もんじゃ焼きや、お好み焼きの来歴について資料2,500冊他をクラウドにのせ、索引利用で本にまとめている。他に牛丼や焼鳥の著作もあるがKindleだけのようだ。なお、近代食文化研究会は個人の筆名とのこと。資料もエクセル形式で公開 https://docs.google.com/spreadsheets/d/1RFIwNBySGjNQc3S93Nmu8wAttWz54nJIFXw8qMZLpNU/edit#gid=0
歴史を探ると、
①夜店屋台で甘い小麦粉を使い字や形、立体などの細工物を作る「文字焼」
②-1鯛焼き・人形焼が夜店屋台に出て、競合
②-2駄菓子屋に子供の食べ物(低い机など七輪の上)、小麦粉で作り遊ぶ「文字焼き」
③洋食の流行で屋台の文字焼き(天もの)がソースを使った洋食のパロディとなりお好み焼きに発展、どんどん焼で店主が調理(屋台で高い焼台のため子供の手が届かないという指摘は正しい)
④お好み焼き店の発生:鉄板とガス、不良や逢引きのイメージ→各地方に発展
・大阪は洋食焼、一銭洋食、広島 一銭洋食、神戸にくてん(関西では天ぷらがつけ揚げのため)
⑤東京のもんじゃ焼きが第二次世界大戦後発展
関連して、西洋料理の普及、ソースの普及が取り上げられている。また、お好み焼きの焼きそばについては、中華料理の発達(→西支料理とした店もあり、洋食に中華も取り入れる)と中華麺の普及、これがソース焼きそばにつながったとしている。
ウスター・ソース( Worcestershire sauce https://en.wikipedia.org/wiki/Worcestershire_sauce )のリーぺリンが中国(支那)醤油を使っていたため、鳩ソースは日本醤油とあるという話はにわかに信じがたい。また、丸善の安井敬七郎が発明というのも信用できない。醤油と酢に香辛料を加えるとウスター・ソースになるかと言うと疑問だ。また、イギリス人はステーキにウスター・ソースをかけるというが、薬味で使っていたのではないか。リーペリンは辛口であり胡椒や芥子のような香辛料扱いだ。びしょびしょにして食べると辛い上、パンなどに合わない。
のせて焼くか、混ぜて焼くかは、カップルなら後者でしんみり、しかも店の人も来ない。天満の双月( https://tabelog.com/osaka/A2701/A270103/27002280/ )など半個室で「昔は都会派のデートスポットやったからね、逢引きカップルが強火の前で愛を語り合う。そりゃ、カツオもおどるっちゅうねん!」とエルマガジン ザ・めし P103にある。なお、バブルの頃はぼてじゅうでなくプレジデント千房で豪華なお好み焼きを食べるのがカップルの間で流行っていた。
餡子巻きや混ぜ込んだエチオピアなどは今も浅草「穂里」(B級グルメの東京一番しぼり P126)にある。
興味があるのが、ベツコー焼との合の子 愛知県(独立開業新商売確実成功法 服部金次郎)だ。大きな型に入れて両面を焼くとあるが、阪神百貨店 地下グルメの「ちょぼやき」( https://tabelog.com/osaka/A2701/A270101/27083895/ )みたいなものだろうか。( https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%A1%E3%82%87%E3%81%BC%E7%84%BC%E3%81%8D ラジヲ焼 http://radioyaki.com/radioyaki/index.html )熊谷真菜氏によると、神戸でのトンボ玉の製造用のくぼんだ穴のある銅板の転用だったように思うが。
こういう、粉もの、丼物、串ものなどのだれもしていないが身近な研究はとても面白い