ジェリコーの大作「
メデューズ号の筏」は、ロマン派絵画の例として美術の教科書などにも載っていたりします。
私も子供の頃から、多分教科書や画集で作品の存在は知っていましたが、何か大きな海難事故があったのかなと思うくらいで、背景には無関心でした。
ところが、
オーストリアの作家フランツォーベルによる最新著「メデューズ号の筏」の一部がラジオで朗読され、その歴史的事実に驚愕
1816年、フランスからセネガルへ向かった
フリゲート「メデューズ号」が座礁し、救命ボートが足りなかったため、船の建材を使って大型の筏が組み立てられ、約150人の人々が筏に「積まれ」ました。2週間の漂流後、通りかかった船に救助されたとき、筏の上の生存者は15人だけでした。漂流中の筏では人肉食のほか様々な恐るべき出来事があったようです。あまり想像したくない恐るべき出来事の数々です。
画家ジェリコーは、この事件に大きな衝撃を受け、まだ写真のない時代なので、事件を絵画として後世に伝えようと考えました。病人や死体のスケッチなど数々の習作を描いた後、8ヵ月後にこの大作が完成しました。
フランツォーベルは距離を置くため、現代人の視線で書いているようです(本を読んでいないので、書評をネット検索)。
15分の朗読の時間で一番印象に残ったのは、筏の生き残りにひとりが画家に向かって言ったことです:「これは私たちじゃありません」
これはフランツォーベルの創作エピソードかも知れませんが「真実」だと思います。
フリゲート艦メデューズ号と事件の概要は
メデューズ(帆船フリゲート)にまとめられています。
ジェリコーの絵画制作過程と作品が与えた影響については
メデューズ号の筏に詳しく記されています。
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追記
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フランツォーベルがメデューズ号事件を取り上げた背景には、
コスタ・コンコルディア座礁事故や近年続く地中海での難民ボート転覆事故の悲劇があると思います。
メデューズ号の筏で起こった惨劇は、既に座礁事故の段階で、ヒューマニズムのモラルが崩れていることに起因していると思います。筏を牽引する予定だった救命ボートは、牽引が不可能であり、このため筏の人々がボートに殺到することを恐れて、すぐにロープを切り離しています。こうした状況で人々は統率の取れた集団ではなく、烏合の衆と化していたのでしょう。
たとえ一定の指揮系統が機能していたとしても、400人に上る乗員(乗組員と乗客)を一貫して誘導するのは困難でしょう。
対照的なのは2010年に起こった
チリでの鉱山落盤事故です。坑道に閉じ込められた33人の作業員は数人のリーダーのもとに団結し、事故後18日目から地上の救助チームと連絡が始まり、事故後69日目に全員救出されています。
2015年欧州難民危機の後、バルカン・ルートがほぼ遮断されてから、再び危険な地中海が主要ルートとなり難民ボートの事故が続いています。