マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
すべての写真、文は著作権がありますので無断転載はお断りします。

特売日のガソリンは超格安価格

2018年08月11日 09時45分46秒 | いどう
大和郡山市の横田町信号の北数十メートルにあるガソリン屋さんがある。

十四、五年前から利用している「うかいや」さん。

たまたまガソリンを補給したときだ。

異様と思ったぐらいのお安い値段で売っていたガソリン屋さん。

毎日ではなく、土曜、日曜日に祝日も。

それを知ってからは、他店には行かなくなった。

余りにもというほどでもないが、とにかく安いから、土曜、日曜は我が家のガソリンデー。

できる限り調整しながらここへやってくる。

先月の6月27日火曜日であるが、レギュラーガソリンが114円だった。

この日は土曜日。同じく114円だった。

火曜日は特別な日とは思えないが、なぜか114円。

家計が助かる価格帯に飛びつく。

いずれであっても特売日の価格は格安である。

つい最近は安値傾向にあるガソリン価格。

大阪では奈良県よりもリッター辺り110円も高い。

大阪入口のガソリン屋もあるけど、阪奈道路の峠を越えてしまえば10円も安いガソリン屋さんが目白押し。

40リッターの補給であれば400円もの差がつく。

尤もハイブリッド車であれば気にしないと思うが・・・。

(H29. 7. 1 SB932SH撮影)

ラ・ムー桜井店のとってもValue!てりマヨバーガーパン

2018年08月10日 08時52分34秒 | あれこれテイクアウト
ここんところ食欲は減退気味。

咽頭炎処方に服用していたロキソプロフェンナトリウム錠が影響する食欲不振。

おふくろもそういう経験を同時期にしていた。

晩食もそうだが、どんどん落ちていく食欲。

いや、欲はあるのだが、少し食べただけでお腹がパンパンになる。

そこへもってロキソプロフェンナトリウム錠の関係で昼食もとんと食欲がない。

スーパーに出かけて食べたいものはいくらでもあるのに、お腹が拒否するようでは買う気さえ起らない。

この日は梅雨の合間なのか、どん晴れ。

しかも湿気が多い。

気分も悪くなしし、困ったもんだが昼食を飛ばすわけにはいかない心臓病疾患のための毎日の処方箋は放棄するとこもできない。

なんでもいいからで、ではなく、少しの量で味わうモノはないのか。

ご飯はもう無理と云ってくる私のお腹。

えーい、と決めたこの日の昼食は照りマヨバーガー。

たまにはこれでもいいだろうと思って車中食。

ネーミングに「マヨ」はあるが、まったく感じない。

マヨネーズではなくドレシング味だった。

ハンバーグは牛肉、それとも豚肉。

鶏肉の味も・・。

わかりにくいハンバーグミンチ肉には味がある。

濃いめでもないが食べられる。

ただ、それだけだったバーガーパンの食後は昼の服用。



利尿剤の2錠と軟便薬。

ただ、それだけであるが、バーガーパンの包み紙に「キャベツサラダ&照焼のたれ&マヨネーズタイプソース」の売り文句が書いてあった。

そんな文句は誰も読まないだろうに、と思う。

(H29. 7. 1 SB932SH撮影)

