竹林を舟隠しにむかい降りて行くつもりが道がなくなった。
そこもいい場所なので作業を始めた。
鵜島は周囲4キロの島。
迷っても怖くない。
それに少し移動すれば海が見える。
それでも妹のきんかんは”迷い道”を作った。
黄金色の酒瓶がどちらに行こうかと思案中。
白い着物地の道が分かれている。
竹林を舟隠しにむかい降りて行くつもりが道がなくなった。
そこもいい場所なので作業を始めた。
鵜島は周囲4キロの島。
迷っても怖くない。
それに少し移動すれば海が見える。
それでも妹のきんかんは”迷い道”を作った。
黄金色の酒瓶がどちらに行こうかと思案中。
白い着物地の道が分かれている。
見事な竹林の中木も生えているが成長の早い竹には勝てないのかひょろひょろと細い。
どんな場合でも別格がある。
まっすぐな青竹の中に大きく曲がって黒い幹の木があり。
見上げてもどんな葉がついているのかは見えない。
葉がなく枯れているのではない。
あくまで竹との背比べで途中葉をつけた枝を出せなかったようだ。
すごい執念を持った木だ。
私の背が届くあたりに敬意を表して枯れた竹をオレンジ色のメッシュのナイロン袋でしばりその上にみかん類や青いビワを飾らせていただいた。
今年はビワの生り年でビワの実が目立つ。
去年道沿いの竹林の中から枝を出しなっていたビワが日も当たらないのにとてもおいしかった。
今年はたくさん採れそうだと思ってい行ったがまだ青い。
せっかく行ったので青い実が付いた枝を2本手折ってきた。
何やらお公家さんのお顔のようで高貴な感じだ。
高貴なビワを妹のきんかんも気に入って素材として使ってくれた。
スクッと立つ青竹は動かしようがないが竹の勢いに負けた木々の残骸がある。
拾い集めて青竹と合わせちょこんと高貴なビワを載せた。
拾った小梅もおつきにつけた。
鵜島では竹をよく素材として使ったが竹やぶに面と向かい合ったことがない。
船隠しへ降りる途中の竹林を作業場探しで降りて行ったが道を間違えてしまった。
ちょうど足場もいいし素材もあり、そこで作業を始める。
枯れた黒い竹はもろいがとても軽く扱いやすい。
まっすぐに立つ青竹を意識して枯れた黒い竹を斜めに置いた。
立ち枯れの木の上にゴールドの酒瓶を置き白い布で固定して白い布は下へ垂らした。
かぐや姫ではないが異界の何かが出願した雰囲気。
鵜島は周囲4キロほどの小さな島だが峠がある。
持ち込みの素材は持って運ぶより方法はない。
峠で疲れて休んだが休みついでに創作。
”峠道”
荒神峠と書かれた切り株にはクサフジがからまりきれいな花をつけていた。
妹のきんかんは”峠越え”
人に見立てた赤いナイロン袋を結んだのやらニンジンがエッチラエッチラと急な峠越えをしている。
峠あたりはお茶屋でもあるのかにぎやかだ。
9:20分の鵜島行フェリーに乗る。
ほんの10分ほどで着くが乗るまでは気を遣う。
1時間に一本もないフェリーで乗りそびれると目の前に見えていても行くことはできない。
鵜島に降り立ちのんびり歩いているといい天気なのか玉ねぎがきれいに並べて干されている。
思わずグリーンのアスパラガスを立てかけた。
妹のきんかんは黄金の酒瓶を置いて”ひかりものどうし”
静かに作業をしていると思ったが女性が現れた。
顔見知りのおばんだったので”こんにちわ”と挨拶をした。
玉ねぎはおばさんのものだった。
声をかけてくれると嬉しいと言ってくれた。
何年も通っているので顔見知りが多くなている。
昨日は午後より切山遺跡保存会によるハイキング。
