7時、起床。まだ合宿のリズムが持続している。
松茸ご飯、サラダ、味噌汁の朝食。
昼前に家を出て、大学へ。
今日は暑さがぶり返した。
半袖で家を出たが、風は爽やかだ。
電車の中は冷房が効いていて、半袖では少し心もとなかった。
3限は院生の研究指導。マスター1年のCさんが夏休みの勉強の成果を報告した。
事務所で行って、あれこれの雑用を片付ける。
遅い昼食を「SKIPA」に食べに行く。
アイスチャイ。
ホットドック。
「SKIPA」は来週の18日(水)で開店7周年を迎える(2010年10月18日開店)。
7年という歳月はどんなものですかと、のんちゃんに尋ねた。
「2010年は結婚した年でもあったので、毎日が初めてのことの連続でした。そして年が明けて少ししてあの地震があって、バタバタとした、不安定な日々が始まりました。そんなことで、最初の3年間はあっという間に過ぎましたね。」
私が初めて「SKIPA」を訪れたのは2012年9月30日だった。ついでに言うと、「まやんち」を初めて訪れたのは2012年8月2日、「phono kafe」は2013年5月19日、「パン日和あをや」は2013年11月9日だ。現在の私の「カフェのある生活」を構成する主要なカフェはその頃からのものである。それ以前もカフェに行っていなかったわけではないのだが、2010年9月から2012年9月まで文化構想学部の教務主任という超多忙な役職に就いていたため、会議の合間に、大学のそばの「maruharu」や「フェニックス」や「カフェゴト―」や「シャノアール」にちょっと息抜きに出かけるくらいだった(「maruharu」と「フェニックス」はいまはもうない)。その役職から解放される頃から、本格的な「カフェのある生活」が始まったのである。たんに暇になったからカフェに行く時間ができたというよりも、そういう時間を渇望していたということだろう。
「最近の数年間は、お店もある程度軌道に乗って、ルーティンな毎日となりました。いろいろなお客様がいらっしゃいますが、学生だった方が社会人となり、独身だった方がお母さんになりと、そういう変化を目の当たりして、感慨深いです。でも、私自身は変化らしい変化もなく(自覚していないだけかもしれませんが)、一つ所に立ち止まっているような、置いて行かれているような、ちょと淋しい気分になることもあります」
定点観測者みたいな気分?
「定点観測者、そうですね。学校の先生もそういう感じではありませんか?」
私の場合、答えはイエスでもあり、ノーでもある。新しい学生が入ってくる、そして卒業していく。教師は同じ場所に留まって、目の前の学生の相手をしている。定点観測者としての教師である。ある時期まで私もそうした教師の一人だった。それが「カフェのある生活」が始まって、2年くらい経った頃から、カフェで卒業生らと会う機会が増え始めた。それも同じ卒業生らとある程度の間隔をおいて繰り返し会うことが多くなった。彼らとの係わりは一過性のものではなく、持続的なものとなった。過ぎ去っていくものではなく、積み重なっていくものとなった。このことは卒業生に限らず、人間関係全般にいえることである。変化をもたらした要因は多重的で、一言ではいえないが、何人かの親しくしていた方の死がそこにあることは間違いない。人はみな平均寿命の周辺で死ぬわけではない。「いつか」「そのうち」という言葉は禁句になり、「思い立ったが吉日」をモットーにするようになった。
春服や会いたき人に会いにゆく たかじ
シフォンケーキとレモングラスのティーを注文。
最近、蒲田に出来たシフォンケーキとお茶の専門店の話をしたら、のんちゃんはとても関心をもったようなので、「SKIPA」が休みの木曜日、私が冬休みに入って木曜日の授業がなくなったあたりに、「カフェ・スリック」にお連れしましょうかという話になる。
来週の水曜日は会議があって来られませんが、火曜日の夜に来て、改めて開店7周年をお祝いさせて下さい。
「梅花亭」でこの季節になったら必ず購入するものがある。
栗むし羊羹である。
4限・5限を使ってのゼミ論個別指導は来週からなので、今日はこのまま帰る。
丸の内の「丸善」に寄って、来年のカレンダーと雑誌を購入。
『POPEYE』特別編集「本と映画の話」(マガジンハウス)
『東京をバスで散歩』(京阪神マガジン社)
『将棋世界』11月号(日本将棋連盟)。
東京駅丸の内北口の横断歩道で。
7時、帰宅。
夕食はおでん。
妻と『この声を君に』(NHKドラマ10)の3話と4話を録画で観る。今日は3話だけのつもりだったが、妻が続けて4話も観たいというので、そういうことになった。妻は『わろてんか』のストーリーが書かれた雑誌を書店で立ち読みしていて、その内容を私に話そうとするので、「やめてんか」と口止めする。先を先を知りたがる人なのである。