9時半、起床。
トースト、サラダ(+サラダチキン)、牛乳、紅茶の朝食。
昨日のブログを書いてアップする。
12時からユーチューブでインプロ・カンパニー「プラットフォーム」の『いと、といと。ふちかざり』大正篇の5回目の公演(ライブ)を観る。即興劇なので配役と基本的な物語の設定は同じでも、ストーリー展開は昨日見た4回目の公演とは違ったものになった。おそらくこうした即興劇は、全部の公演を観てストリー展開のバリエーションを楽しむというのが一番の楽しみ方だろう。
即興劇が即興劇として成立するためには2つの条件が必要だ。1つは、役者ひとりひとりが臨機応変に演技ができる力量を備えていること。これはいうまでもないことだ。もう1つは、物語のモチーフが演じる側にも観る側にも共有されていること。それが太い幹として存在しているから、枝(バリエーション)があちこちに広がっても、劇として破綻することはないのだ。
今回の『いと、といと。ふちかざり』についてその太い幹に相当するのが「運命の人と出会う」という恋愛観である。これは近代社会の古典的恋愛観といってもよいもので、身分を越えた愛や同性同士の愛といったバリエーションを一貫している太い芯になっている。だから観客は予想もしないような方向に展開するストーリーを目の前にしながらも、「一体、最後に、誰と誰が結ばれるのだろう」というわくわく感や「この人とこの人が結ばれてほしい」という期待をもって舞台を観ることができる。
ラブストーリー以外にも、バトルロワイヤルもの(誰が最後に生き残るのか)や裁判もの(どんな判決が出るのか)がインプロの定番としてあるらしい。次回、インプロを観る機会があれば、ラブストーリー以外のものを観てみたい。近代社会は恋愛至上主義の覇権が長いこと続いてきたが(映画もドラマも小説もポップスも)、そろそろそれにも陰りが出てきているように私には思えるからである。
観終わって1時半。昼食を食べに出る。
多摩川線に乗る。
下丸子で下車。
ここの駅舎の天井には燕の巣があって、代々の駅員さんたちによって保護されている。まだ燕の姿は見えない。
「喜楽亭」に行く。
歴史を感じさせる。
GW中も営業している(ほとんど年中無休である)。
いつものチキンカツ定食を注文。
後から肉じゃががオマケで出てきた。
小皿の多い充実の定食である(ごはんは軽めで)。いただきます。
ご主人に「GW中の人出はいかがですか?」と聞いたら、「多摩川の土手に向かう(散歩する)方が多いように思います」とのこと。そうでしょうね。土手は開放感がありますからね。
食後のコーヒーを向かいのビルの2階の「ハッピー珈琲」で飲もうと思ったが、
GW中はテイクアウトのみの営業だった。このまま土手に散歩に行くならテイクアウトしてもいいが、私は鞄に入れてきた本が読みたかった。
蒲田に戻ってくる。駅前に献血車が2台停まっている。
「愛の献血車」という名前は、考えてみると、すごい名前である。いつ頃、そのように名付けられたのかは知らないが、「愛情至上主義」のピークの時代であったことは間違いあるまい。「愛」の価値は至高であり疑うべからざるものであった。「愛の・・・」と付けることで、その要請は強まる。しかし、私は一度しか献血というものをしかことがなく、それも大学院の先輩の彼女の父親が緊急手術をすることになり輸血用の血液が必要だと頼まれたからである。「愛の献血車」の横を通り過ぎるとき「自分は愛情の薄い人間なのだろうか」という疑念がいつも頭をよぎる。
「愛の献血車」が駅前に停まっているのは人出を期待しているからであろうが、駅前には大田区の広報車も出ている。スピーカーから「不急不要の外出は控えて下さい」と大田区長の録音された声が流れている。
サンロード商店街。
「テラス・ドルチェ」に入る。
ブレンドコーヒーを注文。
澤田瞳子『星落ちて、なお』の冒頭の一篇、「蛙鳴く 明治二十二年 春」を読む。画鬼と呼ばれた河鍋暁斎の通夜の場面から話は始まる。主要な登場人物とその相関図が説明される。暁斎には三度結婚し、また妾腹の子供もいて、きょうだい関係は複雑である。とくに主人公のとよ(暁翠)と兄の周三郎の確執は物語の展開の原動力のようである。そこに門弟たちが加わった人間模様が描かれる。
描かれるのは人間関係だけではない。舞台となる東京の街も描かれる。たとえばとよが通夜の席から早々に姿を消した周三郎の呼びに根岸の家から大根畑(本郷湯島新花町)の彼の家に向かうときの描写。
「上野の山を左に眺めながら坂を下り、池之端を回り込めば、大根畑は目と鼻の先。暁斎存世中も、一人暮らしの兄のもとに幾度となく総菜を運んだり、繕い物を届けたりしてきただけに、夜道もさして怖くはない。むしろまだ月の出ぬ時刻であるのをいいことに、とよは裾が乱れるのもかまわず、ただひたすら坂道を駆け下った。」
私の家の菩提寺は下谷にあり、根岸はすぐ隣で、墓参りの後によく行く「今半」上野広小路店は湯島の近くであるから、ここに書かれた地形はリアルにわかる。物語の舞台となった土地を知っているというのは読者にとってはアドバンテージである。
カフェはイートインにしろテイクアウトにして営業しているが、居酒屋のほとんどは休業している。アルコールが出せないのでは商売にならない。
陽も西に傾いて来た。
自宅の玄関先にバラが咲いている。マイク真木が歌った「バラが咲いた」(1966年)という歌があった。
バラが咲いたバラが咲いた真っ赤なバラが
淋しかった僕の庭にバラが咲いた
たったひとつ咲いたバラ小さなバラで
淋しかった僕の庭が明るくなった
バラよバラよ小さなバラ
いつまでもそこに咲いてておくれ
バラが咲いたバラが咲いた真っ赤なバラで
淋しかった僕の庭が明るくなった
作詞作曲は浜口庫之助。素朴な歌詞と単純なメロディーの歌であったが、大ヒットした。これなら自分も歌が作れそうだと若者たちは思った(小学校6年生だった私もそう思った)。日本のフォークソング・ブームの口火となった曲である。
夕食はフライの盛り合わせ、チンゲン菜とベーコンと玉子のスープ、ごはん。
昼と夜、フライかぶりである。
デザートとはカラマンダリン。
食事をしながら『イチケイのカラス』第5話(録画)を観る。
オンデマンド授業の収録を1本。
ワンテイクでOK。収録時間は32分43秒。ほどよい。昨日の1本と講義資料を合わせてネットにアップする。公開は木曜日から。
『山下達郎のサンデーソングブック』をタイムフリーで聴こうとして、今日は日曜日でないことに気づく。
『オールナイトニッポンMUSIC10』(火曜日の担当は鈴木杏樹)をライブで聴く。
風呂から出て、今日の日記を付ける。
2時半、就寝。