時期もコーも去年と同じだがダムの水も少なくなっていると聞くが今年は雨不足で道路事情が違っていた。
去年は道路にできた水たまりに泳ぐオタマジャクシを見たが今回は乾いた道だ。
工事中の道路は伸びてなかった。
行政側からの予算が下りればまた伸びるだろうが行き止まりの道路状態が珍しいので楽しんでいる。
行き止まりなのでまた同じ道を引き返す。
行には気が付かなかったが帰りにユキノシタの花の満開に遭遇。
白い花がちらちらと一面に咲いたあたりは夢の国にのようだった。
行き帰りが同じ道でも目線が違うので見えるものもちがってくる。
帰り道にある副リーダーの家に立ち寄り暖かい飲み物をいただきハーモニカ演奏により皆で合唱。
広い屋敷に植わる栗の木の花が満開。
上を通る道路から見たところ。
切山は今進化中。
去年はなかったチョコレート工房が5月にオープン。
老若男女が集い見渡す限りの緑空間を楽しんでいるようだ。
すぐそばに新築住宅が建設中。
平家の里切山紹介のミニギャラリーもできていた。
無防備に大の字になりたいと思う場所はさほどない。
見近島の海岸でまだ砂が湿っているにもかかわらずなりたいと思った。
妹のきんかんに大の字になっているところをなぞってもらった。
来島海峡大橋のセメントの橋げたは巨大だ。
きんかんにそばに立って両手を広げ大声を出してもらった。
心が解放される場所はたくさんあった。
歩き、自転車、125CC以下のバイクでしか渡れない来島海峡大橋の橋げたになっている見近島は面白い島だ。
ケムシ・・と妹のきんかんが叫ぶ。
よく虫が目につくようだ。
アカメガシワの葉にケムシ。
かといって嫌いではないようで”捕まえた”を作った。
創作風景。
防波堤に突き出た土管を吹き流しに見立て”こいのぼり”
きんかんは砂浜に降り立つなり土管の模様が目についたようだ。
風雨、太陽、はどんな筆を持っているのだろう。
人には書けない模様だ。
歩道入り口に車を駐車して山道を登り来島海峡大橋にたどり着いた場所でもう創作したくなった。
市民会館川之江会館工事のため切り倒された桜の木っ端を持ってきている。
上天気の島並と鏡のような瀬戸の海をバックに写したかった。
桜の木っ端は11月に開く予定の野草(イエツァオ)展ではワラシクンに変身すると思う。
防波堤に突き出た土管に置いて”ワラシクンの住処”
キャンプ場周辺には竹ぼうきが至る所に置かれている。
立てかけられた長方形の溝のふたと箒風景が仲良さそうだったのでそばに生えていたハート型の葉を置いた。
"掃除好き”
溝のふたが石垣に何枚も立てかけられている風景も良い。
ちかくにあった箒も仲間に入れた。
”大掃除”
のろし台に木に立てかけてあった箒を持ってきてのろしのつもりで反対にたてた。
見近島での散歩時間は1時間ほどなのに創作のスイッチが入ってしまったようだ。
翌日も上天気。
5時起きでの朝の散歩は見近島。
来島海峡大橋の歩道入り口に車を置き見近島のキャンプ場まで1・2キロほどを歩く。
歩道は意外と広い。
道の駅伯方島あたりの風景。
歩くのが苦手なきんかんはしっかり履きなれた靴で来ていた。
見下ろすとキャンプ場は華やかなテントがたくさん張られている。
のろし台には若者がいる。
私たちに気が付いたのか手を振ってくれた。
ここは歩き、自転車、125CC以下のバイクでしか渡れない。
キャンプ場の聖地と言われマナーがいいことで有名だ。
歩きだといろんな角度より橋が見える。
橋の真下。
トンネルもある。
歩くのがイヤで橋を渡るまで不機嫌だった妹のきんかんが反響のいいトンネル内で歌い始めた。