飛鳥坐神社の夏越し大祓い

2018年08月09日 09時05分49秒 | 明日香村へ
今年の3月12日

明日香村上(かむら)の薬師堂で行われたハッコウサン行事に出仕されていた飛鳥坐神社の飛鳥宮司さんにお願いした。

その行事は大字飛鳥の飛鳥坐神社で行われる夏越し大祓いである。

茅の輪潜りに藁で作った舟があると知って、それを拝見したくお願いした取材を許可してくださった。

条件は神事の進行を妨げない、参拝者に迷惑をかけない、ということである。

飛鳥坐神社の夏越し大祓いに藁舟があると聞いたのは平成28年だった。

時期は覚えていないが写真家のKさんが、教えてくださった「舟」である。

その「舟は」奉ったあとに近くの川に流すということだった。

これまでまったく存じていなかった飛鳥坐神社の夏越し大祓いである。

ネットをぐぐってみたら、確かに「舟」を奉っているシーンをとらえていたブログがある。

半年間の穢れは身代わりのヒトガタ(人形)に移す。

参拝者、祈願者たちの穢れを「舟」に詰めて川に流すあり方である。

「舟」は祓えつ物(はらえつもの)である。

祓えつ物を直に拝見することはできないが、所作される祓えつ物儀式を拝見した行事がある。

一つは三郷町の龍田大社

もう一つは橿原市曽我町の天高市(あめのたかち)神社である。

いずれも6月30日の大祓。

半年に一度の夏越しの大祓いに見られる神事作法である。

行事は午後4時から始められる。

先に拝見しておきたい茅の輪。

高さは2m以上もある茅の輪の両側に支えの杭を打ち、笹竹を立てていた。

大祓いの儀式が始まる前。



一人の男性が頭を垂れて茅の輪を跨いでいた。

なんでも遠方の地からやってきたという旅行者。

参拝を済ませたいと先に跨いで階段を登っていった。



ちなみに茅の輪は前日までに飛鳥宮司お一人が茅を刈り取ってきて、一人で組み立てた茅の輪。

心棒は竹を3本繋いで立てたという。

参拝者が座る場は2カ所。

一つは立てた茅の輪の真ん前。

もう一つは社務所の前。

暑い盛りに日差しを避けてもらうにテントを立てた場が座る席。

15分前になっても参拝者はまだ来られない。

鳥居のすぐ近くに川がある。

その付近で遊んでいた小学生。

川に何かを落としたようで、木の棒で手繰り寄せて回収していた。

川にはまりなや、と注意すれば素直に応じる子供たち。

もう一つの拾い物は屋根の上にある。

その棒をもって落としてあげたら喜んでいた。

そうこうしているうちに大勢の参拝者が集まってきた。

おかげさまでテント内の椅子は満席である。

祭壇は神事の場になる祓戸社。

祭神は瀬織津比賣神、速開都比賣神、気吹戸主神、速佐須良比賣神の四神。罪や穢れを祓い去る神様とある。

神饌御供は予め供えていた。

上段にお神酒、水に洗い米。

シイタケにコーヤドーフの盛り。

シメジにニンジン、サンドマメの盛り。

トマト、ナスビにチンゲンサイ。

パイナップルにバナナ、夏柑などなど。



献酒の酒が並ぶ前にある造り物は小型の茅の輪。

その横にある朱の色は御守だ。

下段中央に置いたのが、祈願者たちの穢れを納める祓えつ物の「舟」である。

この時点では何も詰めていないので中央は膨れていない。

その左脇にあるのは祈願者が氏名、年齢を書いて送ってきたヒトガタ(人形)であろう。

当日に参拝できない願主が予め送ってきたヒトガタである。



先ずは祓詞に祓の儀である。

次に降神の儀、献饌と続いて夏越の祝詞を奏上される。



次に参拝者の人たちに切幣・ヒトガタを配布される。

参拝者それぞれが身の汚れを払う儀式である。

身の汚れは穢れである。

我の穢れはヒトガタにふっと息を吹きかけて移す。

それをそっと紙に包み込む。

その次に祓い清めるキリヌサ。

穢れを払う作法である。

半年間の暮らし。

知らず知らずに身についた穢れを払ったそれを回収して藁で作った「舟」に詰め込む。

穢れを封じ込めたということであろう。



参拝者たちの身を清めたキリヌサは足元に散らばった。

次は大祓詞の奏上である。



本来は参列者に向かって大祓詞を奏上するのであるが、祓戸社の四神に向かって奏上された。

夏越しの大祓は神さんの祭りではなく、村人や参拝者に対する祭りごとであると聞いている。

教えてくださったのは田原本町の村屋坐弥冨都比売神社の守屋宮司だった。

実際、飛鳥坐神社・神職の飛鳥宮司は「ほんとは皆さん方に向かって申し上げないといかんのですが・・・」と神事後に伝えられた。

これより始まるのが茅の輪潜りである。

宮司が、その作法を解説される。

茅の輪は本来、3度潜る。

まずは茅の輪の正面から入って左に廻る。

ぐるっと廻ってまた正面に戻る。

次の廻りは右回り。

茅の輪を潜ったら右へ旋回して、再び後尾につく。

そして再び茅の輪の正面に立つ。

茅の輪を跨いで一番初めと同じ左に旋回して正面に戻る。

つまり、左、右、左に廻る8の字廻りの3度潜りの作法であるが、2度廻りの作法の場合はこうするのです、と説明される。

まずはじめの廻りは右に旋回。

その場合の茅の輪潜りは右足から跨ぐ。

ぐるっと廻って後尾につく。

正面に戻って今度は左回り。

その際の足は左足から入って跨ぐ、と話されたら、参拝者は、足が右、左、どっちなのか、もつれそうになるわ、と声をあげたら会場はどっと笑いに包まれた。

そして宮司を先頭に前総代、氏子らに一般参拝者が茅の輪を潜る。



茅の輪潜りに唱和する唱詞がある。

「みな月の 夏越のはらひする人は 千歳(ちとせ)の命 延ぶといふなり」である。

つまりは「6月の夏越しの祓いをする人は、寿命が延びて千歳の命を得るということである。



ところで大祓詞に「瀬織津比賣神」や「速開都比賣神」の名が詠みあげられる。

その名は飛鳥坐神社の祓戸社の四神にある。

「罪と言ふ罪は在らじと 科戸(しなど)の風の天の八重雲を吹き放つ事の如く 朝の御霧 夕の御霧を 朝風 夕風の吹き払ふ事の如く 大津辺に居る大船を 舳解き放ち 艫解き放ちて 大海原に押し放つ事の如く・・・」。

「速川(はやかわ)の瀬に坐す瀬織津比賣(せおりつひめ)と言ふ神 大海原に持ち出でなむ 此く持ち出で往なば 荒潮の潮の八百道の八潮道の潮の八百會に坐す速開都比賣(はやつあきつひめ)と言ふ神・・云々」である。

