9時、起床。窓の外は雨。寒そうだ。今日も家を出ることはなかろう。昨夜の水餃子の残り汁で作った雑炊の朝食。
パソコンのディスプレーの上が小雀の居場所の1つ
今日は何の予定も入れていない。土日の遅れを取り戻すべく書斎でひたすら原稿を書き、合間にメールをちょこちょこ書く。昼食用にコンビニにおでんを買いに行く。大根、玉子、牛すじ、竹輪、白滝、ロールキャベツを購入。〆て500円ちょっと。大きな容器にたっぷりの汁。この汁が大切なのである。しかし、コンビニでのおでんの注文は難しい。おでん屋さんで食べるのであれば、いっぺんにこんなには注文しない。2つか3つ注文し、それを食べてからまた次を注文する。コンビにでは全部を一度に注文しないとならない。展開(最初にこれを食べて、次にこれを食べて・・・)というものを考えるのが難しい。まだ何も食べていない段階で食べたいものを注文するから、子供のようにとりあえず食べてみたいものをバラバラに注文した感じで、統一感というかストーリーに欠ける。だんだん恥ずかしくなってくる。
やっぱり薩摩揚がないとおでんらしくない
ところで、いま、書店や文具店では来年の手帳がたくさん並んでいるが、私が不可解に思うのは、スケジュール欄の時間目盛がほとんどの手帳で24時間表示になっていることだ。実生活で「16時」なんていう言い方をする人がどのくらいいるのだろうか。「午後4時」あるいは単に「4時」という人がほとんではないだろうか(「4時」といって「午前4時」と混同しないのは文脈から「午後4時」であることがたいてい明らかだからだ)。私がいつも使っている能率手帳(早稲田大学仕様)の時刻表示は「12」の次は「1」となっていて、生活感覚に合っている。私が能率手帳を使い続けている理由の1つがここにある。ついでに言うと、曜日表記も月表記も漢字が主で英語は従である。「今日は月曜日」であって「今日はマンデー」なんていう認識の仕方をわれわれはしない。
手帳の空白は真空ではなく時間があるということ