フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

6月7日(水) 晴れ

2023-06-08 15:29:07 | Weblog

8時50分、起床。かろうじて9時になる前に起き上がる。

トースト(はちみつ&オリーブオイル)、目玉焼き、ソーセージ、サラダ、牛乳、紅茶の朝食。

本日の『らんまん』。昨日の最後で竹雄が郷里に帰ると言ったのは嘘だった。こういう演出はつまらないからやめてほしい。竹雄は万太郎のことをこれからは「若」ではなく「万太郎」と呼ぶと宣言する。主従関係からバディになるということである。関係性の変化は呼称の変化と表裏一体である。石版印刷というものがどういうものが妻がスマホで調べた。リトグラフと呼んでいるものと基本的に同じものである。万太郎が職人が磨き上げた石版を指先で触って激怒されていたが、あれは大げさではなく、指の油で石版の表面が化学反応(腐食)を起こしてしまうので本当にNGなのである。

昨日のブログを書いてアップする。

2時半ごろ、遅い昼食を食べに出る。

「ホンズ・キッチン」に顔を出す。

ブン・チャージョーを注文することは入店する前から決めていた。

汁なし麺の揚げ春巻きのせである。しばらくここではこればかり注文するような気がする。

新しいスタッフさんが働いていた。タンさんという。水曜と土曜の担当とのこと。頑張って下さいね。

恵比寿ガーデンプレイスに行く。

東京都写真美術館。

今年度初なので年間パストート(3300円)を購入する。

最初に3Fのコレクション展を観る。所蔵作品を手を変え品を変え展示しているが、今回のテーマは「セレンディピティ」。あまり聞かない単語である。「偶然と才気によって(日常の中に)予期せぬ発見をすること」という意味だそうである。「日常生活の社会学」に通じるものがある。

入口の自動ドアの前になにか染みのようなものが・・・。

何かの足跡のようである。

なるほどね(笑)。一緒に主催者のあいさつ文を読む。

展示室は4つのセクションに仕切られていた(写真撮影可)。

北井一夫「紙屑が3個」、『ライカで散歩』(2008)より

牛腸茂雄『日々』(1967-1979)より

潮田登久子「冷蔵庫」(1999)

島尾伸三「生活 1988-85」より

山崎博「OBSERVATION 観測概念」(1974)より

佐内正史「生きている」(1995)より

鈴木のぞみ「柿の木荘2階北側の窓」(2016)

エリオット・アーウィット「ニューヨーク市、アメリカ」(1946)

エリオット・アーウィット「ニューヨーク市、アメリカ」(1974)

井上佐由紀「私は初めてみた光を覚えていない」(2014)より

以上。なかなかよかった。

続いてB1で開催中の田沼武能展「人間賛歌」を観る。(こちらは展示室内撮影禁止)

展示室は3つのセクションに区切られていた。「第1章  戦後の子どもたち」、「第2章 人間万歳」、「第3章 ふるさと武蔵野」。人物写真がメインの写真家と思っていたが(木村伊兵衛の影響が強い)、第3章の風景写真の旨さにびっくりした。

田沼は1929年(昭和4年)に浅草区山谷の写真館の子供として生まれた。生まれた時代は私の母に近く、生まれた場所は私の父親と近い。去年の6月に93才で亡くなった。

2Fでは6月16日から始まる「本橋成一とロベール・アルノー」展の準備が進んでいた。

写真美術館を出て、隣の恵比寿タワービルの37階に上ってみる。

梅雨入り間近の東京の空。

さて、帰ろう。

帰宅して今日が締め切りのレビューシートのチェック。

夕食はサバのトマト煮、ゆるい豆腐(なんというのだろう)、トマトサラダ、玉子と茗荷の吸い物、ごはん。

食事をしながら『どうする家康』第21話「長篠を救え!」(録画)を観る。今回の主役は武田軍に包囲された長篠城の窮状を家康に伝えるべく岡崎城へ行き、織田の援軍が来ることを城に戻って伝える最後の最後で武田軍に捕らえられはりつけの刑にされた鳥居強右衛門と、岡崎城の城主との婚姻を信長に決められた家康の娘亀姫。『どうする家康』には人情ものの回が多いが、今回もそうであった。旅の一座の芝居であれば、客はみな感涙にむせんだであろう。

デザートはサクランボ。

明日の授業の準備。

今日の日記を書いてから、風呂に入る。

風呂から出て、大量のレビューシートのチェック。

1時半、就寝。