フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

6月19日(日) 曇り

2016-06-20 10:15:04 | Weblog

9時、起床。

書斎用の扇風機を出す。というか、床の上に置いてあったのを上にあげる。

駅まで広島出張(オープンキャンパスでの模擬講義)の新幹線の切符を買いに行く。

自販機で「品川⇔広島」の新幹線特急券と乗車券を購入。「復割」が使えて35000円ほど。

財布に旅行の切符が入っているというのは悪くない気分だが、落とさないようにしないとな(前科あり)。

散髪に行く。

散髪を終えるとそろそろ昼食時。鰻の「寿々喜」の前には長い列が出来ている。

2カ月ぶりに下丸子の「喜楽亭」に行く。

いつものチキンカツ定食を注文し、下丸子の駅に置いてあったチラシ(神奈川近代文学館の「鮎川信夫と『荒地』展」)を読んで待つ。

待つことしばし、チキンカツ定食が運ばれてきた。うん、美味しそうだ。

ここではこればかり注文している。

ご主人が、「これ、めしあがってみてください」と持ってきたのは・・・

カレー(ルー)だった。いまはメニューから消えているが、復活させようかと考えているとのこと。家庭的なポークカレーである。私はこの店でカレーライスを注文することはないと思うが、こうやって、サイドメニューでルーだけ注文できたら嬉しい。ご飯を少し残してカレーを掛けて食べたい。

途中でご飯が足りなくなり、ちょっと追加してもらう(これもサービス)。ごちそうさまでした。

蒲田に戻り、「有隣堂」で本を購入。

『フローベール』ポケットマスターピース07(集英社文庫)。800頁のぶ厚い文庫である(1300円は割安感がある)。中篇小説「十一月」、長編小説『ボヴァリー夫人(抄)』などが収められている。私はフローベールを読んだことがない。それは恥ずかしいことではないにしても(生涯に読める小説はこの世に存在する小説のほんの一部である)、残念な気がしないわけではない。いま私は4章構成の人生の第4章(60歳~)の序盤にいるつもりだが、「気になっていながら読んでいなかった小説」(に限らず本)を少しばかり意識的に読んでみようかという気持ちになっている。

「秋が好きだ、物悲しいこの季節には思い出がよく似合う。木々が葉を失い、まだ赤みを残した夕暮れの空が枯葉を黄金色に染めるとき、自分のなかで少し前まで燃えていた火がすべて消えていくのを見れば、ひとは穏やかな気持ちになる。」(「十一月」の冒頭)。

柴田元幸責任編集『MONKEY』第9号(スイッチ・パブリッシング)。

特集のタイトルは「短篇小説のつくり方」となっているが、「不思議な短篇小説のつくりかたをする人が、この世にはいるものなだなあ」という意味だそうである。

『ゆとりですがなにか』の最終回をリアルタイムで観る。正和と茜は結婚し、まりぶは大学に入学し、山路は童貞を卒業した(たぶん)。それぞれに大人の階段を上ったわけだ。正和と茜の話がメインで、他の二人の話はサイドストーリー的だったが、さすがに一回で始末をつけるのはあわただしかった。宮藤官九郎の脚本はいつもスピーディーだが、スピーディーなのとあわただしいのとは違うと思う。あれだけ拡張して、掘り下げたストーリーだ、それを収束させるのは至難のことだったと思うが、いっそのこと収束させずに放置という手もあったのではないかと思うのである。「おわりですがなにか」と。

3時半、就寝。今夜も夜更かし。