今日は滋賀県彦根市金亀町にある彦根城を紹介します。
江戸時代初期の元和8年(1622)、井伊直勝が琵琶湖北東岸の金亀山に、父・直政の意志を継いで完成させた城が彦根城です。
直政は、慶長六年(1601)徳川家康から石田三成の近江国の旧領を与えられて佐和山城に入ったのですが、中世の山城で交通が不便なこともあり、新たに近世城郭の建設を構想しました。合戦時の鉄砲傷が原因で直政は慶長7年に死没し家老の木俣守勝の進言により、金亀山を最適地として同8年(9年説も)から築城を開始した。
築城から城郭完成まで二十年の歳月をかけた大工事で幕府の総力をあげた国家的事業となりました。この時、天守は近くの京極高次の大津の城から移されたと伝えられます。
西の丸三重櫓は浅井長政の小谷城、天秤櫓は豊臣秀吉の長浜城、太鼓門は石田三成の佐和山城からそれぞれ移築されたといわれています。
彦根城は築城から明治の廃藩置県まで、一度の領主替えもなく井伊氏十四代が在城し続けました。
彦根城は、幕末の安政の大獄で有名な彦根藩十三代藩主である大老井伊直弼など、時代と共に幕府の中核となる人物を輩出しました。
下記のサイトにもお立ち寄りください!
http://ogino.okoshi-yasu.com/
江戸時代初期の元和8年(1622)、井伊直勝が琵琶湖北東岸の金亀山に、父・直政の意志を継いで完成させた城が彦根城です。
直政は、慶長六年(1601)徳川家康から石田三成の近江国の旧領を与えられて佐和山城に入ったのですが、中世の山城で交通が不便なこともあり、新たに近世城郭の建設を構想しました。合戦時の鉄砲傷が原因で直政は慶長7年に死没し家老の木俣守勝の進言により、金亀山を最適地として同8年(9年説も)から築城を開始した。
築城から城郭完成まで二十年の歳月をかけた大工事で幕府の総力をあげた国家的事業となりました。この時、天守は近くの京極高次の大津の城から移されたと伝えられます。
西の丸三重櫓は浅井長政の小谷城、天秤櫓は豊臣秀吉の長浜城、太鼓門は石田三成の佐和山城からそれぞれ移築されたといわれています。
彦根城は築城から明治の廃藩置県まで、一度の領主替えもなく井伊氏十四代が在城し続けました。
彦根城は、幕末の安政の大獄で有名な彦根藩十三代藩主である大老井伊直弼など、時代と共に幕府の中核となる人物を輩出しました。
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