今年はビワの生り年だ。
重そうに実をつけた木をよく見かける。
3~4年ほど前から実をつけ始めた畑のビワの実も今年はたくさんなった。
ちょうど野外教室の時に色づいたので宿へのお土産にして喜んでもらえた。
ちょうど畑のビワの実がなくなった頃大量のビワをいただいた。
元気が出るオレンジ色でみずみずしい実をみているだけでも幸せいっぱいだ。
忙しい中採り、持ってきてくれたのを無駄にはできない。
処分したのは茎だけ。
皮と種は焼酎漬け、数個の種は煮物用に、実はハチミツや酢につけ葉は草茶用に干した。
皮をむいた実を干しているところ。
種をとっているので生乾でもほんの少しになる。
干しブドウのような使い方をする。
忙しいが楽しい時間だ。
その後グミも大量にいただいた。
まずは焼酎漬け。
大量にあるので青い実は別につけた。
かなり渋みはあるが青梅だって同じだ。
焼酎と時間がまろやかにしてくれる。
それから生けた。
たわわになった実の重さに耐えられる花器がいる。
酒瓶が重宝だ。
一本の枝に懸崖枝もついている。
どちらを向いてもグミが目につくがしばらくうれしい日が続くだろう。
大急ぎで宿に帰り箸置きの素材を忘れたことに気が付く。
幸い素材用のチガヤとお土産用のツルナが車の中にある。
チガヤ3本は妹のきんかんでツルなの葉を使っているのはイエツァオ。
今年はビワのなり年のようだ。
きんかんの庭のビワが初めて実が生ったようだし私の畑に生えるビワも今までにないほど実がついている。
しっかりと水揚げして宿へのお土産にした。
女将が白磁の巨大花瓶に上手に生けてくれ従業員ともども大喜び。
ケムリの木を始めてみたと言うので素材にした後だが差し上げたらそれも生けられていた。
野外教室に興味を示してくれとても協力的でありがたい。
日が傾き海面はピンク色に染まり始めた。
妹のきんかんがもう7時だと片づけ始め宿には6時半ごろ帰りますと伝えている。
焦るがポツンと転がる巨大石をどうにかしたい。
とがって見える天辺をロープで飾ろうと思った。
近づくと登らなければ巻けない高さで天辺はとがってなかった。
牡蠣殻に足を引っかけて登りかなり苦労して巻いた。
”王冠”
少し前に黄金の酒瓶をアオサの上に置き牡蠣殻とチガヤを放射線状に置き”君臨”を作っている。
作業場は短い半島に阻まれうっすらと夕焼け色に染まっただけだったが駐車している場所からは華やかに夕焼け色に染まった海と空の間に多々羅大橋遠望。
今までにない青空の下で作業ができ今までにない夕焼けをながめながら宿に向かった。
今日は入梅で一日中雨が降っていた。
ほんの10日ほど前上天気で鮮やかな夕焼けを見られたことを思い出している。
妹のきんかんは遺跡海岸最後の作品作りに懸崖松を選んだ。
きんかんはこのしたたかに生き抜いてきた懸崖松を見たとき”母だ”と言った。
私たちの96歳になる母はいろんな身体機能が落ちているが楽しいことを見つけ元気に生きている。
通称ヤエコ松、遺跡海岸も私たちが勝手につけた名前だ。
母は死ぬまで買い物をすると言っていたが同じく買い物好きなきんかんと今でも出かけている。
下に生える苔で滑ると大騒ぎしながら作っていたが風雨や波と戦いながらしたたかに生き抜いてきた懸崖松もきんかんの手にかかると苦労で曲がった枝さえも軽やかに見えてくる。
クラフト展(イエツァオグループによる)の参加作家の和子さんより頂いた網の籠の中には華やかな色合いの帯地が入っている。
きんかんの作業風景。
がっちりと岩に食い込んだ根が力強い。