フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

9月30日(土) 晴れ

2017-10-01 03:22:11 | Weblog

8時半、起床。

モツ煮込み、サラダ、ご飯(+鮭しらす)の朝食。トーストでないのは、昼食を「パン日和あをや」で食べる予定だからである(というのはブログの読者の方はもうおわかりですね)。

今日の『ひよっこ』、というフレーズも本日が最後である。明日からは、昨日の『ひよっこ』と書かなくちゃ(笑)。

実の記憶、回復の兆しが現れました!「すずふり亭」に重箱を預かってもらっていることを思い出したのである。ただ、ここで一つ疑問なのは、重箱を見て失われていた記憶が戻るのではなく、重箱のことを重箱を見る前に思い出した点である。つまり重箱は記憶回復のきっかではなく、記憶回復の結果(兆し)である。では、記憶の回復のきっかけはなんだったのだろう。何が実に重箱のことを思い出させたのだろう。ドラマではこれは描かれていなかった。私は実がハヤシライスを口にしたときに「ん?」という表情になることを期待していた。ハヤシライスの味が「すずふり亭」での出来事を思い出すきっかになるのだと(以前から)予想していた。実際、カメラはハヤシライスを口に運ぶ実の表情を捉えていた。しかし、それらしい表情の変化はなかった。う~む。ハヤシライスを口にした瞬間ではなく、その後、ハヤシライスが五臓六腑にしみわたって行く過程でじわじわと記憶がよみがえってきたのかもしれない(あくまでもハヤシライスにこだわるならば)。

ただ、私は「すずぶり亭」のハヤシライスが実の記憶回復のきっかけにならなかったことにホッとしているところもあるのだ。どういうことかというと、味覚が実の記憶回復のきっかだったとすると、では、なぜ、実が谷田部家に帰って、そこでの食事が記憶回復のきっかけにならなかったのかという問題が出て来てしまうからだ。妻の美代子は「私の手料理には実さんの記憶を回復させる力がなかったのだ」と落ち込んでしまうだろう。それは美代子には気の毒である。私は当初のシナリオ(構想)では「すずふり亭」のハヤシライスが実の記憶が回復するきっかけになることになっていたのだと思う。それが、ある時点で、美代子の手料理の無力さという問題を生むことに岡田恵和が気づき、シナリオに変更が加えられたのではないかと想像する。そのくらいのことは心優しき岡田が気づかないはずはないと私は思うのだ。

シナリオの変更というのは決し珍しいことではない。

卒業生のナオさんが、今日、ラインのメッセージで教えてくれたのだが、岡田があるところでインタビューに答えて次のように述べている。

 「当初のプランからの一番の変更点は、物語のはじまりから4年しか時間が経過しなかった、ということです。書き始める前は1964年から10年くらいの時間の中で、ヒロインの成長を表現しようと思っていたんですが、わりと早い段階でこれは絶対にそこまで行かない、ということがわかり、そのことはなるべく口にしないようにしていました(笑)。 

 156話で4年しか時間が進まなかったのは、登場人物一人ひとりを丁寧に描いた成り行きであって、自分としてはこれでよかったのかなと思いますし、こういう朝ドラがあってもいいのかな、と思っています。

 脚本の設計をする上で、物語を進める役回りを考えながら登場人物を作っていきますが、いざ書き始めると演じる役者さんとの相乗効果もあって、どんどん登場人物たちのことが好きになっていくんです。登場人物とそれを演じる役者さん全てが物語の中で楽しめるようにしたい。ご都合主義で配置されたコマではなく、登場人物全員にそれぞれ人生があって、喜怒哀楽がある。それを描いていくことで、すべてのキャラクターを人気者にしたかった。それをやっていたら4年しか進まなかったという感じです。そういう意味ではもっとやりたいこともあったし、もうちょっと先まで書きたいこともあったけど、今回の最終回にたどり着いたことに満足しています」。(オリコン・ニュース:2017.9.30)

 そうか、『ひよっこ』は当初1970年代前半までを描く予定だったのだ。それは私が大学に入学する頃(1973年)であり、オイルショックで高度経済成長に終わりが訪れるころである。それがそうならなかったのは、「登場人物全員にそれぞれ人生があって、喜怒哀楽がある。それを描いていくことで、すべてのキャラクターを人気者にしたかった」からというのがいかにも岡田恵和らしい。今日の最終回でみね子たちの高校の担任だった田神学がみね子たちの前に現れたのも、岡田のそういう姿勢が読み取れるいい場面だった。ここまでの気配りは本当に大したものである。実は、田神も現れたらいいなと私も思っていたのであるが、それをブログに書いて、そうならなかったら岡田の気配りにケチをつけることになると思って書かなかったのだ。書けばよかった(笑)。

実の記憶が一挙に回復するのではなく、その兆しが表れたというレベルで止めておいたことも、記憶の回復=世津子との思い出の喪失となるかどうかの問題を扱わないという点において、やさしい心遣い(男心)というべきだろう。

過去の朝ドラでブルーレイボックスを所有しているのは『あまちゃん』だけだが、『ひよっこ』のブルーレイボックスが出たら私はそれを購入するだろう。 

午後、卒業生のアリさん(一文、社会学専修)と「パン日和あをや」に行く。

彼女と会うのは半年ぶりくらいである。彼女は筑波に住んでいて、今日は午前中に東京に来る用事があり、それを済ませてから、こちらに来たのである。私のブログで「パン日和あをや」のことは知っており、いつか行ってみたいと思っていたそうである。

