もうじき日付が変わろうとしている。
原則としてブログは毎日更新する。なぜならブログとはそういうものだと思っているからである。
しかし、ごくたまに、それができないときがある。今日はそういう日になってもいたしかたないだろうと思いつつ、でも、習慣だから、やっぱり更新しておこうと、いま、パソコンの前にいる。
今日、更新が大幅に遅れたのには、3つの理由がある。
(1)母が今日退院して、自宅に戻ってきた。私は朝から病院へ行き、退院の手続きをすませ、医師や看護師と話をし、帰宅してからは、母の世話をあれこれ焼いている。退院したといっても骨折して手術した右腕は三角巾で吊ったままなので、通院してリハビリをしながら、生活は当面左腕一本でやらないとならない。左腕だけで出来ることもけっこうあるが、左腕だけでは出来ないないこともけっこうある。それを見極めながらの生活になる。
(2)原稿の締め切りに追われている。いや、正確に言うと、20日が締め切りの原稿だったので、すでに締め切りに追いこされ、その後を追いかけている状態である。「時間」がテーマの原稿で、「時間を守る」ことは高度に分業化された近代社会の根幹をなす規範であるというあたりから話が始まっているのがなんとも皮肉である。
(3)風邪気味である。このところの「花冷え」、いや、ポスト「花冷え」の冷え込みの中、あちこち出歩いたり、ソファーでううたた寝をしていて、風邪を引いてしまったようである。
こうした情状酌量の余地のある理由と自業自得的理由の複合的要因により、ブログに投下する時間とエネルギーに乏しいのである。
昨日と今日で書き留めておきたい出来事は、1997年3月に一文の社会学専修を卒業したSさんからメールが届いたことである。Sさんとは卒業以来、17年間、会ったことも、メールのやりとをしたことも一度もない。だからメールの差出人の名前を見たときは、遠い宇宙の生命体から発信された信号を受信したような気分だった。ただし、私はその名前に確かに見覚えがあったのである。大人数の演習を受講していた学生の一人であったが、なかなか読ませるレポートを書いていたので、記憶に残っていたのである。名前だけではなく、授業の後の教室での雑談の場面や、キャンパスでの立ち話の場面も、映像として記憶に残っている。
Sさんは「おそらく先生のご記憶にはないと思いますが」と書いてきたが、Sさんは私のブログは読んでいたそうだから、私がけっこう記憶力のいい人間であることは知っていると思う。だから、もしかしたら17年前の卒業生のことも覚えているかもしれないと思ってメールをくれたのではなかろうか。そうだとしたら、期待に応えられてよかった。
Sさんが私にメールをくれた直接のきっかけは、「maruharu」の閉店を私のブログを読んで知ったからである。実はSさんは早稲田界隈に住んでいて、「maruharu」の存在は知っていたのだが、店に入ったことは一度しかなく、だから閉店のことは知らなかった。馴染みの店ではないけれども、閉店となると寂しい気分になる店というのはたしかにあるものである。
Sさんはいまウェブデザイナーの仕事をご主人と一緒にやっている。その傍らで、子育てをテーマにした文章をウェブ媒体に連載したり、イラストの仕事をされたりしている。そうした仕事については、以下のサイトで見ることができる。読ませる文章であり、素敵なイラストである。
Sさんは近々、研究室を訪ねてくれるそうである。。去年は文構のゼミの卒業生と会うことが多かったが、今年は先日の2000年卒の卒業生たちとの再会がきっかけとなって、一文・二文時代の卒業生と会う機会が増えそうだ。これもまた還暦効果というものだろう。