イタリアで恐ろしい
高架橋崩落事故がありました。
道路や橋は、誰もが何の心配もなく安心して通るものです。
それが突然なくなるのですから何の救急策もありません。
犠牲者の遺族や関係者が悲しむと共に怒るのも当然です。
ウィーンに長く住んでいる人たちは、1976年8月1日にウィーンで起こった同じような崩落事故を思い出したに違いありません。
私がウィーンに住むようになったのは、ずっと後ですが、崩落事故のことは読んだり、友達から聞いたりしました。
最初の橋は1876年に完成したルドルフ皇太子橋です
この橋は王朝終焉後、ライヒスブリュッケ(帝国橋)と呼ばれるようになりました。第一次大戦後急速に人口と交通量が増大すると、幅8メートルの橋は狭くなり、急増する負荷により橋の疲弊が明らかになりました。このため、1937年に2番目の橋が完成しました。これは当時、吊橋としてはヨーロッパ第三の規模で、全長1225メートル、幅27メートル、シュテファン寺院、大観覧車と並ぶウィーンのシンボルとされました。
2番目のライヒスブリュッケ1975年(崩落の1年前)

ドナウ川増水中です
そして1976年8月1日の早朝

突然、橋全体が水中に没しました
当時は、橋の修復拡張プロジェクトが準備され、橋の精密検査実施中だったのですが、それより早く橋の方で「もうダメです」と宣言したともいえます。
これは、ある意味では今回のイタリアの事故より劇的です。イタリアでは当時悪天候でしたが、ウィーンでは外的な悪条件は全く無く、完全に橋の疲弊による崩落事故でした。
1976年の8月1日は日曜日で、事故が起こったのも午前4時53分から55分で、自動車4台5人の人物が橋の上を走行中でした。亡くなったのは1人だけで、他の人たちは自分で難を逃れ、あるいは救出されました。
犠牲者がごく少なかったせいでしょうか。崩落した橋を見物に来る市民が多かったそうです。
落ち橋見物の人たち
1989年に東欧(特に東ドイツ)の人々がハンガリー経由でオーストリアに逃げてきたときも「難民見物」というのがありましたから、ウィーン市民は好奇心(野次馬根性)旺盛なのかも知れません。
現在のライヒスブリュッケは1980年に完成しました
ドイツ語ウィキの記事(写真が沢山あります)
英語ウィキの記事