フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

1月21日(火) 曇りのち晴れ

2025-01-22 12:49:54 | Weblog

8時、起床。

チーズトースト、目玉焼き、ソーセージ、サラダ、牛乳、珈琲の朝食。

トランプが大統領に(再)就任した。

「ふぅ」

ブログの更新をしてから11時前に家を出る。今日は修論の面接(口頭試験)と大学院の社会学コースの会議がある。どちらも対面だ。12時からの面接に余裕をもって家を出たのだが、電車の中で資料に目を通していたら、東京駅を乗り越して神田まで行ってしまい、大学に着いたのは12時ぎりぎりになってしまった。

面接を済ませ、コース会議が始まるまでに1時間ほどあるので、「タビビトの木」に昼食を食べに行く。

新年から価格が改定になり、これまでセットに含まれていたドリンクは+100円のオプションになった。つまり実質100円の値上げである。+100円というのはサービス価格で、他の店だったら+300円くらいとるのではないかしら。

カオソーイ(カレーラーメン)セット。麺は中華麺と米粉麺を選べるが、米粉麺にした。

オプションのドリンクはカフェラテ。

2時から大学院の社会学コース会議。2時間ほどで終了(この後、文学部の社会学コース会議が続くが、私はここで失礼)。

古い一陽来復のお守りを穴八幡に納めに行く。

境内に置かれた古札守納所(箱)。

参拝していく。三列の真ん中に多くの人が並んでいるのは、真ん中の列の方がご利益がありそうだからだろう。私は一番列の短い左側の列に並んだ。

4月の句会の予約をしに「カフェゴトー」に行く。ついでに一服していこうかと思ったが、店内は超満員。今週は秋学期最後の授業が多いから、その流れで混んでいるのだろうか。

蒲田に着いて、「きりん珈琲」に電話をして豆の焙煎をお願いする。1時間ほどかかりますというので、店まで行って、一服するのにちょうどいい時間である。

イチゴあんプリンとマンデリンを注文する。

綺麗である。

豆が焙煎されるのを待つ間、最終講義の構成を考える。「社会学との出会い」「ライフストーリー論」「ライフスタイル論」の三部構成でどうだろう。各コンテンツ30分くらいで、トータル100分(一回の授業時間)に収めよう。教室での講義ではないから(オンデマンド)、御用とお急ぎの方は倍速で視聴することも可能である。

きりん珈琲ブレンド豆の焙煎が終わった。焙煎したてよりも、一晩おいた方が飲み頃になる。

店には1時間ほど滞在した。今年もよろしくお願いします。

蒲田駅→「きりん珈琲」→自宅というコースはけっこうな歩数で、これで今日一日の歩数は一万歩を越えた。

夕食は白湯鶏鍋。

食事をしながら『アンサンブル』の初回(録画)を観る。川口春奈演じる主人公は離婚裁判が得意な弁護士という設定。クールだが、過去に突然恋人に去られたというトラウマを抱えている。ドラマの間で流れるCMに川口春奈が出ているのが4社もあったことにびっくり。彼女、いまやCM女王である。ただ、こういう状況は彼女の演技の幅を限定してしまう(好感度の高い主人公)ことになりはしないだろうか。既視感のある主人公のキャラクターにそんなことを考えた。

土曜日に卒業生のカオリさんからいただいたお菓子を食べる。

そのカオリさんから今日届いたメールで教えていただいたのだが、カオリさんやミナコさんたちの座談会の記事を書いたのは豊田里美さんというフリーランスのライターの方なのだが、実は、彼女も文学部の社会学専修の出身で(2005年卒)、私の卒論ゼミだったことが判明した。なんという偶然の重なり! 世間は狭いですね。

彼女の紹介記事は→こちら

いろは句会の主宰の紀本直美さんからお手元に保管してある過去の句会の資料が送られてくる。何回分か欠落があるが、私のブログの記録などと合わせれば(他の会員のお手元に残っている場合もあるだろう)、きちんと記録として残せるのではないか。博士論文公開審査会、学位委員会、秋学期の成績付、ゼミ論集の編集、そして最終講義の収録が終わったら、暇になるので(何しろ次年度の授業の準備はもうしなくてよいのだ)、そういう作業に取り組もう。4月の久しぶりのリアル句会に間に合わせよう。

