今日は京都府京都市右京区梅ヶ畑高雄町にある神護寺を紹介します。
神護寺(じんごじ)とは、神仏習合が許されていた江戸時代以前、神社に付属しこれを管理した寺のことをいいます。神宮寺または別当寺と同じです。
神護寺(じんごじ)は、京都市右京区高雄にある高野山真言宗遺跡(ゆいせき)本山の寺院で、山号を高雄山と号します。寺号は詳しくは「神護国祚真言寺(じんごこくそしんごんじ)」というそうです。本尊は国宝の薬師如来像で、和気清麻呂により開基されました。
大同4年(809)から14年間空海(弘法大師)が住持、その後、荒廃しましたが、平安末期、文覚上人が再興させました。薬師如来像をはじめ平安、鎌倉時代の仏像、絵画、書跡などが多く残り、梵鐘(国宝)は日本三名鐘の一つです。
空海は東寺や高野山へ行く前に神護寺に一時住しました。最澄もここで法華経の講義をしたことがあり、日本仏教史上重要な寺院です。
神護寺(じんごじ)とは、神仏習合が許されていた江戸時代以前、神社に付属しこれを管理した寺のことをいいます。神宮寺または別当寺と同じです。
神護寺(じんごじ)は、京都市右京区高雄にある高野山真言宗遺跡(ゆいせき)本山の寺院で、山号を高雄山と号します。寺号は詳しくは「神護国祚真言寺(じんごこくそしんごんじ)」というそうです。本尊は国宝の薬師如来像で、和気清麻呂により開基されました。
大同4年(809)から14年間空海(弘法大師)が住持、その後、荒廃しましたが、平安末期、文覚上人が再興させました。薬師如来像をはじめ平安、鎌倉時代の仏像、絵画、書跡などが多く残り、梵鐘(国宝)は日本三名鐘の一つです。
空海は東寺や高野山へ行く前に神護寺に一時住しました。最澄もここで法華経の講義をしたことがあり、日本仏教史上重要な寺院です。