8時、起床。
お稲荷さんとサラダ(トマト、レタス)の朝食。
はるが細い段ボール箱の中に入っている。
猫は狭いところが好き。
11時ちょっと前に家を出る。今日はお彼岸の入りだ。
そして今日は「phono kafe」で初のお料理教室が開かれる日だ。私はカメラマンとして参加する(一応、鞄にエプロンを入れて行ったが、使う機会はなかった)。
生徒さんは6名。全員女性で、「phono kafe」の常連さんたちだ。テラソマさんも裏方で参加。
大原さん、いつもよりテキパキ、キビキビしている(笑)。
サラダ用の菜の花を切って茹でるにするところからスタート。
根菜ちらし寿司用の牛蒡を笹がきにする。この後生姜醤油に漬ける。
熱心にノートをとるCさん。
根菜ちらし寿司用の蓮根をイチョウ切りしにして素揚げする。
蓮根チップスが出来上がる。塩を一つまみ振りかける。
テラソマさんは厨房で下ごしらえの作業。
玄米ごはんに牛蒡と人参を混ぜる。
クッキーを作る。緑色は抹茶パウダーの色。
麺棒でのして広げるKさん。
みんなで型抜き。右端はこのブログによく登場する陶芸作家の清水直子さん。
おすまし用の三つ葉を結ぶ。
おすまし用の生麩を切る。
サラダを盛り付ける。
胡桃ソースをかけ、胡桃を散らして出来上がり。
根菜ちらし寿司とサラダができあがりました。
春巻きのソースを二種類(プチトマトソースと、しそ醤油ソース)。
春巻きの中身(もやし、きくらげ、白胡麻)をさっと炒める。
中身を春巻きの皮で包む。
春巻きは一人2本。巻き上がりました。
菜種油でカラッと揚げる。
一度ひっくり返すだけ。
Uさん。
Tさん(左)とYさん(右)。
配膳完了。
最初は少し緊張気味のみなさんだったが、すっかりリラックスしたいい笑顔になった。いただきます!
私は何もしていませんが(最後に春巻を揚げただけ)、ご一緒させていただきました。春巻はぜひご飯セットの惣菜に入れてほしいと思います。揚げ立てをパリッと音を立てて食べるのは何とも快感です。
桜と緑茶のクッキーが焼き上がった。お茶を飲みながら摘まむと会話が弾みます。
大原さんとテラソマさん、ごくろうさまでした。
今日が誕生日のTさんに花束のプレゼント。
今日が本当に最後のテラソマさんにも花束のプレゼント。
テラソマさんとお店の外でツーショットを撮ってもらう。まじめな顔のテラソマさんは珍しい。
でも、やっぱりこうなる(笑)。
最後まで残っていた清水さん、テラソマさん、大原さん、大原さんのご主人、Tさんで集合写真を撮る。
「おちゃらけて」とお願いしたら、こうなりました(笑)。
名残りはつきませんが、お別れです。テラソマさん、お元気で!鳥取で「phono kafe」2号店が開店したら必ず行きますからね。
カフェには二種類ある、というのが私の持論で、「もの思いカフェ」と「おしゃべりカフェ」である。「もの思いカフェ」は一人になるために行く場所で、「おしゃべりカフェ」は社交のために行く場所である。自分と向き合うための場所と他者と出会うための場所と言い換えてもいい。私にとっての「phono kafe」は「おしゃべりカフェ」である。世の中に「もの思いカフェ」はたくさんある。いや、カフェを一人になるための場所として利用している人々が多いというべきだろうか。しかし、今日のお料理教室に集まった人たちは「phono kafe」を他者と出会うための場所として利用している人々である。西欧で発達したカフェとはそういうものであった。しかし、アメリカや日本では職場や家庭の人間関係から離れて一人になるための場所として利用する人々が多かった。もちろんカフェでおしゃべりする人は珍しくないが、それはカフェの外で知り合いだった人たちが一緒にカフェに来ておしゃべり(商談から別れ話まで)をしているのであって、カフェで出会った人同士がおしゃべりをしているわけではない。それは「もの思いカフェ」と「おしゃべりカフェ」の中間にある場所、「自分たちだけになる場所」である。けれど、今日、料理教室に集まった人たちは本来の意味での「おしゃべりカフェ」として「phono kafe」にやってくるのである。
家庭(ファースト・プレイス)とも職場(セカンド・プレイス)とも違うこうした場所をオルデンバーグは「サード・プレイス」と呼んでいる。家庭と職場の重力の強い時代にはあっては、そこからの一時的解放の場所として「サードプレイス」は有効に機能するが、家庭や職場の重力が弱くなりつつある時代(第二の近代)には、「サード・プレイス」それ自体が人間関係の生成の場所として機能することが求められてくるのである。
夕食はステーキ。
食事の後、ランニング&ウォーキングをしたことは言うまでもない。その日の借金はその日のうちに返済すべし。