

甘味のあるソースに甘味のある豚肉に大満足。

炒めたキャベツもシャキシャキ。

かつお節はもっと小さ目の方が食べやすいと思って歯みたが、美味さに負けて箸が止まらない。

これはもう一度食べてみたい商品だが、製造された工場は㈱オイシス滋賀工場だった。

奈良のローソンも売っているのだろうか。

ちなみに貼ってあるラベルによれば1食当たりの熱量は629kcal。

蛋白質に脂質、炭水化物の成分量表記はもちろんあるが、私にとっては塩分が肝心。

Na表記で2.4gとあった。

これもまた満足する商品である。

(H29. 3.15 SB932SH撮影)