フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

11月28日(水) 曇り

2007-11-29 02:46:22 | Weblog
  つい先日までの小春日和の日々はどこへやら、一転して、曇天の薄ら寒い日々となった。でも、個人的には、もう少しコートなしでも大丈夫な感じである。北風がピューピュー吹かない限りは、ジャケットの下にセーターを着込んでいれば寒さはしのげる。
  2限の「ライフストーリーの社会学」の授業の後、何人かの学生が試験のやり方について質問しにきた。もうそういう時期になったのだ。残りの講義の回数は4回。4回で戦後の「人生の物語」の変遷を論じなければならないが、無理のようである。80年代くらいまでが精一杯であろう。90年代以降の話をどうしても聴きたい方は、来年度、秋期火曜2限の演習「現代社会とセラピー文化」を履修してください(って番宣か)。
  昼食はTAのI君といつものように「秀永」で。私はレバ肉とニンニクの芽の炒め定食。I君はホンコン飯(先日の私のブログを読んで食べてみたくなったそうだ)。大学の職員の方とおぼしき男性二人組と相席だったが、「先輩、何がお勧めですか?」と聴く後輩に「ここは何を頼んでもうまい。ほんとだから」と先輩が答えていた。確かに、町の中華料理屋さんとしては星2つだろうね。
  午後は、二文の卒論演習(今回で最終回)と、一文のMさんとK君の卒論の個人指導。合間に、牧阿佐美バレエ団事務所に電話して3月の公演(白鳥の湖)のチケットを予約する。帰りがけに生協戸山店で以下の本を購入。

  佐藤正午『彼女について知ることのすべて』(光文社文庫)
  石宮恵子『思春期をめぐる冒険』(新潮文庫)
  保阪正康『自伝の人間学』(新潮文庫)

  『思春期をめぐる冒険』は村上春樹の『羊をめぐる冒険』を連想させるものだが、それはたまたまのものではなく、副題は「心理療法と村上春樹の世界」となっている。

  「物語と心理療法のことを考えていくにあたって、村上春樹の作品を取り上げる理由は三つある。まず、冒頭で紹介したように、対談やエッセイなどで村上春樹自身が、小説を書くときの自分のスタンスが自己治療的なものであるといことについてはっきりと言及していること、第二に、治療場面でかなりのクライエントが彼の小説について話題にすること、そして第三に、(これが一番強い動機だが)村上春樹の小説を読んでいると、まるで心理療法の現場で起こっていることそのもののように感じられるからである。」(5-6頁)

  心理療法のクライエントたちが村上春樹の小説について話題にすることは知らなかった。でも、いわれてみると、いかにもありそうな話だ。内省的な小説ということだろう。「現代社会とセラピー文化」で村上春樹の小説もとりあげることにしよう。
  夜、明日の授業の準備の傍ら、基礎演習の学生たちからのメール(レポートが添付されている)にコメントを返す。右手でテニスのラケットを振りながら、左手で卓球をやっているような感じがする。けっこう器用だなと、われながら思う。