フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

8月19日(水) 曇り

2015-08-20 10:01:33 | Weblog

8時、起床。

トースト、サラダ(炒り卵、ハム、トマト、レタス(、カルピスソーダ(カルピスを炭酸水で割った)、紅茶の朝食。

今日は悪いことが2つ、良いことが3つあった。

早実が準決勝で仙台育英に7対0で大敗した。今夏の甲子園大会で初めてちゃんとTV観戦したというのに・・・。それがいけなかったのかもしれない。期待するから裏切られるのだ。これが悪いことの1つ目。

明日、明後日、明々後日、3日連続で「まやんち」へ行く予定なので、予約の電話をしたら、台風の影響でいい桃が入って来なくてピーチメルバを提供できないかもしれませんと言われた。ガーン。これが悪いことの2つ目。

昼食をメキシコ料理の「ハリスコ」に食べに行ったら、「phono kafe」の大原さん夫婦がいらした。私は「ハリスコ」は一年半ぶりだが、大原さん夫婦はときどき来ていて、「ハリスコ」のお母さん(メキシコ人)と娘さん(日本人とのハーフ)もときどき「phono kafe」に来ているようだ。私も話の輪に加わらせていただく。これが良いことの1つ目。

ハマイカ(ハイビスカスのティー)。

名前を失念したが、メキシカンライスと蒸した鶏肉にチョコレートと辛子をブレンドしたソースを掛けた料理。メキシコではお祝いごとのときによく作るという。お赤飯みたいなものだろうか。お母様が「離婚したときにも作るのよ」と言ったので、「それは妻の側の話ですね」と聞いたら、「そうよ」と言ってニッコリされた。離婚が多くの場合、女性にとっては解放であることは日本もメキシコも同じであることを確認した。

香草入りのコンソメスープが料理によく合う。

デザートはコーヒーゼリー。

娘さんに「これは何ですか?」と聞いたら、「辛子です。右側の2つの瓶はそれほど辛くはありませんが、左側の3つの瓶はとても辛いです。人間が食べるものじゃないと言う人もいます」と言った。

「phno kafe」仲間で「ハリスコ」の常連でもあるS氏は、左の3つの瓶でも一番辛いやつをクラッカーにつけて食べたとき、普段は無口な彼が、目を大きく開いて、「これは美味しい!」と言ったそうである。やっぱり普通の人間ではないのだな(笑)。

夕方、ジムへ行く。軽めの筋トレ1セットとクロストレーナーを40分漕いで、570キロカロリーを消費する。

トレーニングを終えて、ケータイをチェックすると、オーストラリアに留学中のゼミ4年生のHさんからメールが届いていた。シドニーはいまが真冬である。

 「 いい企業に入るとか、ばりばり稼ぐとか、子供を英才教育するとか、そういうことへの情熱は、もうなくなってしまったんですが、だからといってそれに刃向かう情熱もないような気がして。のんびり穏やかに、でも必死に生きていくっていうのは、なかなか難しいんでしょうか。」

のんびりと、一生懸命生きていきたい・・・とても健全な感覚である。日本を離れて、日本での生活とは異なる時間の中に身を置かないと、こういう健全な感覚を取り戻すことは難しいのだろう。

われわれの社会はいま労働市場を中心としてとてもおかしなことになっている。たとえば、夜8時以降の残業を認めないという大手企業が増えている。一見ワークライフバランスを促進しているように見えるが、代わりに朝7時の出社を奨励(強制だろう)していて、しかもその早朝出勤には残業代がつかないのである。時間の搾取以外の何物でもないだろう。羊の皮を被ったオオカミ(ブラック企業)である。たとえば、また、育児休業は取れても、その間、職場にはその人が抜けた穴を埋める人的手当のない場合が多い。これは、経費削減と同時に、自分が育児休暇をとっていることで職場のみんなの負担増になっている、迷惑をかけていると思わせる効果がある。そのため育児休業から自主退職に追い込まれたり、職場に戻っても二人目の出産を断念したりする女性が多いと聞く。さもありなんと思う。こうした職場に「適応」した人間でないと出世はできないのだ。そしてそうした人間が職場の慣習の代理人として若手の「指導」にあたるのである。

Hさん、君の感覚は間違っていない。帰国して、就活を始めても、その健全な感覚を大切にしてください。

Hさんからのこのメールが今日の良かったことの二つ目だ。

7時、帰宅。

夕食は鯖の塩焼き。

デザートは梨。

深夜、『6才のボクが大人になるまで』をDVDで視た。

6歳の男の子が18歳になって高校を卒業し大学に入学するために親元を離れるまでの12年間を描いた映画だ。こういう場合、子供の成長に合わせて役者を何度か替え、大人たちは少しずつ加齢を感じさせるメイクをする。というのが普通だが、この映画はそうではない。12年間かけて同じ出演者たちが成長・老化していく様子を撮って、それを一本の映画にしたのだ。『北の国から』をすぐに思い浮かべるが、あれは連続ドラマとしては1年2カ月、スペシャルドラマ群としては20年をかけて、その都度作品を撮った。時系列上に位置するたくさんの作品の集合体だ。『6才のボクが大人になるまで』はそうではない。12年間かけてたった1本の作品を撮ったのだ。それも市井の人が自分の家族をホームビデオに撮って編集したわけではなくて、プロのスタッフや俳優たちがそれをやったのだ。このアイデアを思い付いた人もすごいが、このアイデアに付き合った人たちもすごい。

これが今日良かったことの3つ目だ。

総じてよい一日だった。明日もそうであってほしい。