二階の和室を予約しておいた。

9月のドリンク、セパレートティを二人とも注文。これが飲めるのも今日が最後だ。運んで来てくれたご主人が「かき混ぜてお飲みください」と言った。しかし、私はかき混ぜずに飲むのが好きである。かき混ぜてしまうと一様な味になり、見た目も美しくない、と私は感じる。二層に分かれているのを目で楽しみながら、上層部(紅茶)を飲んだり、下層部(グレープフルーツ)を飲んだり、両方を口の中でミックスしたりして飲むのが好きなのだ。アリさんも私の流儀を真似て飲んでいた。

同じようなことは鶏肉のそぼろと炒り卵の二色丼を食べるときにもいえる。私は二色丼は混ぜないで二色のまま食べる。混ぜて食べたいときは口の中で混ぜる。

冷やし中華も同じである。あれこれのトッピングを混ぜて食べたりしない。混ぜて食べたいときは口の中で混ぜればよい。

同じようなことは・・・もういいか。要は、混ぜると美しさが損なわれるものは混ぜないということである。

本日のスープはクラムチャウダー。美味しい。ベーコンの旨味が効いている。

フランスコッペ。

林檎と蜂蜜の組み合わせがこの上なくいい。彼女も「美味しいですね!」と感嘆の声を上げる。

季節限定メニューの秋ベジサンド。カボチャ、じゃがいも、キノコ・・・などが入っている。

ソーセージ盛り合わせ。パンがヘルシーだったので、お肉を補給する。

デザートは、私はホットショコラとクロワッサン。ちぎって、浸して、食べるのが私の流儀。

彼女はクリームチーズフラン(洋梨)と紅茶。

食事が終ったところで、アリさんのポートレートを撮る。彼女の結婚式に出たのはもう十数年前のことだが、純白のドレスの花嫁の美しかったことはいまでもよく覚えている。

文机のところで。

ソファに座って。

もう一つの卓袱台のところで。

「あをや」の奥様に「こちらモハメド・アリさんです」と冗談を言ったら、「外国の方なんですね」と真面目に受け取られてしまった。色白で、目鼻立ちがはっきりしているから、ロシア系と見られることがあるそうだ。「アリーサさんです」とでもいえばより真実味があっただろう。ちなみに「アリーサ」は「高貴な」という意味である。日本語で言えば「貴子」かな。

私も彼女もパンをお土産に買った。 

ご主人に写真を撮っていただく。

 時刻は4時。2人の娘さんは旦那さんが見ていてくれる。旦那さんからは「今日は時間は気にせずゆっくりしてきていいよ」と言われたそうである。出来た旦那さんである。

では、帰りがけに、大井町の「ポッタリー」に寄って行きましょう。

矢向のホームで電車を待ちながら。撮ったばかりの写真をモニターで見て、「自分の横顔の写真ってあまり見たことないです」と彼女はいった。そうでしょ、カメラ目線で、ニッコリしている写真ばかりでしょ。それが自分の「標準的な顔」だとみんな思い込んでるんです。

大井町に着く。 

「ポッタリー」に行く途中で、路地裏に寄り道。彼女の雰囲気を漢字一字で表すと「凛」になる。おまけに地の色(青)が今日の彼女の服と鞄の色に合っている。

秋日和の暮れ方だ。

マダムに「また卒業生を連れてきました」と彼女を紹介する。いつもの「キャビンアテンダントをされているの?」という言葉を期待したが、今日はそれがなかった。理由は2つ考えられる。1つは、店内は珍しくお客で混んでいて、「キャビンアテンダントをされているの?」と言うと、周りの視線が集まりそうだったため。もう1つは、彼女からセレブなオーラが出ていたため。

注文したブレンドコーヒーが運ばれてきた。カップは同じ柄(ウェッジウッドのユーランダーパウダー)だが、色違いである。私の方にルビーを置いたのは、彼女の服装にはターコイズブルーが合うからだろう。

マダムが「写真、お撮りしましょうね」と言ってくれる。マダムとしてはカップがコーヒーで満たされているうちに写真を撮りたいのだ。

「ポッタリー」を出たのは5時半。彼女の帰宅は7時頃になるだろう。旦那さんの言葉に甘えて、しかし甘えすぎることのない、いい時刻だろう(笑)。

いまは下のお子さんと四六時中一緒にるアリさんだが、来年の春からは幼稚園に通い始めるので、自分だけの時間(午後2時頃まで)が毎日もてることになる。それを何に使おうか、いまからあれこれ考えている彼女である。お子さんの成長とともに彼女の人生も新しいステージに入ろうとしている。

彼女とは大井町の駅で別れた。また、会いましょう。

夕食は鯵の開き、鰯のツミレとサヤエンドウの煮物、サラダ、卵と玉ねぎの味噌汁、ご飯。

デザートは巨峰。

さらなるデザートはアリさんからいただいた焼き菓子。

妻が自分のスマホを見せに来た。今日、シールとビーズでデコレーションを施したのだ。「かわいいでしょ?」と聞かれる。「うん、かわいいね」と答えるほかはない。女子の世界は「かわいい」で出来ているのだ。

3時半、就寝。