ニューズウィーク日本版は次のように伝えている。
[2013年6月11日号掲載]
先週のフランス南部は愛に満ちあふれていた。同性婚合法化に伴い、男性同士の初の結婚式がモンペリエで行われ、その直前にはカンヌ国際映画祭でレズビアンのカップルを描いた『アデルの人生』(アブデラティフ・ケシシュ監督)が最高賞のパルムドールを獲得した。
同作は前評判も高く、審査員の満場一致で受賞が決定。人気グラフィックノベルを原作に、15歳の高校生アデル(アデル・エグザルコプロス)と、年上の美大生エマ(レア・セドゥ)が恋に落ち、やがて別れを迎える数年を描いている。
評論家らの注目を集めたのは中身そのものより、女同士の濃密な10分間ものセックスシーン。のぞき見趣味、ポルノという批判もあり、「監督のあそこが画面に見えた感じ」と語る女性批評家もいた。原作者ジュリー・マローも「ポルノ」「私を落ち着かない気分にさせた」「ばかばかしい」とブログで批判した。
しかし審査員長のスティーブン・スピルバーグは「これは素晴らしいラブストーリー。だから私たちには、こっそりと見るのが恥ずかしいことではなく、特別なことに感じられた」と称賛。その性描写も含め、エグザルコプロスとセドゥだからこそ卓越した作品に仕上がったと指摘した。「配役がちょっとでも違えばうまくいかなかっただろう。感性豊かな映画監督の完璧な選択だ」
パルムドールの発表では例年は監督のみのところ、ケシシュと共に2人の名前が呼ばれた。本来なら女優賞も与えたいという審査員の思いからだ(カンヌでは、最高賞と他の賞が重複できないという規則がある)。
新進女優のエグザルコプロスは知名度が一気にアップ。受賞後は「みんなに寛容というものを示せたらうれしい」と語った。
セドゥは憂いを含んだ瞳と丸っこい鼻が印象的なフランスの若手注目株。『ミッション:インポッシブル/ゴースト・プロトコル』などハリウッド作品にも出演し、最近では仏映画『マリー・アントワネットに別れをつげて』で、アントワネットに思いを寄せる朗読係を演じた。
彼女がインタビューで語ったところでは、セックスシーンは作り物の性器を着けて臨んだという。困ったのは観客席に父親を見つけたときだ。「父は『すごく良かった。あのシーンは見なかったけど』って言って、私も『もちろん見なくてよかった』。『ああ、見なかったよ』『見なかったわよね』って......」
体当たり演技も、1人の娘としてはやはり恥ずかしいものか。
こういう映画は、賛否が拮抗するのは致しかたがないだろう。それにしても50年前に遡れば濃厚に描くレズビアン映画なんて考えられなかった。
また、作っても映倫の規則もあり、上映できるかどうか分からなかっただろう。私は好んでレズビアン映画を観るわけではないが、谷崎潤一郎原作の「卍(まんじ)」を1964年に増村保造監督、若尾文子と岸田今日子で撮ったものを観た。原作に忠実な作りで濃厚とは程遠いなんとも淡白な描写だった。原作そのものもそれほど濃厚ではなかったが。
当時と現在では、わいせっつの基準も変わってきているせいもある。
スピルバーグが 「エグザルコプロスとセドゥだからこそ卓越した作品に仕上がった。配役がちょっとでも違えばうまくいかなかっただろう。感性豊かな映画監督の完璧な選択だ」
このコメントは、私にはピンと来ない。実際に映画製作に携わったものしか分からない感覚かもしれない。ということは、映画監督として配役が如何に重要かという指摘でもある。
それにしても、こういう役が舞い込んできたらどういう風に考えるのだろうか。私には想像もつかない。恐らくこの映画は、日本で劇場公開されるはずだ。
それと レア・セドゥの出演作「美しき棘」「マリー・アントワネットに別れをつげて」「ミステリーズ/運命のリスボン」を観ることにしよう。font>