民の穢れを詰めた祓えつ物の「舟」は、ここ飛鳥の寺川から流されて大河の大和川へ。

そして大阪湾の瀬に流れつく。

そういうことだと、田原本町の守屋宮司に教わったことがある。

飛鳥の川も田原本町の川も皆、大和川に合流。

風が吹きほこる大海原の浪速の津に流れついて大阪湾に。



布引き裂き納めの作法はいつされたのか、わからなかった祓えつ物の「舟」を大事に抱えて、寺川に流す場に向かう。

総代に氏子、そして参拝者が後続について行列する。



寺川の今は水を堰き止めているから流れていない。

「舟」を流すにはある程度の水流が要る。

そこは前総代の権限で堰を開放した。



所定の地に着いたら流す場所に向けて榊で祓う。



その場から投げ入れる「舟」。

参拝者は物珍しそうに覗き込む。



流れる水流に身を任せて下流にくだった祓えつ物の「舟」はこうして見送られた。

大祓の式は流すことで〆るわけでもなく、皆揃って神社に戻る。



座っていた席に戻って始まった昇神の儀。

頭を垂れて式典を終えたが、茅の輪はそのままの形でしばらくは残される。



その茅の輪を潜る村の人。

観光客も交えて潜っていた微笑ましい情景を撮っていたが、その方向は逆向きだよ・・。



祭典を終えた時間帯は午後6時ころ。

長い影が伸びていた。



ちなみに式典にいただいた小型の茅の輪がある。

どうぞ持ち帰って祭ってくださいと云われた茅の輪はありがたく賜り、玄関に吊るした。

(H29. 6.30 EOS40D撮影)

山田・新調出番待ちのカンピョウ干し竿

2018年08月08日 09時35分01秒 | 民俗あれこれ(干す編)
6月半ばともなれば、そろそろ準備にとりかかる。

私ではなくて農家の人たちだ。

それもユウガオを育ててカンピョウを作っている人たちである。

これまで幾つかの地域でカンピョウ干しを取材したことがある。

初めて取材したのは平成22年7月17日に訪れた田原本町の多。

その年、その月の24日は天理市の嘉幡町もあったが、いずれも高齢者だった。

その翌年には両軒ともやめられた。

聞いていた周辺地も巡ったがすでにやめていた。

それから3年後の桜井市山田の茶ノ前垣内である。

カンピョウを干すには竿がいる。

その存在に気づいたのは平成24年の4月10日だった。

多や嘉幡で構造物を拝見していたのでそれが何であるのか、すぐにわかった。

竿の持ち主は昭和4年生まれの高齢者。

元気でいる限り、カンピョウ干しをしていると云っていた。

この日は明日香村の飛鳥に取材がある。

その通り道に拝見したカンピョウ干し構造物に変化が見られた。

支柱は以前のままであるが、竿が新しくなっていた。

奇麗に藁を縛りつけている。

縛った紐はなんとなくPP紐のように思えるが、藁束に見慣れたものがある。

古びた紐のようなものがあるからこれは使い古した簾であろう。

簾の再利用ははじめて見た。

これも記録と思ってカメラに収めた。

(H29. 6.30 EOS40D撮影)