ちなみに記念すべき第1回の句会(2013年10月24日)の特選句は私の作だった。

 頼もしや五つ並んだカキフライ たかじ

紀本さん曰く「たかじさんの代表作ですね」。たしかにいい句だと自分でも思うが、デビュー作が代表作ってどうなのと思う(笑)。卒論が代表作の学者みたいではないか。そういえば、私の卒論はどこに行ってしまったのだろう。研究室にも自宅の書庫・書斎にも見当たらないのである。まさか処分してしまったということはないと思うのだが。

その日は木曜日で、夕方の5時から私の研究室で5人の参加者(まだ俳号はなかった)で行われ、句会のあとに蕎麦屋「いろは」で食事をした。それが「いろは句会」の由来である(もちろん初心者の句会という意味を兼ねている)。その蕎麦屋「いろは」はいまはもうない。

風呂から出て、「サンデー・ソングブック」をタイムフリーで聴きながら、今日の日記を付け、明日のスケジュールを考える。

2時、就寝。


1月20日(月) 晴れ

2025-01-21 10:33:28 | Weblog

9時半、起床。土日の疲れが出たのだろう。

チーズトースト、目玉焼き、ソーセージ、牛乳、珈琲の朝食。

昨日のブログを書く。句会ブログなので時間がかかった。

昼食を食べに出る。池上の「ハナコーヒー」へ行こう。「ベニースパー通り」と自分で勝手に呼んでいる道を行く。

「7119」。救急車を呼ぶ(119に電話する)べきかどうか迷ったときにかける番号である。覚えておこう。

昔、工務店であったらしいことが腐食した看板からかろうじてわかる。

「喫茶マキ」。入ったことはないが(この角を曲がると「ハナコーヒー」がある)、そのスナックのような店名から昭和の喫茶店であろう(後でネットで調べたらやはりそうだった)。「ハナコーヒー」が臨時休業だったときに入ってみようかしら。

「ハナコーヒー」には月曜に来ることが多い(火曜・水曜は定休日)。週末と定休日の間のエアポケットのような曜日で、空いているのである。

先客は一人だけだった。やっぱり。しかし、その人は私のお気に入りの席に座っていた。

座る席が違うと、店内の風景も違って見える。

チーズとトマトとソーセージのオリーブオイル焼き(トースト付き)。最近はこればかり注文している(その前はたまごサンドばかり注文していた)。

とにかく美味しい。トーストによく合う。

この大きな時計は飾り物かと思っていたが、ちゃんと正しく時を刻んでいた。「5年前(開業時)に買ってから一度も電池を交換してません」とマダム。ほんとですか? 忘れてるだけじゃないですか?(笑)

ヴィクトリアケーキと紅茶(アールグレー)。

1時間ちょっと滞在して店を出る。「よい休日を!」月曜だけどね。

帰りも歩く。

昨日は「花くるま」+本門寺参拝で8000歩だったが、今日はシンプルに自宅と「ハナコーヒー」の往復だけだったので5000歩弱。

ちょっと横になってから、シュッツの『生活世界の構成』を読む。

 「私は、レリヴァンス問題に関する考えをいくつか書きとめておこうと思って、夏用の別荘の庭に在るテーブルの上に筆記用具を並べた。ひと筆ペンを走らせたときの私の視野には、この白い紙面、書いている私の手、白い背景の上になぞられて文字になっているインクの跡が入っている。私の前には緑色をしたテーブルが在り、その上にはいくつかの物体―鉛筆、二冊の本、その他の物―が置かれている。さらに前方には、木、庭の芝生、ボートの浮かんだ湖、そして山が在り、その背景には雲が漂っている。ポーチのある家や私の部屋の窓などを見ようと思えば、私はただ振り返りさえすればよい。私はモーターボートのうなる音、隣の家から聞えてくる子供たちの声、小鳥のさえずりを聞いている。私は、書いている私の手の筋運動的動きを体験し、暖かいという感覚をもち、書いている私の腕を支えているテーブルを感じている。これらのことはすべて、私の知覚領域内に存在している。(中略)だが、知覚されているそれらのことがらはいずれも、当面、私にとって主題ではない。私はきわめて個別的な課題(レリヴァンス問題の分析)に注意を集中している。それゆえ私があれこれの環境のもとでいまこれを書いているというのは、私がレリヴァンス問題の分析というこの目標を成し遂げ、そして自分の考えを他の人たちに伝える、そのための手段のひとつにすぎない。」(31‐32頁)

