フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

11月5日(月) 晴れのち曇り

2007-11-06 02:33:26 | Weblog
  基礎演習のレポートへのコメントをメールで全員に送るという作業をしているのだが、なかなか捗らない。コメントしたいことがいろいろあるためだが、もう一つ、夏休み明けに提出したものよりバージョンアップしたレポートを送ってくる学生がいるだろうと期待して待っているためである。でもそういう学生はきわめて少ない。
  あまり感心しないレポートの典型は、情報しか書いていないレポートである。あるテーマを定め、それに関して文献を読んだり、ネットで調べたりすれば、そこそこの情報は集まる。しかしそうやって集めた情報をただ紹介するだけでは不十分である。それでよいのなら、どんなテーマでもそこそこのレポートは書けるだろう。「男女雇用機会均等法」でも「現代社会と動物園」でも「ホームレスについて」でも、何でも書けてしまう。しかし重要なことは、なぜ書き手がこのテーマを選んだのかということである。可能性としては無限にあるテーマの中から、なぜ、よりによって、そのテーマにしたのかということである。そのことについてちゃんと語られていないレポートは、たまたま開いた百科事典のある項目をテーマにして、そこに書かれていることをまとめた文章と大して違いがない。数年前の私の卒論演習で「それについて書かなければ死んでも死に切れない」テーマという表現が流行ったことがあった。それだけ自分にとって切実なテーマという意味である。基礎演習のレポートにそこまでは要求しないけれども、テーマと筆者とが乖離してしまっている(なんでそのテーマを選んだのかが伝わって来ない)レポートにならないようにしなくてはならない。
  いまのは書き出し部分の話だが、本論の部分では何を書くのかといえば、書き手がテーマといかに格闘したか、あるいはいかに戯れたか(遊んだか)の報告である。難しい問題にウンウン唸ったり、あるいは「あっそうか!」と目から鱗の落ちる思いにワクワクしたりしながら、考察というものが行なわれるわけだが、レポートでそれを読み手に伝えてほしい。そうすれば読み手は書き手と同伴しながら読み進んでいくことができるだろう。
  昼食は「ZOOT」に食べ行く。味玉ラーメンを注文。なかなか癖になる味である。栄松堂で『文藝春秋12月増刊号』を購入し、ルノアールで読む。特集の「おとなの銀座」を読みたかったのだ。甘味処や喫茶店の紹介がなかなか充実している。「銀座のあんみつ大集合」のページに掲載されている11個のあんみつの写真をながめていたら、池上の「甘味あらい」の特製あんみつが食べたくなった。でも、傘をもって出なかったので、雨模様の空を見上げて断念する。「甘味あらい」の特製あんみつは銀座の名店と並んでもまったく遜色ないものである。