フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

3月10日(火) 小雨、降ったり止んだり

2015-03-11 03:01:36 | Weblog

8時、起床。

朝飯前の一仕事をしているときノートパソコンに飲み残しのコーヒーをこぼしてしまい、あわてたが、大丈夫だった。

トースト(鶏そぼろ)、サラダ(トマト、レタス)、紅茶の朝食。

昼食は母が作ってくれたものを食べる。

おにぎり、卵焼き、がんもどきと野菜の煮物、ウドの煮物。おにぎりは海苔がパリパリのタイプではないが、私はこのしんなりタイプが好きである。おにぎりとは元々こういうものだった。それがコンビニおにぎりの影響で、手巻き寿司のような海苔がパリパリタイプが普及したが、ご飯と海苔が分離していて一体感のない食べ物になってしまった。

どれも美味しかったが、とくにウドの煮物が濃すぎず薄すぎずの味付けで美味しかった。季節を感じるさせてくれる料理はいい。

母は今月の28日で満88歳になる。米寿である。

「孝治」という名前のせいだろうか、たぶん世間的にみて私は親孝行な息子だろうと思う。しかし、内心は忸怩たるものがあり、こうすればきっと母は喜ぶだろうということがわかっていながら、あえてそうしないことが多々あった。母の期待をうっとくしく感じることも少なくなかった。母と子というものは、息子の場合も、娘の場合も、一般的にそういうものであろう。ただ、母もいよいよ年をとり、人生の晩年と呼んでさしつかえない時期にさしかかっているわけで、そう考えると、母が幸福な晩年、少なくとも惨めではない晩年を送るためには、出来る範囲で母の期待に応える、つまり親孝行をするというのが子としての適切な振る舞い方ではないかと思うのである。

母が(頼みもしないのに)用意してくれた昼食をありがたく食べるというのも一種の親孝行である。

母はパート労働をしていた時期もあったが、基本的には主婦であった。家族の世話をすることが母の人生の大部分であった。9年前に父が亡くなって、世話をする相手がいなくなった。妻の隙を見て私の世話を焼こうとするが(笑)、私はそれをやんわりと(時には邪険に)拒んできた。孫たちも同じだ。

たぶん母が世話をする一番の対象は家にやってくる野良猫である。いまはなつ一匹だが、以前はなつの母猫やきょうだいたちの世話もしていた。

吾輩もときに猫になってみようかと思うこの頃である。

朝はよく晴れていたが、昼には雨が降り出し、夕方になって晴れ間が見えたが、またすぐに曇ってしまった。不安定な天気の一日だった。

夕方からジムに行く。クロストレーナーを50分漕いで、720キロカロリーを消費した。

 夕食はいろいろ。

とくにたっぷりの茸と少しのにゅめんの入った汁が美味しく、お替りをする。