いかにもシュッツらしい文章である。それは一部の人たちを夢中にさせるに十分な魅力を備えている。

夕食は豚肉と玉ねぎの甘辛炒め、柚子大根、茄子の味噌汁、ごはん。

食事をしながら『プライベートバンカー』第2話(録画)を見る。

レビューシートのチェック。

風呂から出て、浴槽の栓を抜くと、お湯が減っていく様子をチャイが眺めている(さっきまで一緒に風呂場にいたのだ)。

「お湯、なくなっちゃいました」

しばらく空になった浴槽の中にたたずむ。掃除をするからどいてね。

今日は「ライフストーリーの社会学」の期末レポートの提出締切日。24時を過ぎたので、提出されたレポートのチェック。提出されたレポートは325本。ファイルに問題があり、私のパソコンでは開けないものが2本あった。当該の学生にメールで連絡し、対処して、再提出するように指示する。

2時、就寝。


1月19日(日) 曇り

2025-01-20 14:21:28 | Weblog

9時、起床。寝坊した。今日は句会(オンライン)があるのだが、いつものように午後からではなく、午前中にあるのである。

チーズトースト、目玉焼き、サラダ、牛乳、珈琲の朝食。

10時からいろは句会(第64回)。主催の直美さんの都合なのだが、一種の朝活である。参加者は(画面左上から)恵美子さん、たかじ(私)、さやかさん、月白さんと渺さんご夫婦、直美さん、犬茶房さん。ほかに事前投句・選句で蚕豆さん、花さん。

今回の作品は24句。兼題(投句の3句中1句)は「百以上の数字を入れること」。

直美さんが24句を読み上げ、選考タイムに入る。各自、天(5点)一句、地(3点)二句、人(1点)二句。

私は以下の5句を選んだ。

天 風呂敷をまといて凛々し歳暮酒(せいぼざけ)

 年末に、一升瓶を風呂敷で包み(独特の包み方がある)、手に提げて、知人宅を訪ねるのである。粋で、リズミカルで、格調の高い句である。初句会にふさわしい。

地 土大根(つちだいこ)わたしは清廉潔白です

 畑から抜いて、水で洗う前の、まだ土のついたままの大根の台詞である。「色白美人です」ではなく「清廉潔白です」というところが、おかしくて、かわいい。

地 蕉門の目立たぬ人の冬囲い

 芭蕉にはたくさんの弟子がいた。そのトップ10が蕉門十哲(しょうもんじってつ)と呼ばれる人たちである。そういうレベルの人ではないが、裕福な商人(スポンサー的存在)なのであろう、庭の木に冬囲い(雪で折れることを防ぐ)を始めているのである。文化的な豊かさを感じさせる句である。

人 夕千鳥飛び立つ彼方星生まる

 「星光る」ではなく「星生まる」としたことで、古風でありながら、ファンタジックな美しい句になっている。「千」の字を入れた兼題句である。

人 冬麗の朝信号はみんな青

 もし見回す信号機がみんな青であったら、それは信号システムの故障であり、危険な事態である(「みんな赤」の方がましだ)。しかし、この句はそういう意味ではなく、車を走らせながら、一度も赤信号で止まることなく、走り続けている冬の朝の句である。よい気分であろう。「ずっと青」が誤解なき表現だが、「みんな青」の方が面白い。

各自が自分の選句を披露し、集計が行われ、高得点の作品人に選句理由が語られた後、作者が明らかにされる。

16点 風呂敷をまといて凛々し歳暮酒 渺

 今回の特選句は渺さんの作。恵美子さんと私が天を付けた。ただし、恵美子さんはお酒の入った箱を風呂敷で包んでいると解釈していた。う~ん、それはちょっと風情に欠ける。もちろん渺さんは一升瓶を風呂敷で包んで、手にぶらさげて、酒宴の場へと出かけたのである。