解体工事に入ったはらぺこ食堂

2018年08月07日 09時51分36秒 | 食事が主な周辺をお散歩
取材帰りに通る道は何本もある。

自宅へ戻る道は大和中央道に近鉄九条駅。

または、そこより南下した旧道あるいは郡山城から迂回する道などなどである。

多くは5月初めの苗代まつりの取材地の天理市が主。

後半も同じく天理市。

特に多かったのは和爾町である。

そこから戻るには一直線に西へ、西への大和中央道にするか、大和郡山市の上三橋にするか、である。

希に出かけた奈良市内の買物。

その場合に必ずや通る道は奈良市東九条町から一直線の西方向。

国道24号線の信号待ちに必ず引っかかる。

国道向こうの南角にあるのは度々利用するワンコインでいただける「はらぺこ食堂」がある。

持ち帰り弁当なら350円。

店内で食べる場合は500円。

いずれも税込価格のお料理どれもこれもは美味しくて、私のお聞き入り。

これまで食べてきた料理はブログに綴っている。

平成25年の9月11日に食べた料理は焼き肉弁当。

平成25年9月23日はミンチカツ弁当。

平成25年11月6日はとんかつ弁当。

平成25年12月26日
は豚しょうが焼き弁当。

平成26年10月12日はからあげ弁当。

平成27年5月16日は初の入店食事。

そのときに食べた料理はおろしからあげ定食。

平成27年10月15日はリハビリ通院していた外来棟に持ち込んで食べたからあげ弁当。

平成27年11月5日も同じく外来棟に持ち込んで食べた牛焼き肉弁当。

平成28年3月23日もからあげ弁当。

平成28年8月14日も店内で食べたぶっかっけうどん冷たいのん。

このときの食事が、私にとって最後になった日である。

通る度にお店の繁盛状態を窓越しに見て通り過ぎる。

あるときにふと気がついた。

お店のガラス越しに見えるお客さんの姿が見えない。

お客さんどころか店内の灯りが見えないのだ。

真っ暗なのかどうかわからない夕暮れ前。

まだ、電器が点いていないのかと思って通り過ぎた。

数日後もそこを通っても同じような雰囲気だった。

目が悪くなったのかもしれない。

それから数日後。

お店に何かが貼ってあるかもしれないと立ち止った。

そこには店主がいたし、「はらぺこ食堂」の看板も揚がっている。

工事業者なのか、それとも知り合いなのか存知しない人とにこやかに言葉を交わしている。

なんでもなかったんだと思ったその日はいつだったか。

6月4日、10日、18日のいずれかであるが、店主を見たのは18日の可能性が高い。

そして、この日に見た「はらぺこ食堂」にクレーン車が動いていた。

はっきりと認識はできなかったが、お店を解体しているのである。

お店を閉めたのか、それとも新店舗に建て替えるのか。

いや、そうではなく、新たにどこかの地に新店舗を構えたのか・・。

あのときに見た店主の顔は笑っていた。

まったく辞めたとは思えない表情だったが、解体工事は事実である。

その後の7月5日も通りがかった。

工事はさらに進んで昔のようなガソリンスタンドのような姿を現していた。

ところがそれからさらに日にちが経過したときのことだ。

それはガソリンスタンドでもない。

揚げていた看板は「BIGMOTER」。

車の販売会社のようだと思ったが、これもまた違うようだ。

なぜか。「現金買取」と書いた小型の看板が見えた。

その後、はらぺこ食堂(※店主森澤健次)が移転したという情報は見ることはない。

平成24年11月末に開店したお気に入りのワンコイン食堂は5年ももたずに閉められた。

どこかで再開、いや再食できれば良いよね、と心から願っている。

(H29. 6.27 SB932SH撮影)

語り会場のプロジェクター接続テスト

2018年08月06日 08時57分28秒 | メモしとこっ!
この年の7月21日は講演会。

聴講ではなく、私自身が解説する講演会である。

会場は施設の橿原市商工経済会館。

場所は久米町にある。

主催は橿原市の橿原市まほろば大学校。

市教育委員会が2年単位に募る市民の学びの講座。

参加できる対象者は60歳以上になる。

高齢者支援の生涯学習・スキルアップ講座は生活科学、美術・工芸、歴史・郷土、国際関係、文学、スポーツ・保健、政治・経済、福祉・ボランティアの8コース。

どれもこれも人気のコースらしいが、一番は歴史・郷土になると事務長は話す。

そのコースに付随する特別コースが「民俗クラブ」。

主宰は代表の鹿谷勲さんが率いる奈良民俗文化研究所である。

鹿谷さんからの伝言は「撮った民俗写真をもって講演をしてほしい」というお願いである。

その件を伝える電話をもらったのは平成28年9月30日だった。

何回かの講演経験があるし、私でお役に立てるならと思って、ためらいもなくお受けすることにした。

この件は11月1日にも電話があった。

念のためと思われてことだろう、ではなく講演日程が確定したという連絡だった。

テーマは「奈良の民俗を撮る」である。

民俗を素晴らしい写真で紹介している野本さんにもお願いされている講演会。

さて、講演の内容はどれにしてみるか、である。

数多くの伝統的な行事や風習を記録してきた私は“選び”に悩ませる。

計画された予定日は都合によって一週間早まった。

決定した日が7月21日。

せめて一か月前には、何をテーマにどのような行事写真を紹介していくか、明確にして、講演するストーリ・シナリオの組み立てを終えておかなければならない。

ストーリー作りの作業に入ったのは5月11日。

だいたいのストーリーが頭の中に浮かび上がってだいたいの路線を構築しかけてきたので紹介する写真の抽出である。

これまで取材した奈良県内の行事取材数は1780行事。

この講演会で紹介するのは橿原市内で行われている年中行事である。

聴講される方々は市内に暮らす人たち。

少しでも知っていただけたらと思ってテーマは橿原市の年中行事にした。

これまで取材した行事はデータ化して地域別にキーワードを施している。

私が地域を調べて作ったエクセル・データベースより「橿原」をキーワードに抽出すれば90行事がでてきた。

そのすべてを取材したわけではない。

あくまで私的に調べた情報であるが、うち、取材した行事数は40行事。

半分未満である。

地元民から聞いている行事のすべてを取材するには年齢的なこともあるし、奈良県全域を対象に廻っている私にとってはとても無理なこと。

健康体である限り、せっかく教えてくださった年中行事は記録しておきたいが・・・。

何人からは橿原市の行事は少ないと聞いている。

鹿谷さんもそう云っていた。

少ないがどうかはわからないでもないが、情報が少ないのかもしれない、と思っている。

どこの市町村でもそうだが、公的機関はイベントをするが、地域の民俗行事にはあまり関心がないようで、ぞんざいだ。

有形文化財はたいがいの市町村に登録されている。

市町村の歴史・文化も調査されて市史等に記されている。

もちろん無形民俗文化財もあるが、これはというものばかり。

当然なことであるが、地域の人でも知らない行事なんてものはいやっちゅうほどある。

あるにはあるが知られていないだけだ。

決して隠しているわけではない。

ましてや「講」の行事や民家の習俗、あるいは民間信仰ともなれば発表されることもないから人知れず消えていくことになりかねない。

私はどちらかといえばこういうマイナー的な民俗を記録してきた。

尤も名高い登録行事の取材もしているが、なにが大事かといえば地域文化である。

特に人から人へと紡いできた民家の習俗行事が大事だと思っている。

引き継ぐ人がいない、引き継ぐ意思がない。

理由はさまざまであるが、現にいつのまにか廃れて消えてしまった行事なんてものは、ごまんとある。

そう思うのである。

「橿原の年中行事」をテーマにシナリオ作り。

1時間半で伝える講演は、写真で紹介する橿原市の「県指定無形民俗文化財行事」、「ノガミ行事」、「ツナカケ行事」、「オンダ行事」、「初午行事のハタアメ」で繋ぐ5章立てにした。

