9時、起床。
サラダ(鶏のササミ、トマト、レタス)とアイスコーヒーだけの朝食。普段の朝食にはトーストが必須だが、今日は昼食を「パン日和あをや」で食べる予定なので、朝食でパンは食べないのである。
11時半に蒲田駅で卒業生のNさん(論系ゼミ3期生、2013年卒)と待ち合わせ、「まやんち」へ行く。
メニューから消えるのか心配していたピーチメルバだが、予約扱いにしていただいていたので、大丈夫だった。普段は山梨産の桃を使っているのだが、今日は長野産の桃を取り寄せて、なんとか急場を凌ぎましたと店長のまゆみさんが説明してくれた。
Nさんは遠路はるばる川越からやって来てくれたので、これでもしピーチメルバが食べられなかったらどうしようと思っていたが、よかった、よかった。
Nさんは人生初の、私は今シーズン7個目のピーチメルバである。1シーズン7個は自己記録タイである。
ピーチメルバの後は残ったお茶で焼き菓子の盛り合わせ(一皿をシェア)を食べるのが最近の定跡である。
「まやんち」には1時間ほど滞在した。
蒲田から川崎経由で矢向へ。朝方の雨はもう止んでいる。
線路沿いの道を鹿島田の方へ歩く。
踏切を渡る。
「パン日和あをや」に到着(矢向駅から徒歩10分)。
私はジンジャエール(8月のドリンク)、Nさんはレモンスカッシュ(7月のドリンク)でとりあえず喉を潤す。ジンジャエールはツンツンしていなくてとてもやさしい味わい。
さて、何を食べようかな。
スモークハムのタルティーヌ(フランス式オープンサンド)。
本日のスープ(茄子と鶏肉のタイカレー)。
奥さんがカレーと一緒に食べると合いますよと出してくれた胡桃パン。
私はスープのお替り(小カップで)。美味しいスープだった。
サーモンとアボカドとクリームチーズのサンドウィッチ。
Nさんに二階の和室を見せてあげる。
一階のテーブル席とはまた違った雰囲気のちゃぶ台。
Nさんはこの夏、ベトナムを一人旅してきたそうだ。一人旅というところがいい。旅の楽しみは一人旅にある、というのが私の持論である。生活の時間には、家族の時間、仕事の時間、社交の時間、孤独の時間という主要な4つの相(フェーズ)があり、このバランスをとることが大切だ。どれかに偏重するのは精神衛生上よろしくない。そして一人旅は孤独の時間の過ごし方としては最上のものである(日常的には読書が一番)。
ベトナム映画『夏至』(トラン・アン・ユン監督、2000年)のイメージでNさんのポートレートを撮る。
一階に戻り、デザートのクリームチーズフラン(白桃)とコーヒー。
お客はほかにいなかったので、奥さまをまじえておしゃべり。Nさんは奥様に人生相談のようなことをしていた。
女同士の会話には立ち入らないことにしています(笑)。
「先生は何も悩みなんてないんじゃありませんか」と奥様。偏見にもほどがある。
孤独の時間を楽しめる人は社交の時間も楽しめる人でもある。また会いましょう。
「パン日和あをや」の夏休みは8月23日(月)~27日(木)。
9月のドリンクは何ですかと聞いたが、奥様は教えてくれなかった。もしかして何も考えてないんじゃないですか?(笑)
Nさんは川崎から東海道本線に乗って帰って行った。
夕食は豚肉とピーマンと玉ネギの生姜焼き風味。
デザートは葡萄。
Nさんから手土産にいただいた大分名物の「ザビエル」をいただく。以前、一度、どこかで食べたことがある。でも、どこでだったか思い出せない。ゼミのスイーツタイムだったかもしれない。
娘が自分のブログ(field note 02)でブログ論のようなものを書いていたので、その一部を抜粋して紹介しておく。
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そもそも私が日記を書くことに決めたのは祖母の死をきっかけにしている。たくさんの理由の中のたったひとつの小さな理由ではあるものの、それは決して些末な小ささではない。
私はこのページを、何よりまず私自身が自分の行動のログを確認できるものとして位置付けている。またそれが、第三者が読んでも読解が難くないだけの質を持っているものとして。
このようなことはTwitterでは不可能だろう。文字数制限の要因が一番大きいが、そもそもTwitterが個人のアーカイブ向きになっていない。Twitterは常にリアルタイムで気軽でインスタントでポップであるものだ。
Facebookなら十分に日記の機能を満たすだろう。しかしFacebookの記録はそれが友人たちとの繋がりがメインにするところが動機だと思う。つまり、感情や価値観をシェアすることが。しかし私は現在日記に交流は求めていない。ここで使った「交流」の意味合いは、日記にコメントやイイネが付いてそれに返事をする行為やそれを求めるエントリーのことだ。交流は「見る/見られる」だけがあればいい。見ているというアリバイ作りがない緩い交流があればそれで。もっと言えば、書くという行為があれば誰も見ていなくても目的は達成できる。私が重要視する目的とは「書くという行為」そのものだ。
毎日のことを、その日にあったこと考えたことだけを書くこと。そしてそれらを時間の許す範囲で良質に、それなりにボリュームのある文章で記録すること。最後に、それを継続すること。Twitterの脊髄反射になってしまいがち書き込みや、Facebookの無条件イイネが頻発する現在では、このような取り組み、結構レアなのではないだろうか(古臭いとも言うかもしれないが)。
(2015.8.19の記事より)