13点 土大根わたしは清廉潔白です 恵美子

 渺さん、さやかさん、蚕豆さん、私の4人がそろって地を付けた。私の選句理由はすでに述べたが、「私は清廉潔白です」と自分で言っているところに滑稽味がある。なんだか法廷のシーンみたいだ。家庭裁判所(家裁)ならぬ野菜裁判所(野裁)か。 

11点 六千の墓碑銘光る阪神忌 月白

 犬茶房さんが天を付けた。阪神淡路大震災(1995年1月17日)からちょうど30年。神戸(芦屋)にお住いの月白さん(渺さんも)は被災され、その後、いまのお住まいに引っ越された。句は「神戸ルミナリエ」という追悼イベントの様子をモチーフにしたもので、兼題句になっている。

11点 寒紅を選び別れを告げに行く 月白

 渺さんが天を付けた。寒紅とは寒中に作った紅のことで、とくに色鮮やかである。それを唇に塗って「別れ」を告げに行くというのは、告別式とかではなくて、愛人との別れであろう。坂本冬美か藤あや子が歌えばヒットするであろう。

11点 冬麗の朝信号はみんな青 月白

 これも月白さんの句。さやかさんが天を付けた。句の意味は私が選句のときに解釈した通りのものである。それにしても月白さん、今回の三作品がいずれも「11点」での上位入選である。特選こそ渺さんに譲ったものの、もし「総合点」という考え方があれば、「33点」で断トツの総合優勝である。

 9点 億年の孤独も楽し冬の旅 蚕豆

直美さんが天を付けた。昨年11月13日に92歳で亡くなった詩人、谷川俊太郎への追悼句で、最初の詩集『20億光年の孤独』をモチーフにしている。今回の兼題句の中で一番大きな数字である。

 9点 夕千鳥飛び立つ彼方星生まる 渺

月白さんが天を付けた。夫婦ともに相手の句に天を付けるとは仲睦まじいことであるが、インサイダー疑惑については否定されていた(笑)。

 7点 元日や烏の黒の艶の増す 恵美子

渺さん、月白さんの強力ペアに割り込んで恵美子さんも頑張っている。カラスという鳥はちょっと怖い印象があるが、それと元日という季語との取り合わせが面白い。「烏の黒」というダメ押し的な言い方も効いている(「白いカラスがいたら連れてこい」と夏井先生ならいうところだ)。

 5点 階段を一段飛ばしで年の暮れ 犬茶房

花さんが天を付けた。階段一段飛ばしですか。元気でいいですなぁ。わたしゃ、「懐かしの一段飛ばし」ですよ。

 5点 初風や500マイルを吹かれけり たかじ

私の句。1月7日に86歳で亡くなった「ピーター、ポール&マリー」のピーター・ヤーロウへの追悼句である。彼らがカヴァーしてヒットした『風に吹かれて』と『500マイルもはなれて』を詠みこんである。フォークソング世代の蚕豆さんから天をいただいた。

 4点 赤ん坊は百年生きた喪正月 恵美子

「じいさんは百年生きた」と普通はするところを、「赤ん坊は百年生きた」と始点に着目したところが工夫。もちろん赤ん坊のまま百年生きたわけではない(それは怪奇的である)。実際、恵美子さんの祖父は百歳近くまで生きたそうで、兼題句にするために、百歳まで生きたことにして詠んだ句である。

 4点 何ごともなく三日目の夕べかな たかじ

私の句。4人の方から揃って「人」をいただいた。直美さんから「人職人の句ですね」とお褒めの言葉をいただいた。派手さはないが、しみじみとした味わいがある句というのが「人」に選ばれやすいのである。去年は元日の夕方に能登の地震があり、二日目の夕方に羽田飛行場で飛行機の炎上事故があり、落ち着くいとまのない正月であったから、「何ごともない」ことのありがたさが身に染みた今年の正月だった。季語は「三日」。1月限定の季語である。