本日は写真映像を映し出すプロジェクターの接続テスト。

どのような展開で講演するのか応対してくださった事務長に伝える日でもある。

講座を受ける人たちは定年直後の人でもなくだいたいが70歳前後になるそうだ。

前回の5月12日に講演された鹿谷さんの講座には40名近くが集まったという。

勉強熱心というか、橿原の歴史文化を知りたくて・・というような人が多いのであろう。

奈良民俗文化研究所が主宰するまほろば大学校で開催される「民俗クラブ」は一年に8回。

大きなテーマは「日本の民俗を読む・撮る」である。

構成に映し出す写真の外観が掴めたらどういう展開で話を進めていくかのストーリー作り。

執筆お始めたのは6月13日。

ほぼ95%のデキ。

煮詰まったのは6月22日だった。

ここまでくれば一段落。

ツメや〆の部分は後回しにして、まほろば大学校の事務長に伺いたい。

そう、思って訪れたこの日である。

問題は私がいつも自宅で活用しているパソコンとの相性である。

かつて大和郡山市の施設である市民交流館に勤務していた。

貸会議室の運営が主であるが、訪れる突然の観光案内もしていた。

会議室利用に施設什器のプロジェクターが無料で利用できる。

お客さんは自前のパコソンを持参してもらって什器を利用するのであるが、なんせ持ちこまれるパソコンが多種多様なだけにぶち当たる問題も度々あった。

その都度に反省し、より広くの人たちに利用していただけるよう改善してきた。

プロジェクターは利用者自身でも簡単に接続できるようにわかりやすい説明図を作った。

接続図はもちろんであるが、接続を単純化表現にしてわかりやくした。

また、パソコンによっては映像出力切替ファンクションが異なることから、メーカー別の表も作った。

説明書はA4一枚の裏表表記。

世界的に利用が最も多いWIN向けに表記した。

接続ケーブルは数種類用意して備品化しておいた。

ただ、Macの場合は接続アダプターが高額なこともあり、利用者数が少ないという判断で購入はしなかった。

もうしわけないが利用者ご自身でご準備願うことを利用申請される段階で確かめることにした。

7年半も携わっていたが、無理を云う人はおられなかった。

みなさん、納得されていたのである。

A4裏表一枚で表記した説明図を作ったわけはもう一つの理由がわる。

市民交流館の職員は私同様にみなが臨時職員であった。

職員は年末年始の4日間を除く毎日の朝9時から夜9時までが利用できる施設。

職員3人が交替勤務をして利用してもらっていた。

私の元職場は情報処理会社。

一般の人よりかは少しだけの専門家。

他2名の臨時職員は専門家でもない。

一般市民に遅滞なく説明するにはマニュアル化した方が良かろうと簡略化した説明書を作ったのである。

おかげさんで説明書がわからなかった人はほぼ皆無だった。

まれに映像が出てこないという苦情はあったが、状態を見にいけば、説明図と違う接続をしていた。

利用者の勝手な解釈をしてしまうとそうなるのである。

苦情を伝えた利用者とともに説明書に沿ってゆっくりとしてもらったら映像が出てきた。

ありがとうございます、と云われたときはとても嬉しかったなと思い出した。

今回、接続するにはまほろば大学校にあるプロジェクター備え付けの接続ケーブルである。

さあ、パソコンにと思って端子を探すが見当たらない。

これには焦った。

直近にあった講演会は地元大和郡山市社会福祉協議会向けの民俗講演であった。

そのとき以来の講演で安心しきっていた。

このときも社会福祉協議会のプロジェクター。

難なく接続できて映像も問題なく出力できた。

なぜだ。

思い出したのはその直後にパソコンが壊れたことだ。

買い換えたゲートウエイパソコンは接続仕様が変化していたことに気がついたが、この日の接続には間に合わない。

まほろば大学校にあるのはVGA接続ケーブル。

諦めて私が持参していたUSBケーブルで繋ごうとしたがこれもまた出力しない。

あとから気がつけば、それはないだろ、である。

尤もパソコンによってはメーカーごとにファンクション切り替えを要する。

記憶にあるのは[Fn]+[F8]であるが、どうやら違う。

これもあとでわかったが、そりゃそうだ、である。

もし、映像が外部USBにあるなら、まほろば大学校のパソコンで試すことができますが、と云われてそうする。

映像データは小型のハードデイスクがある。

いつも利用しているハードデイスクは必需品。

これをまほろば大学校のパソコンにUSB接続してしれば・・出力した。

ほっと一安心するが、まほろば大学校のパソコンの操作がゲートウエイとはまったく違う。

