7時半、起床。
トースト、ベーコン&エッグ、サラダ、牛乳、紅茶の朝食。
昨日のブログを書いてアップする。
昼食をとりがてら散歩に出る。何日ぶりだろう、5月らしい爽やかな晴天。高層ビルの窓ガラスに白い雲が映っている。
谷川俊太郎の「生きる」のいくつかのフレーズを思い出す風景。
「木漏れ日がまぶしいということ」
「あなたと手をつなぐこと」
「あなたと手のぬくみ いのちということ」
昼食は蒲田の隣町カフェ「燈日」に食べに行く。多摩川線で一つ乗る。
矢口渡駅前商店街。
「リヨン モアール」で朝食用のパン(ボンジュール)を購入。「リヨン」はチェーン店のパン屋だが、店ごとに「リヨン〇〇」と下の名前(?)が付いている。たとえば「リヨン セレブ」(梅屋敷)、「リヨン 味彩館」(萩中)、「リヨン クローバー」(仲六郷)のように。もしかしてチェーン店ではなくて暖簾分けなのかしら。だとしたら本店(本家)はどこ?
「燈日」に到着。一つテーブルが空いたところだった。片付け・消毒の間、外で待つ。
ごはんメニューを見ると、どんぶり定食(坦々肉そぼろ丼)は完売で、2種類の燈日定食のどちらかということになる。
サワラの大葉巻きフライ~ワサビタルタルを注文。タルタルソースにワサビが入っているというわけだ。
サワラのフライはカリっとしてふっくら。ワサビのタルタルは爽やか。
食後にアイスカフェラテを注文して、『星落ちて、なお』第4章「砧 大正2年 春」を読む。
時代は大正に入った。主人公とよ(河鍋暁翠)は画業に集中するため夫と別居、そして離婚(離婚は夫の方から)。夫にはとくに非はない。妻が画業に打ち込むことには寛容である。というよりも、関心がない。それが物足りなかったとうことはあったのかもしれない。とよは自分をどんどん追い詰めていっているように見える。
本筋と関係ないが、「おっ」と思った箇所がある。
「姐さん、茶席の菓子が足りなくなりそうだよ。うちの奴を買いに行かせてもいいかい」
「もちろん、よろしく頼むよ。それにしても、朝一番に長門から羊羹を運ばせたんじゃなかったのかい」
父暁斎の回顧展の会場でのやりとりである。どこか「おっ」なのかというと「長門」である。現存する和菓子屋「日本橋 長門」のことであろう。あの店の「切り羊羹」は美味しい。食べたくなった。
一旦帰宅。『山下達郎のサンデー・ソングブック』をタイムフリーで聴く。
5時半まであと10分というところで、外出。空はまだ明るいが、「スリック」のラストオーダーは5時半なのだ。
ぎりぎり滑り込む。本日最後の客である。
アイスロイヤルミルクティを注文。これはセパレートティ(グレープフルーツジュース+紅茶)とは違って、混ぜて飲むものである。いや、セパレートティーも本来は混ぜて飲むものであるが、私は混ぜずに飲むのが好きなのだ。そのセパレートティーはまだメニューに出ていない。6月からかな。
写真にはうまく取れていないが、テラス席の側の草木に雀が何羽も来てチュンチュンないている。マダムはベリーの実を食べに来ているのではないかと言う。近くに雀の巣があるそうだから、小雀たちの飛行訓練をしているのではないかしら。
マダムと小一時間ほどおしゃべりをして店を出る。また来週。
日没の時間が近づいている。
夕食はシイタケのツナ詰めバター焼き、ニンニクの茎と玉子とベーコンの炒め、ワカメの味噌汁、ごはん。
ツナの他にネギとシイタケの茎がはいっている。ちょっと醤油を落として食べる。
食事をしながら『コントが始まる』第6話(録画)を観る。「自分は何がやりたいのか」「自分に何ができるのか」、その問いは青年期だけのものではないとは思うが、青年期に顕著であることは間違いない。人生のモラトリアム期間の終わりが近づいている。
本日提出されたレビューシートのチェック。
風呂から出て、村山由佳の『眠れない貴女へ』を聴きながら、今日の日記とブログ。
2時、就寝。