みみずのしゃっくり

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「風立ちぬ」ポエム

2014-09-23 | おきにいり

前回の映画館で「風立ちぬ」を観ました。非常に詩的な映画だと思いました つまり宮崎アニメとしては「静か」です。
宮崎アニメ代表作のダイナミックなアクションやファンタジー、激しい戦闘場面などを期待した人は、期待はずれでガッカリしたことと思います。
宮崎監督は始めから、戦争映画、反戦映画とは全く違う映画を意図したのではないでしょうか。そういう枠をはみ出した、もっと抽象的な、哲学的とも言える内容です。
私の独断と偏見によれば
創造という名の狂気を静寂の中に詩的に描き出した映画なのです。

「創造という名の狂気」なら、主人公は高村光太郎でもミケランジェロでもベートーヴェンでも他の芸術家あるいは科学者でもいいのかも知れませんが、宮崎監督の終生の夢が「飛行」だからこそ、主人公が零戦の設計者だったのでしょう。映画は堀越二郎堀辰雄に捧げられています。
しかも、この雰囲気はアニメならではのものです。実写映画だと生々しく「肉々しく」なり過ぎて、風のような透明感が出せません。

映画から私が勝手に受容したイメージを集約したような音楽作品はショーソンの「ポエム(詩曲)」です。

バイオリンの神様のようなヤッシャ・ハイフェッツの演奏

長いですが、クラシック作品としては短く13分ちょっとです



      



「風立ちぬ」が紹介された9月11日付けのNZZ(新チューリヒ新聞)


映画の画面の部分を少しアップ

タイトルは「巨匠最後の飛翔」

紹介記事の要点
アニメ映画の巨匠宮崎駿は去年9月、引退することを表明した。続いてジブリも閉鎖されるかの噂が流れたが、幸いジブリは存続するようであり、宮崎監督も引退を前に、もう一度、その比類ないアニメ芸術を私たちに見せてくれた。これはアヴィアティック愛好家のための大きな喜びである…作品には関東大震災の光景も含め当時の日本社会が丁寧に描かれている。主人公の夢の中には飛行機設計者のカプロニが繰り返し登場し、様々な警告をしている。技術的な発明は遅かれ早かれ軍事目的に悪用される、というのもそのひとつである。主人公がサナトリウムに菜穂子を訪ねる場面でも、あるドイツ人が、ドイツと日本は、ともに破局に向かうであろうと予言する。サナトリウムの場面はトーマス・マンの「魔の山」を想起させる。戦争批判が不十分であるという批判もある。カプロニの語る「全ての創造者にとって絶頂期は10年であり、何としても、この期間に全てを懸けねばならない」という言葉を実践する中で、菜穂子さえ犠牲となる。こうした点について宮崎監督は「夢には狂気の要素があり、美しいものへの憧れは何かを破壊することもある」と述べている。

これを読んで出掛けたのですから、私の場合は「心の準備」が出来ていたわけです。コンピューターの無い時代に、主人公が計算尺を駆使する場面は「静かなる格闘」とも見えました。記事に「魔の山」が言及されていますが、私はルキノ・ヴィスコンティの「ヴェニスに死す」を連想しました。
「登場人物がタバコを吸い過ぎる」という批判があるのもネットで読みましたが、当時は、本当に多くの人々が場所をかまわず喫煙したのですから仕方ないと思います。例えば「殺生は不道徳で犯罪だから描いてはいけない」などと言い出すと、多くの映画が不可能になります。宮崎アニメの代表作もダメということになります。


ルキノ・ヴィスコンティに関する以前のみみずボログ記事

「風立ちぬ」DVD販売予告の記事に、みみずボログの以前の宮崎アニメ関連記事をリンクしてあります