人間の男は(女もかもしれない)、死ぬまで性に執着すると言われるが、まさにその典型がこの小説である。77歳の卯木督助(うつぎ とくすけ)は、性的に全くの無能力者であるがいろいろの変形的間接的方法で性の魅力を感じることが出来るという。
したがって、性的な楽しみと食欲を満たす楽しみで生きている。この性的な面については、息子の嫁颯子(さつこ)が薄々感づいているようだという。総入れ歯を取り外した顔は、皺くちゃでサルよりも醜く自分を嫌悪するくせに、その颯子とのネッキングに成功する。それは高い代償つまり颯子からねだられて、猫目石(300万円、現在では6千万円ぐらいか)まで買ってやる。
この爺さん代々のかなりな資産家。邸の庭に広いプールまで作るという計画まである。いくら金があっても、間断なく襲う手の痛みや寒さ高血圧症では、遊びまわることも出来ないしその気力もない。しかし、食欲の方は、かなりな美食家で一流料亭での食事や高級ホテルのレストランという具合に贅を尽くす。
この爺さんについて医者の見解は、「異常性欲というべきもので精神病ではない。情欲が常に必要であって、それがこの人の命の支えとなっている。それに適応する扱いをしないといけない」というわけで、颯子がネッキングまで許したことになっている。
そうかなあ? と思ってしまう。この時代と現代とは違うかもしれないが、いま高齢者の性が議論されていることを思えば異常とはいえないのではないか。とにかく、それぞれが77歳に到達した時、実感としての感覚を確かめればいいことだと思う。
この本の解説には、「鍵」が性的欲望の悲劇ならこれは喜劇だという。なるほど、そうだろうな。蛇足ながら血の繋がりのない孫の渡辺たをりが書いた「祖父 谷崎潤一郎」を読むと、どうやらモデルは著者本人であるし、取り巻く家族も実際の家族のようだ。高血圧に犯され手が不自由になって行く様子も本人のもののようだ。谷崎潤一郎は、79歳で生涯を閉じた。