以下は時間の関係で入選句のみを示す。

 3点 レノン忌にHelp!とひとり口遊む 蚕豆

 3点 蕉門の目立たぬ人の冬囲い 蚕豆

 2点 入試かな百のつむじを監督す 犬茶房

 1点 二つ三つ秘密抱える月冴ゆる 花

 1点 晴天の神様おわす去年今年 たかじ

 1点 いよいよだ晦日にそなえ麦酒(むぎしゅ)かう 犬茶房

 1点 福笑い無理をしてめっちゃ笑っている 直美

次回の句会は4月13日(日)、オンラインではなく、久しぶりの対面開催を予定している。みなさんとお会いできるのを楽しみにしています。

そして誰もいなくなった。

句会を終えて食事に出る。呑川沿いの道を池上まで歩く。「俳句」のあとは「ハイク」である。

本門寺の参道にある中道院。

ここの梅の木は地域で一番早く咲く。

すでに一輪、二輪、ほころんでいる。

本門寺の総門の前を通る。あとでお参りしよう。

「花くるま」は今年初めての訪問。

先週末から営業を始めている。

先客はいなかった。カウンター席に座り、たらこ、昆布(葉唐辛子)、いなり、すいとんを注文する。

私の後に女性の一人客が入って来て、たらこ、昆布(葉唐辛子)、すいとんを注文した。「あと、いなりを注文したら私と同じになります」と言おうかと思ったが、やめておいた。店主さんにこっそり「あちらの女性にいなりをさしあげて」と言うのも、もちろんやめておいた。

店主さんは毎朝、本門寺のあの階段を三往復されているという。それはすごいですね。

食後の腹ごなしにその階段を上る。約百段。「一段飛ばし」などもってのほか。

階段を上がると、山門。

山門は仁王門とも呼ばれる。

山門をくぐると正面に大堂。

節分の豆まきの舞台の準備が進んでいる。

大堂に参拝。

いまの時期、線香は束ではなく、一本の太い線香である。

大香炉に線香を置き、煙を体に浴びる。

五重塔を横に見て、

階段を下りる。階段は上りより下りの方が要注意である。膝への負荷が大きいのだ。

総門の前の「寶屋」で煎餅を購入。

参道の「藤乃屋」で葛餅を購入。長い間、テイクアウトのみで営業していたが、ようやくイートインも再開したようである。

帰りも歩いて帰る。往復で8000歩。

買ってきた葛餅を妻と食べながら、『プレバト』3時間スペシャル(録画)の俳句コーナー(冬麗戦)を観る。15人が選抜されて「大ピンチ」をお題にした俳句を詠み、成績上位3名が決勝ラウンドに進むというⅯ1‐グランプリのような方式。森口裕子(名人九段)、北尾渉(永世名人)、千原ジュニア(永世名人)が決勝ラウンドに進み、同じお題でもう一句。千原ジュニアが優勝した。

 病窓は暗闇慣れぬ尿瓶凍つ 千原ジュニア

葛餅のあとはしょっぱい煎餅。

少し横になってから、昨日のブログにとりかかる。途中で夕食になる。

シシャモのアヒージョ、カニカマのサラダ、数の子の松前漬け、豆腐とワカメのスープ、ごはん。

食事をしながら『法廷のドラゴン』の初回(録画)を観る。将棋の奨励会三段まで行った女性が弁護士に転進して将棋で培った読みの力を駆使する物語。う~ん、どうも設定に無理があるような・・・。

昨日のブログを書き上げて、アップしたのは夜も9時半になっていた。

本日の句会ブログの下準備をしてから風呂に入る。

風呂から出て、今日の日記を付ける。

2時、就寝。


1月18日(土) 晴れ

2025-01-19 21:25:01 | Weblog

8時半、起床。

チーズトースト、目玉焼き、ソーセージ、サラダ、牛乳、珈琲の朝食。

食事を終えて、書斎に移動すると、チャイがデスクの椅子の上で寝ている。どいてもらう。

昨日のブログを書く。

家を出ようとするとき、山田昌弘さんから新著が届いた。『希望格差社会、それから―幸福に衰退する国の20年』(東洋経済新聞社)。2004年に出された『希望格差社会』の続編である。鞄に入れて、電車の中で読むことにする。

