8月29日のNZZ(新チューリヒ新聞)に載った記事です
タイトルは
山に捧げた犬生
その下に「
グリンデルワルトの番犬チンゲルがアルプス登山史上最も有名な登山犬となるまで」とあります。
全面記事
少しアップ
飼い主はチンゲルを深く愛し、写真を撮ったり、登頂のたびにチンゲルの首輪に付ける記念銀メダルを作ったりしました。
ステキな物語なので、いいところも割愛しながら要訳。それでも長いです。
1865年の9月、イギリス人登山家ヘレフォード・ジョージが仲間の登山家とともに山岳ガイドのクリスティアン・アルマーを待っていました。彼らはチンゲル峠を経てラウターブルンネンへ出る予定でした。人々を驚かせたのは、アルマーが子犬を連れてきたことでした。アルマーは来る途中に10フランで子犬を買ったと語りました。この子犬は生後5ヵ月の女の子で、将来、有名な登山犬になるなどとは誰も夢にも思いませんでした。子犬は勇ましく登山家とともに歩き、時々助けられながら、氷河に覆われたチンゲル峠を自力で越えたのです。人々は、これを記念して、子犬をチンゲルと名付けました。
続く3年、チンゲルはグリンデルワルトのアルマーの家で番犬を務め、何回か子犬も産みました。1868年、名高い女性登山家マーガレット・ブレヴォールトと甥の登山家ウィリアム・クーリッジがグリンデルワルトに滞在、アルマーをガイドとしました。アイガー登山に失敗して落ち込むクーリッジを慰めようと、アルマーはチンゲルをクーリッジに譲ったのです。アルマーの家には、チンゲルの息子ベッロが番犬として残りました。チンゲルは数日後から新しい飼い主のクーリッジとともに、アルプスの山々を制覇し始めました。
続く歳月の登山犬チンゲルの華々しい活躍は、書いているときりがないので省略します。
1869年モンテローザ登山の帰り道で、クーリッジとチンゲルは英国山岳会の登山家たちと出会いました。彼らはチンゲルの「業績」に感嘆し、その場で「正式に」英国山岳会名誉会員に選出しました。他方、当時既に名高い女性登山家だったマーガレット・ブレヴォールトは会員になることなく、このクラブに人間の女性会員が選出されたのは、漸く1974年のことです(それまでチンゲルは最初にして唯一の女性会員でした)。
チンゲルは登山が好きで、人間に強制されなくとも、進んで登山しました。1873年にクーリッジ一行がグランド・ルイネに登山したとき、最終行程が犬には無理だろうというので、チンゲルは山頂近くのキャンプに残されました。ところが、一行が山頂に着くと、別の方向からチンゲルが現れ、大喜びで尻尾を振りながら一行に合流しました。チンゲルは自力・独自のルートで山頂へ達し、飼い主に追いついたのです。
あるイギリスの登山家がユングフラウ高速登頂を目指し、意気揚々とエッギスホルンのホテルに戻ると、電報が届いていました。
“Bow wow, I could have done it much more quickly than that. Tschingel.”
(わたしなら、もっと早いわよ、チンゲル)
もちろん、クーリッジがチンゲルの名前で送ったものでしょう。
1875年7月24日、チンゲルはクーリッジ一行とともに、ヨーロッパ最高峰モンブランの山頂、海抜4810mに達しました。下方の集落から望遠鏡で一行の動きを見守っていた人々は、チンゲルが先頭に立って登頂すると、祝砲を鳴らしました。これは、外部からの助けなしに犬が自分の足でモンブラン登頂した最初の記録とされます。
1868年から1876年までにチンゲルはクーリッジ一行とともに毎夏アルプス登山しています。そのうち53回はアルプスの最高峰に数えられる山々で、11回は初登頂、小規模の登山やワンデルングは数百回に及びます。
晩年のチンゲルは、すっかり歯を失い盲目に近い状態となったので、クーリッジは安楽死を考えましたが、それより先1879年6月15日の夜に、チンゲルは暖炉の前の自分のベッドで眠るように息を引き取りました。
チンゲルはヨーロッパ・アルプス登山史上、今日に至るまで、最も多くの山頂を制覇し、最も知名度の高い登山犬です
ウィキ・フリー画像から
左からクリスティアン・アルマー(山岳ガイドでチンゲルの最初の飼い主)、ウルリッヒ・アルマー(息子かな?)、マーガレット・ブレヴォールト、チンゲル、ウィリアム・クーリッジ(1874年)。
子犬の名前の由来となったチンゲル峠最高点

後方は別の山々
私も、
ユングフラウヨッホまでは(ケーブルカーとロープウェーで)登っています。グリンデルワルトやラウターブルンネンにも行っています。アイガーの北壁は本当にえぐられたようで「よく、あんなところを登るもんだ」と呆れました。