メーカーが違うのは当然であるが、WINのバージョンが以前のもの。

操作方法に慣れがないものだけにオロオロして誤操作ばかり。

これでは当日に戸惑うこと必死になってしまう。

なんとかしますとと広げた道具類をバッグに詰めて家に帰った。

バッグから出てきたケーブル。



三本穴がある電源ケーブルは私のものではない。

明らかにまほろば大学校のパソコン電源ケーブルだ。

誤って持って帰ってきてしまった。

大急ぎで連絡するが、時間は午後6時を過ぎていた。

仕方なく、ケーブルの写真を撮ってまほろば大学校にメール送信した。

返事は日曜明けになるだろう。

その間に解決しておきたいプロジェクター接続ケーブル。

ネットで調べてみればすぐにわかった。

買い換えたゲートウエイパソコンは最新型のNE512-F14D。

ML6020Jの端子はVGAであったが、薄型のNE512-F14DはVGA端子がない。

代わりにあるのはHDMI端子である。

まほろば大学校のプロジェクターも最新型。

VGA端子もあれば、HDMI端子もある。

古い機種も新しい機種にも対応できるようになっているから、HDMI-HDMI接続ケーブルであれば繋がるのである。

買い求めた電気屋さんはイオン大和郡山店内にあるジョーシンの大和郡山店。

売り子さんに尋ねたら品物が並ぶ棚を案内された。

ネットオークションであれば500円ほどで売っている接続ケーブルがなんとお高いことか。

3千円もするケーブルはパソコン付属品コーナーに売っていたが、これらはパソコンメーカーもの。

サードサプライであればもっと安いものがあるのでは、と思ってお願いしたらテレビを並べている棚を案内してくださる。

同じようなHDMI-HDMI接続ケーブルであるが、これなら買えると思ったが、接続ケーブルの長さによって値段に幅がある。

ケーブルの長さは市民交流館に勤務していたから適切な長さというものは頭の中に入っている。

利用者が持参するパソコンの位置は必然的に決まる。

その位置からケーブルを繋げてプロジェクターに投影するのだが、どこに設営するのかで決まる。

どこというのは投影するスクリーンの位置で決まる。

ある程度の距離がいるし、映す大きさ、角度も考慮する。

必然的にスクリーンより外す。

しかも、だ。

もう一つ、考慮しなければならないのがプロジェクターの空冷フアンの風である。

生ぬるい風が聴講者にあたらないような位置にプロジェクターを設営する。

こうした条件に見合うケーブルの長さである。

テスト接続させてまほろば大学校に合わすなら長さは2mで十分だ。

尤もまほろば大学校のVGA-VGA接続ケーブルもたしか2m。

そう判断してジョーシン電気で買った製品はエレコム社製。

製品はケーブルの質によって金額が異なる。

一般的に勧められるケーブルは硬質。

頑丈だからだ。

私が買ったのは柔らかいケーブル。

ケーブル品質はいずれも同じなら使い易い柔らかケーブルを選ぶ。

硬質よりも、若干安かった製品は10%引きの会員特典を利用して1800円弱で購入した。

そして、26日の月曜日。

花園町で行われる魔除けの紫陽花取材に出かける直前に電話が鳴った。

まほろば大学校の事務長からだ。

添付した誤って持って帰った電源ケーブルの画像はなぜかはじかれて届かなかったが、ケーブルはやはりのまほろば大学校の備品。

木曜日の29日には使うというから急がねばならないが、火曜日の午後が可能いうことでこの日もやってきた。

電源ケーブルを返却してプロジェクターの接続ケーブルの再テスト。

持参したHDMI-HDMI接続ケーブルを繋げたら一発でスクリーンに投影された。

しかも、だ。

HDMI-HDMI接続ケーブルであれば、パソコンの音声も出るはず。

ケータイ電話で撮った動画をパソコンに納めている。

今回の「橿原の年中行事」にも登場する予定である。

その一つをクリックしたら大きな音でプロジェクターから聞こえてきた。

ボリュームも適度に調整できる。

事務長が驚かれたのはいうまでもない。

これでテストは完了。

まほろば大学校もケーブルを考えなければという事務長には私が買ってきたエレコム社製のHDMI-HDMI接続ケーブルを納めていた箱を提供した。会

計に頼んで備品の一つとして購買しておきたいと云われた。

利用者のためにもそうしてあげてください、である。

(H29. 6.23 SB932SH撮影)
(H29. 6.27 記)

勝原・まじないの紫陽花

2018年08月05日 10時36分19秒 | 民俗あれこれ
シモの世話にならないように願う婦人の願いを叶えてくださるまじないがあると知ったのは、この年の平成29年2月11日