「私の分析は楽観的なものではない。格差は広がるだけでなく、固定化し、経済的に行き詰まりをみせている。しかし、人々は大きな不満を持つわけでなく、幸福な生活を送っているようにみえる。(中略)特に格差拡大の被害を最も受けているはずの若者の幸福度が上昇している。格差拡大、経済的停滞と人々の幸福度の高まり、このギャップを「幸せに衰退する」と私は表現した。
 その秘密は、人々がリアルな世界ではなく、「バーチャル世界」で満足を得る方法を見出だすようになったからと考えている。リアルな世界では、生活は豊かにならず、経済的に越えがたい格差が存在している。しかし、バーチャルな世界に意識を向けさえすれば、平等で希望に溢れている。
 バーチャル世界は、人によってその内容は異なる。ある人はペットとの関係に、ある人はソーシャル・ゲームの中での活躍に、ある人はアイドルの推し活に、幸せを見いだしている。バーチャルな世界の広がりが、日本社会にとってよいことなのかどうかは、現時点では判断できない。それでも、リアルな世界で格差が広がる中、格差を埋め、人々に幸せを提供するプラットホームとして機能していることは確かなようにみえる。」(まえがき)

山田さんの分析は興味深いものだが、それを支持するためにはいつくかの留保が必要である。第一に、人々の幸福度が上昇しているというとき、指標とされているのは「現在の生活満足度」である。「幸福」と「満足」ははたして同じものであろうか。第二に、意識調査では「将来への不安」は大きい。「現在の満足」と「将来の不安」は表裏一体で、「将来が不安」だから、そこから目をそらすように、「現在の(目の前の)満足」に目を向けているのではないかと解釈することもできよう。第三に、山田さんは「バーチャルな世界」を非常に広義に解釈している。ネット空間のソーシャルゲームは「バーチャルな世界」の典型だが、ペットとの関係も「バーチャルな世界」の中のものだととらえている。「バーチャル」という言葉は日本語にすれば「仮想的」に当たると思うが、山田さんは「疑似的」なものも含めているようである。だから推し活も一種の疑似恋愛という意味で「バーチャルな世界」に属することになる。山田さんは例に上げてはいないが、昔からある小説を読むという楽しみも本の中の「バーチャルな世界」に楽しみを見出すものということになるだろう。つまり「いわゆる現実」以外のありとあらゆるものが「バーチャルな世界」だとみなされることになる。私は「リアルな世界」と「バーチャルな世界」という二分法ではなく、身体性と他者性を基準とする多元的・多層的な生活空間というものを考えた方がよいのではないかと思う。

キャンパスのスロープに最終講義のタテカンが並び始めている。私と同じ姓の大久保良峻さんは東洋哲学の教授で、「平安仏教研究遊歩」というタイトルで最終講義を行われるようである。教授の下の名前まで知っている学生はそう多くはないであろうから、「大久保先生(私のこと)、ふだんとはずいぶん違ったテーマで最終講義をするのだな」と思うかもしれない(笑)。ちなみに私は「ライフストーリーとライフスタイル」というタイトルでオンデマンドの最終講義(3月1日から一カ月間、外部の一般の方も視聴可能)を予定している。リアルな教室ではなく、ネット空間で行うバーチャルな最終講義にもタテカンは立つのかしら。

昼食は研究室でコンビニおにぎり(昆布と梅)。

研究室の片づけを少しずつ始めている。このデスクの上には昨日までプリンターが置かれていたが、リユースで廃棄したので、一時的な本の置き場にすることができるようになった。

夕方、一文の社会学専修の2人の卒業生が研究室にやったきた。カオリさん(左)とミナコさん(右)である。カオリさんは私のゼミの学生で、彼女の結婚式にも出席しているのだが、ミナコさんはカオリさんの一学年下で、2年生のときに私の社会学基礎演習(?)を履修していたとのこと。ゼミは当時新人だった土屋先生のゼミだったそうだ。

ミナコさんにいただいたうなぎパイを食べながら(紅茶を淹れて)、あれこれおしゃべりをする。二人は昔からの知り合いだったのではなく、比較的最近、あるきっかで知り合って、同じ大学の同じ学部の同じ専修の一学年違いで、たまたま私の授業をとったことがあるということを知ったのである。そのきっかけというのは、二人とも子連れのワンオペの海外赴任を経験した(している)女性たちであるということだ。カオリさんはアメリカ、ミナコさんは台湾(現在も継続中)で、今日、ミナコさんが出張で帰国したその足で、一緒に私の研究室に顔を出そうと相談して決めたのである。

