土日は 良い天気という予報 梅雨の晴れ間です
早朝から 大洗濯をしまたが 今日は にわか雨はないという予報なので
こんなに良い天気なのに ずっと家に居るのも 勿体ないな~
8時前に 友達に お誘いのメールをしてみたら 今日は空いているって ラッキー!
10時出発の ランチドライブとしました
県立秦野戸川公園に行くことにしました
途中 まず 早めのランチ 石庄庵 という蕎麦屋 ずいぶん昔に 数回来たことあるな
テラス席で 心地よい風に吹かれて 美味しいお蕎麦を食べました
おしゃべりしながら ゆっくりお蕎麦を食べて 目的の 県立秦野戸川公園に向かいます
水無川沿いを走っていたら「この辺に古墳があったっけ」と 思い出しました
「寄ってみよう」ということになり 予定変更
「秦野市桜土手古墳群」です
私は 以前来たことがありますが 友達は 来てみたいと思っていたけど 来てなかったという
古墳に詳しい友達が「よく整備されている古墳群だ」と 感心していました
私は よく分からないのですが 友達の話を聞いたら 少しは理解が深まりました
併設されている 展示館の係員の方と ゆっくり話をして 古墳のこと以外にも いろいろ教えてもらいました
中でも 私が「ふーん そうだったのか~!」と 納得したのが
秦野市の 葉煙草の生産のことでした
詳しいことは 帰ってきてから ネットで調べました
秦野市は「たばこ祭り」が行われるくらい 有名な 葉煙草の産地です
江戸時代初期から始まった 秦野のたばこ栽培は、
富士山の噴火〔宝永4年(1707)〕によって 煙草耕作の歴史は劇的に変わった
西風に乗って、火山灰というより黒い砂が 半月以上にわたって降り注ぎ、
秦野では50~60センチも積もって田畑は壊滅した。
国の復興支援や土木機械のない時代 復旧には多大の時間と労力がかかった
秦野地方にはもともと伝統的換金作物はなかった。
火山灰土の残る畑に対応できる作物といって選ばれたのが煙草だった。
明治37年から秦野の葉煙草は 薩摩(鹿児島県)、水府(茨城県)と並んで
全国3カ所御料用葉煙草生産者を出している
。
大正時代に日本の三大銘葉として
「薩摩煙草は天候で作り、水府煙草は肥料で作り、秦野煙草は技術で作る」
とうたわれ 名実ともに煙草の生産地となった
しかし 昭和59(1984)年、外国種に押されてなどの理由で、
秦野たばこ耕作は 幕を閉じました
煙草は ナス科の作物で 連作を嫌います
それで 輪作の作物として 選ばれたのが 落花生だったそうです
秦野と言えば、風味豊かな落花生が有名。
秦野の「落花生」は主に、明治から昭和にかけて
葉たばこの栽培の輪作として盛んに栽培されていました。
「落花生」は、煙草耕作の後の畑で 良い作物ができること、
火山灰土壌の秦野盆地に向いた作物であることから、
大正時代に優秀な品種が育成・導入され、秦野の代表的な産品となりました。
現在は、全国的に有数の産地となっていて、神奈川県内での生産シェアは1位となっています
というようなことが ぼんやりとですが わかったので 良い勉強になりました
特産品ができるということは その土地の土壌と 大きな関係があるんですね
これまで なんとなく 秦野といえば 「たばこ祭り」と落花生と思っていましたが
煙草と落花生には ちゃんとつながりがあったなんて 大発見でした
実は まだ 面白い発見があったのですが 長くなるので 後日とします
夫が 土日で出かけていたのですが 義母は「お昼はパンでいいよ」と言ってくれたので
私も 日中は出かけることができました
義母は つきっきりでなくていいので 本当に助かります
早朝から 大洗濯をしまたが 今日は にわか雨はないという予報なので
こんなに良い天気なのに ずっと家に居るのも 勿体ないな~
8時前に 友達に お誘いのメールをしてみたら 今日は空いているって ラッキー!
10時出発の ランチドライブとしました
県立秦野戸川公園に行くことにしました
途中 まず 早めのランチ 石庄庵 という蕎麦屋 ずいぶん昔に 数回来たことあるな
テラス席で 心地よい風に吹かれて 美味しいお蕎麦を食べました
おしゃべりしながら ゆっくりお蕎麦を食べて 目的の 県立秦野戸川公園に向かいます
水無川沿いを走っていたら「この辺に古墳があったっけ」と 思い出しました
「寄ってみよう」ということになり 予定変更
「秦野市桜土手古墳群」です
私は 以前来たことがありますが 友達は 来てみたいと思っていたけど 来てなかったという
古墳に詳しい友達が「よく整備されている古墳群だ」と 感心していました
私は よく分からないのですが 友達の話を聞いたら 少しは理解が深まりました
併設されている 展示館の係員の方と ゆっくり話をして 古墳のこと以外にも いろいろ教えてもらいました
中でも 私が「ふーん そうだったのか~!」と 納得したのが
秦野市の 葉煙草の生産のことでした
詳しいことは 帰ってきてから ネットで調べました
秦野市は「たばこ祭り」が行われるくらい 有名な 葉煙草の産地です
江戸時代初期から始まった 秦野のたばこ栽培は、
富士山の噴火〔宝永4年(1707)〕によって 煙草耕作の歴史は劇的に変わった
西風に乗って、火山灰というより黒い砂が 半月以上にわたって降り注ぎ、
秦野では50~60センチも積もって田畑は壊滅した。
国の復興支援や土木機械のない時代 復旧には多大の時間と労力がかかった
秦野地方にはもともと伝統的換金作物はなかった。
火山灰土の残る畑に対応できる作物といって選ばれたのが煙草だった。
明治37年から秦野の葉煙草は 薩摩(鹿児島県)、水府(茨城県)と並んで
全国3カ所御料用葉煙草生産者を出している
。
大正時代に日本の三大銘葉として
「薩摩煙草は天候で作り、水府煙草は肥料で作り、秦野煙草は技術で作る」
とうたわれ 名実ともに煙草の生産地となった
しかし 昭和59(1984)年、外国種に押されてなどの理由で、
秦野たばこ耕作は 幕を閉じました
煙草は ナス科の作物で 連作を嫌います
それで 輪作の作物として 選ばれたのが 落花生だったそうです
秦野と言えば、風味豊かな落花生が有名。
秦野の「落花生」は主に、明治から昭和にかけて
葉たばこの栽培の輪作として盛んに栽培されていました。
「落花生」は、煙草耕作の後の畑で 良い作物ができること、
火山灰土壌の秦野盆地に向いた作物であることから、
大正時代に優秀な品種が育成・導入され、秦野の代表的な産品となりました。
現在は、全国的に有数の産地となっていて、神奈川県内での生産シェアは1位となっています
というようなことが ぼんやりとですが わかったので 良い勉強になりました
特産品ができるということは その土地の土壌と 大きな関係があるんですね
これまで なんとなく 秦野といえば 「たばこ祭り」と落花生と思っていましたが
煙草と落花生には ちゃんとつながりがあったなんて 大発見でした
実は まだ 面白い発見があったのですが 長くなるので 後日とします
夫が 土日で出かけていたのですが 義母は「お昼はパンでいいよ」と言ってくれたので
私も 日中は出かけることができました
義母は つきっきりでなくていいので 本当に助かります