再版の本、政治学ではなく、都市、生活、労働のスケールでとらえ、歴史が絡む。読んで楽しい本だが、筆者は(恐らく)IDデザインの専門家らしく、都市計画の叙述には難もあり、その基本を知らないと誤解も出る内容だ。
ベラミーの「未来都市ボストン」では軍隊化社会と協働・集中調理が理想とある。パスカル・ディビの「寝室の文化史」には害虫対策(ノミ、シラミの三国同盟)が家事の問題であったとある。更に、富裕層の抱えるサポート人員は整理、運転、家畜管理に必要であり、近代の電化・機械化が如何に「人」から「機械」に代替したかが明確だ。これは家屋の縮小(サポート人員の部屋が不必要)
1893年のコロンビア博覧会(シカゴ万国博(シカゴ・コロンブス博)と記されているが、この記述はあまりないのでは)においてマサチューセッツ州の展示で「ランフォード・キッチン」という「公共キッチン」(セントラル調理の給食型)があったそうだ。(一般に、アングロ・サクソンは我慢が好きで美食が美徳でないという伝統だろうか)しかし、あっけなく、「料理の科学」によるチェーンストアのマクドナルドに敗退し、流行らなかったよだ。提供時間や配膳距離なら、この後のTVディナーのほうがよほど効率的だ。
日本も面白い、畳と椅子の「二重生活」は上流階級から流行、中流へ。これから、アパートの展開(同潤会など)や郊外都市・田園都市(当時は田園調布で郊外、いまならCBD連担)という変化をまとめるが、家政学の深みがない。
レヴィ=ストロースの「ブリコラージュ」(ありあわせで組合せのとりあえずスタイル)の分析はデザイナーらしく楽しめる。「ホールアース・カタログ」に加え、「新しい女性のサヴァイヴァル・スース・ブック」は面白い展開の指摘だ。
結論として、1939年のニューヨーク博においてGMの「フューチャラマ(この方が一般的)」を消費優先、労働のイメージ無しは面白い指摘だ。貧困、格差は付け加えだろうか。
アメリカでの貧困のフード・スタンプと栄養の偏り、ジャンク・フードへの否応ない傾斜なども指摘が欲しい。
概論としてお薦めできる