海外赴任というと、男性が単身で、あるいは妻子と一緒にというイメージがあり、実際、そういうケースがほとんでであるが、二人のように、女性が子連れで(ワンオペで)海外赴任というケースはこれから増えていくだろう。しかし、海外赴任というものが、男性を想定して制度化されてきたために、女性の子連れワンオペのケースには不都合なことも多い。たとえば、子供が小学生の場合、シッターを雇うことになるが、これがかなりの出費で、海外赴任手当だけでは不足で、持ち出しになってしまう。とくに現地で出張ということもあり、そうなると夜間も含めて数日間シッターを雇うというのは相当な料金になり、それだったら日本から親や夫を呼んだ方が安上がりということもあるそうだ。まさに家族・親族の総動員体制で臨まなくてはならないのである。それでも、二人とも、上司から海外赴任の話を出されたときは、その場で(家族に相談する前に)「行かせていただきます」と即答したそうである。さすがであるが、それくらいの高いモチベーションがないと女性の子連れワンオペ海外赴任は難しいということでもあろう。二人の経験はこれからのモデルケースとなるものだろう。そのことは二人も自覚されていて、セミナーなども開催されている(二人が知り合ったのもそこでである)。→ ネットの記事

6時前に研究室を出て、江古田に向かう。芝居を観るためである。江古田兎亭で1月17日から19日の三日間に渡って行われる演劇祭「シアトロンⅢ」。

その中のメインイベントともいえる「THE BEAST」を観るためである。この芝居は劇団獣の仕業のオリジナル作品(脚本・立夏)で、2018年12月に吉祥寺の「櫂スタジオ」で初演されたものである。劇団獣の仕業の10周年記念作品として作られたもので、大学の演劇部で知り合った仲間たちが卒業後に劇団を作り、それからの10年間の劇団的自分史(去っていくメンバーや新しく加入するメンバー)をモチーフとして「演劇を続けていくことの意味」を問うた演劇である。

そのときの「フィールドノート」は→こちら

その後、2019年1月に配役を大きく変えて(主演のエンゲキジン、ザ・バウシュリタウ・ユキヅリレテを演じる小林龍二だけは同じ)、リーディング風の演出で、江古田兎亭で再演された。

そのときの「フィールドノート」は→こちら

そして今回は、脚本は変わらないが、演出は立夏ではなく、倉垣吉宏(舞台芸術創造機関SAI)である。このことが芝居の印象を大きく変えた。コミカルな部分とシリアスな部分の振れ幅が広がったのである。楽しんで観る余裕が生まれたといってもいい。また、主演のエンゲキジンも小林龍二から常盤美紀(「常」という字は実は難しい字でパソコンからは入力できなかったので下にポスターの一部を拡大しておく)に代った。後から倉垣に聞いたところでは、脚本はエンゲキジン役を小林龍二のあてがきで書いたものなので、そこからどう脱却して普遍化するかが今回の演出の一つのポイントだったそうだ。男優から女優に代ったことで、エンゲキジンが中性的な存在になったことは確かであり、同時に、作品が劇団獣の仕業の自分史というコンテキストから自由になったのではないかと思う。実際、今回の俳優陣はカイワ役の立夏を除いて他の劇団の主宰クラスから構成されており、オールスターキャストによる演劇を観客はわくわくしながら楽しむことができた。また、再演のときに導入されたリーディングという手法は継承されていたが、それは見かけ上のもので、役者たちが手にしていた台本は一種の小道具のようなものであることは明らかだった。役者たちの発する台詞は、台本を経由せず、直接彼らの身体から発せられていた。

