フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

8月8日(土) 晴れ

2015-08-09 11:21:23 | Weblog

8時、起床。

一週間続いた猛暑日も今日で一段落。真夏日だけどしのぎやすい気がする。

ハムトースト、サラダ(トマト、レタス)、カルピス(牛乳ではありません)の朝食。朝からカルピス。子供のときにしたくてもできなかったことをすると、大人になったことを感じる(いまさらか)。同時に、昭和は遠くなりにけりの感慨をもつ。昭和30年代に子ども時代を送った者にはカルピスは(それからバヤリースとヤクルトも)格別な飲み物である。

 11時半に蒲田駅で卒業生のNさん(論系ゼミ4期生、2014年卒)と待ち合わせ、「まやんち」へ行く。連日の「まやんち」である。昨日は「phono kafe」で食事をしてから「まやんち」にデザート(ピーチメルバ)を食べに来た。それが通常の順序であるが、土曜日は予約できる時間帯は開店直後(午前中)だけなので、「まやんち」が最初になる。

Nさんは田町からやってきた。蒲田へは京浜東北線で13分である。今夜は自宅(マンションの10階)から東京湾の花火大会を家族と見物するのだそうだ。月末には一家(祖父母も一緒に)でロシア旅行に行くそうだ。家族が仲がいいというのはNさんの穏やかな人格の基本であるように思う。

 ピーチメルバとポットの紅茶(東方美人)を注文。

Nさんは初めての、私は今シーズン6個目のピーチメルバである。連続猛暑日の記録は7日で途切れたが、私のシーズン最多ピーチメルバの記録はまだまだ伸びますぞ。

「まやんち」から「phono kafe」へ。蒲田の2大カフェ(私にとって)の梯子が可能なのは、両店の営業日の関係で、金・土だけ。逆に、火・水は蒲田に来ていただいても、「まやんち」も「phono  kafe」もやっていません。

1時に予約をしておいたが、ランチタイムの混雑が終わって、客は私たちだけだった。

私はおにぎりセット、Nさんはご飯セットで、惣菜は6種類全部を注文してシェアする(メニューを記録しておかなったので、説明できない惣菜があります)。

ベジミーとのカツレツ、手前はなんだったけな・・・。

コリンキーとエノキタケとオリーブのマリネ。

ラタトゥーユ。

玄米と豆腐のタルト人参ソース掛け、南瓜と胡桃のサラダ。

おにぎり(梅、椎茸昆布)。

食後の飲み物はあたたかいあずき茶。

他のお客がいなかったこともあり、「phono kafe」に来るのは2度目ということもあり、Nさんは寛いだ感じで、あれこれ話をしてくれた。生活が不規則で、夕食抜きの日も週に何度かあるようだし、睡眠時間も不足気味なのは問題で、夏バテしちゃいますよ。

妻が「phono kafe」のカキ氷を食べたいと言っていたので、大原さんにとっておいてくれるようにお願いして、2時半頃に来るといいとメールをする。「いまから妻が来ますが、会ってみたいですか?」とNさんに聞くと、「はい。ぜひ」という。妻はたまにブログに登場するが、卒業生が妻と対面するのは初めてである。「若いころは山口百恵似でした」と言っておく。

妻は2時40分頃に来た。今日はノーメークではなかった。妻にNさんを、Nさんに妻を紹介する。「お綺麗な方ですね」というのが互いの印象だったようである。それは何よりです(笑)。

妻は桃と練乳(豆乳)のかき氷を注文した。私も一口食べさせてもらう。爽やかな甘味である。

3人で店を出て、Nさんとは駅が見えたあたりで別れる。運動と、一日三度の食事を習慣にして、健康第一を心がけてくださいね。

有隣堂で本と雑誌を購入。

『文藝春秋』9月号(特装版)。

群ようこ『れんげ荘』(ハルキ文庫)。

児島明日美ほか『身近な人が亡くなった後の手続きのすべて』(自由国民社)。

『ソトコト』9月号。

夕食はフライ盛り合わせ(ウィンナー、玉ねぎ、鶏)。

デザートは高瀬君からいただいたメロン。実に美味しい!

娘が彼女のブログ「field note 02」で私のブログについてこんなことを書いていた。(7月29日の記事)

・・・・・・・・・・・

昼休みの残りの時間で父親の最近のブログを眺める。

 父親のブログは毎日毎日食べ物のことばかり書いてあると言う印象がある。印象というか、事実食べ物のことばかりで、読者の方にも「食べ過ぎじゃないですか」とご指摘を頂いているようだ。私もそのように感じていたひとりだった。しかし自分もこのようにして日記を始めてみると、自分も同じような始末になっている。結局、血は争えないのだろうか。

 しかし改めて父親のブログを読み返すと、やはり食べ過ぎだと思う。私なんかまだまだである。私は一日大抵二食なので一日の内食べ物が登場するのは二回ということになるんだけど、父親は健康的に三食。そこまでは健康的に当然として、昼食後にデザートでケーキを食べたその足でカフェに立ち寄ってそこでクリームソーダなんか、頼んでいる。クリームソーダは飲み物の形を体裁上しているだけ。あれの実体は、食事だ。朝、昼、昼のおやつ、カフェでクリームソーダ、夜+食後のデザート。糖質貴族。

 父はけして痩せていないが、そんな生活ならもっと太っていても良さそうなものだけど。もしかしたら体型を「現状維持」するための日々の並々ならぬ努力が隠れているのかもしれない。そのような努力の影はブログには殆ど書かれていない。しかし、ブログにトレーニングの記述をしないことと、ブログで「トレーニングはしていない」と明記することは、全く異なる意味合いだ。前者はトレーニングの存在を否定しているわけではない。敢えて書いていないか、書くべきことではないとして記述を控えている可能性が残っている。私も「食事をした」と言う事実は書くが「トイレに行った」と言う事実は記載しない。それはトイレの事なんて「書いたって仕方がない」と思っているというだけ。そして、何を「書いたって仕方がない」と思うかは千差万別なんだ。

 日記調のブロクは、それが一日の全てであるように書かれる。読者もそれが筆者のすべてであるように感じ取る。しかしそこには「書いたって仕方がない」と判断された現実、というものが、なお物静かに人生の海底を漂っている。あるいはそれは筆者が「自分の人生」と言う一枚の布を裁断するときに無意識にあるいは意図的に生み出される端切れなんだろう。