原題は「Doubt」疑い……物語の最後にシスター・アロイシアス校長(メリル・ストリープ)が涙ながらに告白する「疑いが……言いようのない……疑いの気持ちが」フリン神父(フィリップ・シーモア・ホフマン)を辞任に追い込んだ。
ニューヨーク、ブロンクスにある小さなカトリックの学校では、フリン神父と校長のシスター・アロイシアスとが開放と伝統との狭間で対立していた。時代が変わった教会も変わるべきだ。世俗的な歌もとり入れ、みんなでキャンプをして親しみを持たそうと言うが、シスター・アロイシアスは頑として拒否する。
この二人の中にあって、若く優しいシスター・ジェイムズ(エイミー・アダムス)は揺れ動く。ある日、シスター・ジェイムズは、フリン神父が男子生徒のロッカーに何かを入れるのを目撃する。神父が立ち去ったあとそれを確認したところ、黒人のドナルド少年の下着だった。教室でのドナルドの様子に不審を抱いていたこともあって、校長に相談した。事態は校長室での神父とのいがみ合いにまで発展する。
校長が話しを聞いたドナルドの母親(ヴィオラ・ディヴィス)の言葉は意外だった。「息子は神様がお作りになった性質をもっている。息子に関わらないで欲しい」これはもって生まれた同性愛感情を示唆したものだろう。ショックを受けた校長であるが、神父攻撃の矛を納めない。
挙句の果てに、神父が以前にいた教区のシスターに電話して前歴があることが分かったと告げた。そこには大いなる嘘が存在した。シスター・アロイシアス校長は、神父の前任教区のシスターには問い合わせていない。神父に鎌をかけて否定しなかったので、前歴があったと判断した。
映画の冒頭、神父の説教の中で「疑いは、確信と同じくらい強力な絆になり得るのです」と言わせている。この例として、貨物船が沈没して一人の船員が生き残った。ボートに乗り星を目印に方向を決めた。いつの間にか眠っていて、目覚めた時どこにいるのかどこへ向かっているのか分からなくなった。決めた方向は正しかったのかという疑問が沸いた。この疑問がないと正しい確信にいたらないと言うものだった。そこに嘘が存在すれば、いかなる確信も意味がない。
二つのテーマを見る。嘘で糊塗することと同性愛。この同性愛と言うシリアスなテーマは、ドナルドの母が言うように「神様がおつくりになった性質」で本人はどうすることも出来ないし、他人がとやかく言うべき筋合いのものでもない。近年同性婚を認める方向にあるのはいいことだと思う。私にも若干偏見が残っていることも事実だ。
映画は、冬の風景とともに教会内でのうす暗い雰囲気は重厚な印象を与える。しかし、神父やシスターの着る僧衣が黒く、顔だけが白く浮き出ている。これが逆になんともいえない魅力をかもし出していた。エイミー・アダムスの優しさと純粋な心を持ったシスター役に目が離せなかった。メリル・ストリープ、フィリップ・シーモア・ホフマンのアカデミー受賞俳優に加え脇役で活躍している黒人女優ヴィオラ・ディヴィス、それに若きシスター役のエイミー・アダムスの演技は見ものだ。
やはりメリル・ストリープの「何も語らない瞬間こそ説得力があるわ」と言う言葉通り、状況やセリフの持つ意味合いの表現に、顔や目の表情が秀逸だった。ホフマンも同様。短い出番だったヴィオラ・ディヴィスも力のある女優という印象だった。エイミー・アダムスは、二人のアカデミー賞俳優の演技に影響されて好演を見せている。そういう立場を見ていると、人は人に揉まれて自己を確立するのがよく分かる。普通のわれわれも、他人があってこそ自分自身が存在するということを再確認した。
監督ジョン・パトリック・シャンリー1950年ニューヨーク市ブロンクス生まれ。
メリル・ストリープ1949年ニュージャージー生まれ。
フィリップ・シーモア・ホフマン1967年ニューヨーク州フェアポート生まれ。‘05「カポーティ」でアカデミー主演男優賞受賞。
エイミー・アダムス1974年イタリア、ヴィチェンツア生まれ。父親の軍務の関係でコロラド州キャッスル・ロックで育つ。
ヴィオラ・ディヴィス1965年サウスカロライナ州生まれ。
これらの出演者は、‘08年アカデミー賞主演女優賞メリル・ストリープ、助演男優賞フィリップ・シーモア・ホフマン、助演女優賞エイミー・アダムス、ヴィオラ・ディヴィスがノミネートされた。