下の出演者の集合写真はジカン役の吉川種乃のXから拝借したもの。

前列左からシュジンコウ(琴音)、エンゲキジン(常盤美紀)。

後列左からコヤイリ(倉垣吉宏)、サッカ(斎藤可南子)、カイワ(立夏)、ジカン(吉川種乃)。後列の4人がゾンビのようなメイクなのは、彼らは泥人形という設定のため。

終演後、脚本およびカイワ役の立夏(左)とエンゲキジン役の常盤美紀(右)と。

演出およびコヤイリ役の倉垣吉宏と。

帰路、とても満ち足りた気分だった。魔法よ、覚めないでほしい。

帰宅したのは10時半頃。

風呂から出て、今日の日記を付ける。

1時45分、就寝。


1月17日(金) 晴れ

2025-01-18 12:01:25 | Weblog

8時、起床。

風呂場→ベランダ→一階の出窓、というのがチャイの朝のルーティン。最近は寒いので、ベランダには長居をせず、自分から戻ってくることが増えた(抱えて連れ戻されるときも抵抗しない)。

チーズトースト、目玉焼き、サラダ、牛乳、珈琲の朝食。

昨日のブログを書く。

11時半に家を出て、大学へ。今日も寒い。ホームの陽のあたる場所を歩く。昔、『陽のあたる場所』(1952)という映画があった。悲劇的な物語だが、音楽は甘美だった。

今日は3限が演習。4限・5限はゼミがお休みで、オフィスアワー。

昼食はコンビニおにぎり(鮭と梅)。

3限は演習「現代人と孤独」。女子4人グループの発表でタイトルは「一人ご飯を考える」。各自がチェーン店とノンチェーン店(イタリアン、中華、焼き肉、カフェの4種類の店ごとに)でのフィールドワークの経緯と結果を報告した。非説明変数は「一人ご飯を楽しめたかどうか」で、説明変数は「お店の経営形態(チェーン店と非チェーン店)と料理のタイプということだが、他にも訪問する時間帯(昼食、おやつ、夕食)や、「一人客」をどれだけ想定した店であるか、初めて入る店か何度か行ったことのある店なのか、といったことも結果に影響を及ぼすだろう。また、個人的な要因としては、日頃から一人ご飯をよくするのかどうか(今回は全員初めての一人ご飯)、社交的な一人ご飯(店の人や他の客とのおしゃべり)を指向するかどうか、お酒を注文するかどうか、使える金額なども結果に影響するだろう。いろいろなことを考えさせてくれる面白い報告だった。それにしても「サイゼリア」って安いんだな。ドリアが350円とは驚いた。

オフィスアワーには5人の学生が来て、それぞれに本を持って帰ったが、おしゃべりをしている時間が長かった。6時までの予定だったが、延長して7時までやった。オンデマンド授業と連動してのオフィスアワーという試みは春学期の「日常生活の社会学」で試しに1回にやってみて手ごたえを感じたので、秋学期の「ライフストーリーの社会学」では月イチペースで行ったが、有効なやり方だと思う。惜しむらくはもっと早く気付くべきだった。

7時過ぎに大学を出る。

夕食はいつものように「ごんべえ」で食べようと思ったら混んでいたので、「日高屋」に入る。今日の演習の報告の中に「日高屋」が(別の場所だが)出て来たことも意識の片隅にあったかもしれない。私はここの味噌ラーメンがけっこうすきである。

味噌ラーメンを食べ終える頃に、もう少し何か食べようかという気持ちになり、半チャーハンを追加で注文する(始めからセットで注文したことにする)。

半チャーハンにはスープは付いてこなかった。味噌ラーメンのスープを残しておいてよかった。

カウンター席だったが、私の隣の若い女性客は私が席に着いてときにすでに食べ終わっていたが、私が食べ終わって出るときもまだ席に着いたままスマホをいじっていた。食堂をカフェのように使っているのに驚いた(似たような光景は「ごんべえ」でもたまにみかける)。ちなみに演習の報告で「日高屋」でフィールドワークをした学生は、野菜炒めのみを注文し(ライスもビールも注文せず)、それを20分ほどで食べて、出て来たそうである。

帰宅すると、昨日、アマゾンで注文したスマホのケースが届いていた。これまで使っていたものよりもしっかりしている分、重量もある。

いろは句会の主宰の直美さんより、日曜日の句会の作品一覧が届く。投句は24句(8人)サッと目を通して、粗方の選句をする。

レビューシートのチェック。

風呂から出て、今日の日記を付ける。

2時、就寝。