在所は山添村の勝原。

その日は勝原で行われる子供の涅槃を取材していた。

取材にお世話になったお家がある。

そのお家で用足しを利用させてもらったトイレ内にあった逆さ吊りの紫陽花

家人がいうには毎年の6月26日にしているというまじないである。

6月に「6」の付く日が3回ある。

6日、16日に26日である。

その「6」の付く日に、である。

家のトイレに紫陽花の花を逆さに吊るしておけば、女性特有のシモの病気にかからないと云われている。

紫陽花に霊力が宿るとみなして魔除けになるという習俗である。

なかでも一番の効果があると信ぜられた26日に吊るすと話していた民家に向かう。

まじないをする時間帯は夜遅くなると話していた。

取材許可は得ているが、夜遅くはほんとに申しわけない。

ご主人の仕事帰りは遅くなる。

運動クラブに所属している子供さんも遅くなるし、送迎もある。

そうでなくとも例年はもっと遅い時間帯にしているという、S家は、取材に遅くなっては申しわけないと、早めてくださった。

気持ち早めてもらっても夜は夜。

真っ暗な村の道を歩いて呼び鈴を押した。

待ってくださっていたのはSさんの奥さんに母親だった。

夜遅くに訪問させていただくこと、たいへん恐縮しながらの取材である。

S家の紫陽花のまじないに呪文がある。



願文は「鳥枢沙摩明王 オンクロ ダナウ ウンジャク ランラン」である。

願文は例年同じ。

参照する見本通りに書く願文。

奥さんは奥さんの字。

母親は母親の字でそれぞれに書く。

祭るこの日の日付けに生年月日、並びに氏名を書。

願主の証しである。



二人並んで書いた願文を内側に置いて摘んできたお家の紫陽花を包む。

花束を作るようにくるくる巻いて包む。

金・銀それぞれの水引で茎の部分を括って締める。



紫陽花を包んだ花束は先端を折りたたんで毀れないようにしている。

できあがったら紫陽花包みをトイレに持ち込む。

先にしておくのが一年前に吊った紫陽花包み外し。

取り除いてから新しく作った紫陽花包みを逆さに吊る。



締める際に余らせていた水引でタオル掛けのところに括っておく。

このように紫陽花を逆さに吊るした願かけ。

手を合わせることのない願かけは、いつから当家に伝わるようになったのか。

奥さんの話しによれば、実家の桜井市芝がはじまり。

芝にお住まいの母親が、友達から聞いたシモの世話にならないようにという願掛け。

紫陽花をトイレに吊るすまじないであった。

嫁入りした奥さんは嫁いだS家でもするようになった。

それを知った義母もしたいというようになって今では二人揃ってしているという。



先代から教えられ、学んだ伝承民俗が一般的だと思っていたが、当家の伝承はお嫁さんが持ち込んだ出里の民俗文化である。

義母は、これは良いことだとお嫁さんがしてきたことを受け入れた逆の展開。

嫁、姑間にこだわりのない関係性に感動した夜だったが、面白いことに出里の母親が云った言葉。

「まだしてんのん」である。

実家の母親は継続することはなかったが、嫁入りしたS家で民間信仰を繋いできたこともまた驚きである。

この日の午後に取材させていただいたならまち界隈に住む女性は親戚のおばあさんから、であった。

後日にお会いした宇陀市榛原萩原・小鹿野(おがの)に住む老婦人は、最近になってからご近所の人から聞いてはじめたと云っていた。

伝わるルートは人さまざまである。

地域の行事でもなく、人と人の繋がりで拡散していた紫陽花祈願は、特に奈良に限定されているわけでなく、ネットで調べてみれば各地に存在する。

また、各家ではなく、神社寺行事によって行われているところもある。

ところで願主の二人が願文に揚げた「鳥枢沙摩明王」である。

読みは「うすさまみょうおう」或いは「うすしまみょうおう」。

ネット調べであるが、密教の明王の一尊。

真言宗、天台宗、禅宗、日蓮宗などの諸宗派で信仰されるとあった。

飯島吉晴氏が報告された論考『烏枢沙摩明王と厠神』。

「鳥枢沙摩明王」はトイレの神さまで、「うっさま明王」の名で呼ばれているそうだ。

また、陳甜氏が論考された『ポックリ信仰研究序説:ポックリ信仰の諸相(東北文化研究室紀要)』によれば、「鳥枢沙摩明王」はトイレの神様である。

「不浄を厭わず、不浄な場所に巣食って、諸病災厄の因をなす魔鬼の類を抑える呪力を有するための、厠(かわや)の守護神」である。

ごく普通の一般家庭では、お嫁さんに面倒をかけたくない。

とりわけ、シモの世話にならんように、という願う人は多い。

呪文の「オンクロ ダナウウン ジャク ランラン」は鳥枢沙摩明王のご真言であるが、何故に紫陽花であるのか、また何故に「6」の付く日であるのか、謎は謎のままで終わった。

ちなみに一年間もトイレで守ってくれた古い紫陽花はどうされるのか。

お聞きすれば翌年のとんどで燃やすと話していた。

ちなみに南山城にもこの習俗があるようだが・・

(H29. 6.26 EOS40D撮影)

和爾町・圃場の育苗状態

2018年08月04日 09時27分17秒 | 民俗あれこれ(四季耕作編)
前回に訪れてから2週間経過した圃場の状態を確かめにやってきた。

この日は朝から奈良市ならまち界隈の民家の習俗を撮らせてもらっていた。

もう一つの習俗取材時間は夜間になる。

そこへ出かける行程に見ておきたい苗状態である。

稲苗はまだまだ細い状態であるが、どことなく分けつが始まっているように思えた。

手前は隙間というか、空間が広がる疎らの直播き。

他の田んぼを見てもわかるように。

畦近くの撒き状態はまんべんなく撒かれたように思える。

そこより数メートル向こう。

特に中央部は苗、苗、苗どころか葉が生い茂っているように見える。

時間帯は午後7時前。

農道を往来する車のヘッドライトが照らしていた。

(H29. 6.26 EOS40D撮影)

