フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

4月5日(土) 晴れ

2014-04-06 12:52:14 | Weblog

     8時半、起床。

     炒り卵のサラダ、マフィン、牛乳の朝食。

     私が食事をしている傍らにはるがいる。前足の先を垂れたポーズがかわいい。

 

      10時過ぎに母の入院に付き添ってS病院へ。土曜日なので(ということはないのかみしれないが)、外来の待合所は混んでいる。入院の手続きを済ませ、病室のある8階へ。眺めがいい。病室は4人部屋で、母のベットは入り口をはいって手前右側。母が骨折したのは右腕なので、ベッドの右側にテレビやら例冷蔵庫やら呼び出しブザーやらが集中している配置は不便である。あとで看護師さんに相談しよう。後のことは妻に任せて、11時頃、私は病院を出た。今日は12時から新宿の「美々卯」で一文の社会学専修の2000年卒の教え子たちが私の還暦を祝う会を開いてくれることになっている。

     社会学専修の学生たちとのかかわりは年度によって濃淡がある。それは年度ごとに私の担当する授業の種類が異なるからである。4年生対象の卒論演習は毎年度あるが、3年生が対象の調査実習、2年生が対象の社会学演習、1年生が対象の社会学基礎演習は、年度によって担当したりしなかったりだった(社会学専修の教員たちのローテンションによる)。2000年卒業(=1996年入学)の学生たちの場合、どの学年でも私は演習を担当していた。そういうめぐりあわせだったのだ。たぶん私の早稲田大学での20年の教員生活を通じて、もっとも学生との接触の機会が多かった代ではないかと思う。

     というわけで今日集まった17名の卒業生は特定の1つの演習の学生たちではない。どこかの学年で私の何かしらの演習をとったことのある学生である(1年から4年まで私の担当する演習すべてをとっていたのはKさん一人だけである)。ほとんどは東京圏の在住だが、Uさんは京都から駆けつけてくれ、I君は赴任先のタイから駆けつけてくれた。1年前に会った人もいれば、卒業以来(14年ぶり)の人もいる。後者の人たちは「先生は自分のことを覚えていないのではないか」と不安だったようだが、もちろんそんなことはなく、全員、一目見て、フルネームで名前が出て来た。これは私の記録力がいいということもあるが、30代半ばというのは学生時代の面影が十分に残っているからでもある。「ミキ」は「実希」と書くことや、「マキコ」は「真記子」と書くことも覚えていた。変わった表記だとかえって記憶に残っているものである。 

     ひとりひとり立ち上がって、近況報告が行われたが、一人一分では、人生の物語の見出し程度しかわからない。卒業後14年、いろいろなことがあったはずである。本当は質疑応答を含めて一人30分くらいは話を聞きたいところであるが、合宿でもしない限り、それは不可能である。今日はほんのさわりだけで我慢しなければならない。

     30代半ばという時期は、人生の折り返し点(中間地点)をそろそろ意識する時期である。(不確実に想定される)人生の半分近くが過ぎた、でも、何かをするには十分な時間があるというとき、人は自分の人生を大なり小なり変えるための具体的な行動を起こす、少なくとも起こしたいと、思うものである。「いまやらなければ、もうできないかもしれない」・・・発達心理学でいうところの「ラストチャンス・シンドローム」である。こうした内面的な衝動と、自分の意志とは無関係に職場や家族や身体に起こる不可抗力的な出来事によって、人は人生の転機を経験しやすい状態に置かれる。人生の転機とは、人生の方向性の確定や変更を伴う出来事のことだが、中年期は青年期に次いで転機を経験しやすい時期なのである。青年期が社会から後押しされる転機の時期であるのに対して(青年はさまざまな決断をせまられる)、中年期はやむにやまれず経験する転機の時期なのである。今日集まった17人は、青年期の終わりと中年期の始まりの移行期にいる。青臭さをかかえつつ、人生の分別をわきまえる、面白い年齢である。私が彼らの話をもっと聴きたいのはそのためである。

  

     予定していた2時間半はあっという間に経ち、30分ほど延長して、本日の会はお開きとなった。

     新宿駅からそれぞれの生活の場所に帰って行く。同じ電車(山手線内回り)に乗った人たちも、途中の駅で降りて、最後はIさんと二人になり、そのIさんも蒲田の一つ手前の大森で降りた。実は、私は大森の一つ手前の大井町で降りて、「pottery」で一服していこうかと思っていたのだが、それだとIさんが最後の一人になってしまうので、それはなんだか申し訳ない気がして、自分が最後の一人になることにしたのである。沈む船の船長みたいな気分で。

      「pottery」で一服しなかったので、「phono kafe」にちょっと寄って行く。小腹が空いていることに気づく。

     帰宅して、お祝いにいただいた赤いポロシャツをハンガーにかける。ジムで着ようかと思う。

     I君からいただいたガネーシャの像。商売と学問の神様でしたっけ?この二つが両立できたら(学術書を書いて印税がたくさん入ってくるとか)いいのだが・・・。研究室の机の上に飾っておきたいと思う。

     Uさんが京都から運んで来てくれた俵屋吉富の「蓬莱山」という慶事菓子に包丁を入れる。

     中から赤、黄、緑の小さな饅頭が顔を出す様から「子持ち饅頭」とも呼ばれている。5月に出産のSさんもいたことだし、昼間にその場でみんなで分けて食べたらよかったかもしれない。

     楽しい会だった。幹事役を務めてくれたFさん、どうもありがとう。

     今日の集団的な社交をきっかけに個別的な社交が盛んになってくれたらいいと思う。会いたいときに会いたい人と会うことです。