フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

11月17日(土) 晴れたり曇ったり

2007-11-18 03:16:58 | Weblog
  今日も冷え込んだ。昨日よりもさらに冷え込んだようである。一日家にいたが、床暖房のレベルをこれまでより上げないとならなかった。
  昼、妻が居間のTVで『ALWAYS 三丁目の夕日』のDVDを観ていた。妻は、近々、友人と一緒に『ALWAYS 続・三丁目の夕日』を観に行く予定なので、その前に前作を観ておこうというわけだ。私もなんとなくつきあいで観ることになった。これで何度目だろう。一種の古典落語のようなもので、何度観ても楽しめる。妻は前作は観ていないはずなのだが(自分でそう言っていた)、途中で何度か「この場面は知っている」という。最初は映画の宣伝で観た映像なんじゃないかと言っていたが、あまりにそれが何箇所もあり、しかも予告編でそんなネタバレみたいな部分までやるわけがないじゃないかという箇所があり、実は一度全編を観ていたんじゃないか、でも、何かの片手間で観ていたために、そのことを忘れてしまったのではないか、という結論になった。やれやれ。
  映画を観終えてから、インスタント・ラーメンで昼食。途端に眠くなり、夕方まで昼寝をする。やはり土曜日というのは一週間の疲れが出る感じだ。夕食の前に、二文生のHさんの卒論の草稿に目を通してアドバイスをメールで送る。この時期、もう大きな変更を求めるようなアドバイスはできない。あたらしい要素を求めることは最小限に抑えて、既存の要素を取捨選択し、どう配列すればスッキリと話の筋が通るかということである。話の筋が見えにくいのは、多くの場合、手持ちの素材をすべて盛り込もうとするためである。たぶんそこには4万字(400字詰原稿用紙換算で100枚)という量についての脅威がある。だから収集したデータや文献からの抜書きを総動員してしまうのである。しかし、そうすると、情報量こそ多いものの、素材同士がしっくりなじんでいない、未完成のスープのような卒論になってしまう。いくつかの素材については、「これは使わない」ときっぱりと捨てることである。
  夕食(秋刀魚の塩焼き)の後、WOWOWで玉木宏・宮崎おあい主演の映画『ただ、君を愛してる』(2006年)を観た。ずいぶんとベタなタイトルだが、これは大塚愛が歌う主題歌「恋愛写真」のサビのフレーズをそのままタイトルに転用したのである(原案は『天国の森で君を想う』だったそうだ。どっちもどっちだが)。死んだ母親からの遺伝性の病気を抱えた女の子が、病気の発症を抑えるために恋愛感情をもたないようにしてきたのだが(女性ホルモンの分泌を抑制するためという意味か?)、大学の入学式の日に自分に声をかけてくれた男子学生に恋をして、まさに命を懸けた恋になってしまうという話。絵空事といってしまえばそれだけの映画なのだが、観終わった後に、すがすがしい感じを残す映画であった。映画館では観ないだろうし、DVDを借りて観ることもない、私にはあまり縁のないジャンルの映画だが、WOWOWだったので観てみようという気持ちになったのである。「ただ、君を愛してる」か・・・。一途な言葉だ。ところで、この「ただ」は「ひたすら」の意味だよね?「ただし」の意味じゃなくて。だったら、「ただ」の後の「、」はいらないんじゃないか。別にいちゃもんをつけるわけじゃないんだけどね。ただ、言ってみただけ。
  深夜、「ライフストーリーの社会学」の授業で使う予定のビデオのチェック。3時を回った。もう寝なくちゃ。