初恋の人とそうでない人とでは違う感情が湧くかも知れない。初恋の人は忘れられないというから再び恋に落ちるかも。そうでない人となれば、人それぞれだろう。
夫を事故で亡くしたアンヌ、妻が自殺という悲劇で亡くしたジャン・ルイが出会い恋に落ちる1966年の「男と女」の20年後を描いたのがこの映画。
私はこの映画に感情移入できなかった。雰囲気や余情がわたしに合わないのかも知れない。アンヌ(アヌーク・エーメ)の娘、ジャン・ルイ(ジャン=ルイ・トランティニャン)の息子達は成人していて、アンヌの娘フランソワーズ(エヴリース・ブイックス)は、母親そっくしで女優、ジャン・ルイの息子アントワーヌはボート・レーサーとなっていた。
アンヌもジャン・ルイも老けていくのが気になる50代になった。プロデューサーのアンヌは、テレビのキャスターと付き合っている。ジャン・ルイは、レーサーの指導役で、息子の妻の妹と恋仲という按配。年齢差が気になるところ。
その二人が再びレストランで顔を合わせる。アンヌは、かつてのジャン・ルイとの関係を映画化したいと言う。ジャン・ルイは、家族や親戚に知れるのがいやだという。
アンヌの作る映画がどうも評判がよくない。アンヌは悩む。アンヌの気持ちが徐々にジャン・ルイに傾いていく。パリ=ダカール・ラリーのコース下見行きを控えたある夜、アンヌとジャンは再びベッドイン。
「今度いつ会える?」アンヌの問いかけに答えぬまま、ジャン・ルイは恋人を伴ってパリ=ダカール・ラリーの下見に出かける。しかし、テレネ砂漠で二人は行方不明になる。安否を気遣うアンヌ。
その二人をらくだに乗った地元民が助け出す。テレビ局の質問に「私が間違ったコースに誘導した。タイヤを全部パンクさせた。水をすべて捨てた」というジャン・ルイの恋人、つまり無理心中を謀ったわけ。それほど恋人はジャン・ルイと別れられなかったともいえる。その心を思えば同情もしたくなる。
ところがアンヌは、そのことに触れようともしない。ただ、ジャン・ルイを求める。残酷な女としか映らない。(と私は思うが)ジャン・ルイにしてもシャーシャーとアンヌについていく。この二人は薄情だと私には映る。
本作でアンヌもジャン・ルイも別の道を歩んでいるのが分かる。では、前作で夜のプラットホームでの熱い抱擁は何のためだったんだと言いたい。
「まだ元夫への未練が癒されいなかった。時間が必要だった」一言のセリフで片付けられている。しかも「前作のあの抱擁は甘かった」といったセリフ。この甘かったというのは、いい加減な場面で締めくくったということだと思う。
それに加え「歳の差もあるし一緒に年齢を重ねられない」とジャン・ルイが恋人に言う。また、「あと20年後に会うなんていや!」とはアンヌ。
いずれも分別のある大人の言うことでもあるまい。好きになれば年齢は関係ないし、20年待つのはムリでも、無理心中の心を癒す1年なら待てるだろうに。どうもこの映画、二人を会わせるためにクロード・ルルーシュが急ぎすぎた感がある。
レースの映像を長々と流すのであれば、セリフで片付けるのではなく細部を丁寧に描いて欲しかった。とは言っても特筆すべきは、アヌーク・エーメの美貌は衰えていなかったということ。その彼女もすでに80代に突入してしまった。時間はかなり残酷だ。
監督
クロード・ルルーシュ1937年10月パリ生まれ。
キャスト
アヌーク・エーメ1932年4月パリ生まれ。
ジャン=ルイ・トランティニャン1930年12月フランス、ヴォクリューズ生まれ。
エヴリーヌ・ブイックス1953年4月フランス生まれ。
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