天井に「空」

2018年08月03日 09時09分18秒 | 民俗あれこれ(護符編)
魔除けの紫陽花習俗取材に寄せてもらっていたS家である。

ふと見上げたお部屋の天井である。

仏壇を納めているその一角の天井に「空」の墨書を貼っていた。

初めて見る、これは・・。

新築した際に仏壇の位置を替えた。

神さんは天に戻るとかいうが、仏さんもそういう観念があるが、これは何だろう。

「空」の書はご主人が書いていたという。

ご祈祷してもらった「空」の書。

ネット等で調べてみれば、「天上符」のようだ。

「天」の書は「天上符」。

「雲」の文字なら「雲上符」。

仏壇屋さんが詳しいようだが・・・。

要は、仏壇や神棚があるお部屋の真上に2階の部屋がある場合である。

2階に居るときに、1階に仏壇があることを忘れて、踏んでしまうことになる。

そのような場合に貼る天井の護符が「天上符」、「雲上符」。

その上(2階)には何もない天や雲であると知らせる書。

仏壇の上は清浄で何もないという一種まじないのようなものである。

仏壇屋さんに売っているらしく、裏面シールを剥がして貼るタイプもあるようだ。

(H29. 6.26 EOS40D撮影)

ならまち界隈・民家の魔除けの紫陽花

2018年08月02日 08時36分12秒 | 民俗あれこれ
6月20日は第7回目の「私がとらえた大和の民俗」写真展の打合せ。

この日で7回目の開催になる会場は奈良県立民俗博物館。

近々に取材する魔除けの紫陽花を学芸員に伝えていた。

見るのも聞くのも初めてである紫陽花の民俗。

つい先だって、あじさい祈願をしていると知った久米寺に訪問

あらかたはわかったが、原点は個人のお家でしているということだった。

その魔除けの紫陽花民俗を取材させていただくお家は山添村の人。

そんな話を学芸員に話したら、実は奈良県立民俗博物館に問い合わせがあったという。

問い合わせした人が拝見した民博ブログにそのことを記載していたというのである。

何日か前にあった県民と思われる人の問合せに、学芸員たちは紫陽花の話題で沸騰したそうだ。

当時にアップした記事の映像。

紫陽花の花を半紙に包んで水引をかけていたという。

その記事があったとはつゆ知らず。

しかも、当時勤めていられたSさんが書いていたというのだ。

今は、もうその記事は削除され、失効しているという。

どんな様子であったのか、詳しく聞いてみたくなった。

Sさんは何年か学芸課に所属していた方。

なにかといろいろ話すことがあった。

気の利くSさんならお話を聞きたい。

そう思って本人に繋いでほしい旨を伝えた。

後日、私宛にメールが送られてきた。

文面はお断りであった。

あじさい祈願をお家でされている母親であった。

ちょっと、という母親。

それもそのはずあじさい祈願をしている場はトイレ。

そこを撮るのはちょっと、ということである。

なら、あじさい祈願をするに至った経緯でも、と伝えたが、それも無理なことであるようだ。

それが、直前になって一転した。

ありがたいことに許可してくださったのだ。

Sさんの声を久しぶりに聴いてほっと安堵した。

お家に伺うのは初めて。



母親にお会いするのも初めて。

気遣いを持参して伺ったならまち界隈の民家である。

車も指定される場所に停めさせてもらった。

Sさんが民博ブログで伝えたあじさい祈願は体験談であった。

あるときに、である。親戚のおばあさんから母親に頼んだこと。

我が家に生えている紫陽花の花を摘んで持ってきて、と云われた。

おばあさんの家に紫陽花を届けに行ったら、紫陽花を逆さに吊るしていた。吊るす場所はトイレである。

おばあさんがしていた逆さ紫陽花吊りは魔除けであった。

それを知ってからはS家でもするようになった、ということだ。

山添村の民家でも同じようなことをしているが、そこはまじないと思われる呪文を書いていた。

ところがS家にはそれが伝わってなく、紫陽花を逆さに吊ることだけが一緒だった。

S家では6月の「6」の付く日に摘んだ紫陽花を半紙に包んで水引で括る。

それをトイレに逆さ吊りする。

紫陽花の花粉は落下するが、花は枯れたまま付いている。

そうして一年間をトイレに祭っていた紫陽花は、翌年に降ろして、また新しく吊っているという。

今年は26日にしようと思っているというから、山添村の民家と同じ日になった。

その日のSさんは仕事の日。

休むわけにもいかないから、直接母親にお会いして撮らせてもらう習俗取材である。



早速はじめてくださった魔除けの紫陽花。

まずは、S家を一年間も守っていた古い紫陽花を下ろして捨てる。

紫陽花を包んでいた半紙は綺麗なままであるが、中身の紫陽花はカラカラに乾いた色落ちの枯れ花である。



次は、摘んできた紫陽花を半紙に包む。

花束を作るような感じで、丸めながら包む。



そして、落ちないように茎の部分に水引をかける。

きっちり括った形は花束そのものである。

それを持ってトイレに吊るす。



逆さに吊るした紫陽花が落ちないように水引で締める。

拝みのない習俗は括り付けて終わった。

元々は斑鳩に住むおばあさんが、ご近所かどこかで聞いてきた習俗。

シモの世話にならないようにと毎年していたと云う。

母親の母親も同じように、みなに世話かけんように、と願って紫陽花を逆さに吊るす。

下世話をかけたくない家族の願いでしているまじないであった。

(H29. 6.26 EOS40D撮影)