フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

11月3日(土) 曇りのち晴れ

2007-11-04 02:56:15 | Weblog
  朝方は少々寒かったが、昼頃からは陽射しの暖かな一日となった。朝食をとってから蒲田宝塚に『ALWAYS 続・三丁目の夕日』を観に行く。封切り初日の初回である。こちらも気合が入っている。話題の映画であるが、そこは場末の映画館、観客はまばらである(きっと有楽町マリオンあたりは長蛇の列が出来ているのであろう)。それでもいつもよりは混んでいて、もぎりの女性も生き生きとしている感じがする。
  本編の前に12月公開の『マリと子犬の物語』の予告編が流れた。中越地震のときの実話に基づいた映画で、被災地の村に置いていかれた母犬と子犬たちの話である。明らかに『南極物語』の二番煎じである。飼い主の一家が自衛隊に救出されてヘリコプターで運ばれていくときに、マリ(母犬)がそのヘリコプターを追って疾走する。機上から「マリー!」と犬の名前を呼んで泣く少女。私の斜め前の席に座った夫婦と思しき男女がその映像を観て涙をぬぐっている。おいおい、本編が始まる前にもう泣いちゃうのかよと思ったが、気づくと、私も涙ぐんでいた。よかった、一人で観に来ていて。私は子どもの頃から人前で泣いたことがないのが自慢(?)なのである。
  本編が始まった。ストーリーについては書かない。これから観に行く人のためということもあるが、この映画は、前作同様、ストーリーがそれほど重要ではないからだ。この映画にあっては、ストーリーは「懐かしさ」のアイテムを配置するための径路であって、ストーリー自体もそうしたアイテムの一つ(定型的な家族物語であり純愛物語)なのである。前作から2年が経過したが、映画の中の時間は前作のラスト(昭和33年暮れ)から4ヶ月後の昭和34年春である。しかし主要な登場人物の一人である淳之介役の須賀健太(1994年生まれ)はこの2年で身長が伸び、急に大人びた印象を受ける。とても「4ヶ月後」という感じではない。一方、鈴木オートの息子、一平役の小清水一揮(1995年生まれ)は以前と同じ印象である。子役を使って続編やシリーズものを撮ることの難しさであろう。今回、新たに登場した「懐かしさ」のアイテムは、ハンドクリーム「ももの花」、アイスキャンデー売り、銭湯の牛乳、電気洗濯機の手回しのローラー、16ミリ映写機、トリスバー、DC-6(プロペラ機)、特急こだま、頭上に高速道路のない日本橋、ハエ取り紙などである。ハエ取り紙を最後に記したのには理由がある。前作では「懐かしくはあっても汚いもの」はアイテムとして採用されなかった。たとえば、汲み取り式便所とバキュームカー、街角の木製の大きなゴミ箱(家庭から出る生ゴミがそこに捨てられ、いつもハエがたかっていた)、ドブ川などはその代表であろう。あれは臭かったし汚かった。映画の中の町並みが貧しいが清潔な印象を与えるのはそうしたものが描かれていないからである。今回、ハエ取り紙を採用したのはそうしたことへの小さな反省があったためではないか。
  汚いものの排除という思想は登場人物たちにも及んでいる。町医者宅麻先生役の三浦友和(1952年生まれ)はプログラムに掲載されたインタビューの中で自身の子どもの頃を振り返ってこう語っている。「僕が住んでいたのは、神楽坂近くの下町っぽいところだったんですが、みんな、こんなに優しくはなかったですよ(笑)。だけど、もちろん中には優しい人もいて、そういう人ばかりが集まったのが、三丁目という場所だと思います。」
  プログラムには台詞のある出演者全員のコメントと生年月日が載っていて、興味深かった。淳之介の実父川渕役の小日向文世と詐欺師松下役の浅野和之は私と同じ1954年生まれ。鈴木家に娘の美加をあずけてダム工事の仕事に出かける鈴木大作役の平田満は一つ年上の1953年生まれ。タバコ屋のキンさん役のもたいまさこは、三浦友和同様、二つ年上の1952年生まれである。このあたりが私と同じ世代の出演者である。彼らを観ながら、自分はこういう役どころを演じる年齢なのかと思った。気持ちの上では、鈴木オートの主人役の堤真一(1964年生まれ)なのだが・・・。
  さて、前作での一番の「泣かせどころ」は茶川(吉岡秀隆)がお金持ちの実父のところから戻ってきた淳之介を突き放すシーンであったが、今回はヒロミ(小雪)が茶川の立身出世のためには自分はいてはいけないと、彼への思いを断ち切って姿を消していくシーンであろう。茶川と淳之介のためにカレーライスを作り、茶川の帰宅を待たずに去っていく小雪が、歩きながらこみ上げてくる涙を手で拭うシーン、あれは素晴らしかった。女優というのはこんなに美しく泣けるものかと私はそのシーンを観て思った。実際には、人はこのようには泣かない。昨日、地下鉄の中で涙ぐんでいる女性を見かけたが、じっとうつむいて目に涙をためていた。顔を上にあげたり、目を大きく見開いたり、頬をつたう涙を手のひらで拭ったり、そういった動きは一切なく、ただじっと涙をためていた。私は人前で泣いたことがないので、想像でいうのだが、本当につらいときというのはそうやって泣くのであろう。だが、それでは女優にはなれない。
  映画館を出て、千代田寿司で握りを3人前買って返る。食後、生垣(赤目)の剪定作業。久しぶりで身体を使ったら疲れて夕方まで居眠り。おかげで西蒲田五丁目の夕日は見ることができなかった。