ヤルムークは
ヨルダン川に注ぐ支流の中で最大のものです。
第一次世界大戦でここも戦場となりました。遠くに見える壊れた橋は、第二次大戦後の1946年に
ハガナーに破壊されたものです。
もうひとつヤルムークがあります。
ダマスカスの最南部にあるパレスチナ難民の居住地区でヤルムーク・キャンプと呼ばれますが、初期のパレスチナ難民が住み着いて、長年のうちに普通の市街地に発展しました。
ダマスカス地区見取り図の一番下、Al-Yarmoukと書かれたダークブルーの地域で、内戦勃発前には約14万人が住んでいました。この地域は2015年からテロリストの組織
イスラム国家に占領され、戦闘が続いているため大半の人々(殆どパレスチナ難民)は国内外へ逃れ、現在残っているのは7000~8000人とされます。
土曜日のアラビア語コースのとき、私のクラスの部屋半分にコースの後半から20人くらいの人たちが集まりました。アラビア語の先生が「この人たちはダマスカスのヤルムークから避難したパレスチナ人で、これからドイツ語を勉強するのです」と教えてくれました。皆パレスチナ難民の孫世代と思われますが、
彼らは二重の意味で難民なのです。パレスチナを追われ、ダマスカスのヤルムーク地区で安定した生活をしていたのに、更に命の危険があるためヨーロッパへ逃れ、その一部の人たちがオーストリアで戦争難民と認定され、更にその一部の人たちが
アフリカ・アジア研究所でドイツ語を学ぶことになったわけです。
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難民の顔にも、ソマリアからイエメンに逃げ、イエメンで内戦が始まったため又逃げなければならなくなった人が登場します。
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Yarmouk Camp
パレスチナ問題
国連パレスチナ難民救済事業機関